幼児教育無償化は利権の増強に他ならない。

  様々な幼児育成施設が存立して幼児を奪い合っているが、幼児を預かる「保育園」が不足して既に久しい。そうした中で幼児教育無償化の議論は本質的な問題のすり替えのように思えてならない。


 たとえば待機幼児を持つ親は幼児教育の恩恵に与っていない。具体的には幼児一人当たり月額10万円近い幼児教育施設に対する補助金を享受していないことになる。これほど大きな差別を放置したまま、幼児教育の無償化はあり得ないだろう。


 


 国がこの国の幼児一人当たりに対して月額幾ら使っているのか、先進国と比較検討してみれば一目瞭然だ。だいたい1/3程度でしかなく、国が子を育てるという意識が明らかに欠落している。


 なぜマスメディアも一緒になって民主党が2009マニフェストに掲げた子供手当月額2万6千円を叩き潰してしまったのか。その結果として出生率は1.39という低い水準に低迷したままだ。少子社会に明るい未来など存在しない。


 


 未来への投資として子供の育成に予算を割くべきだというのには基本的に賛成だ。しかし幼児教育の無償化は利権の肥大化以外の何物でもない。その結果として幼児教育を享受できるものと出来ない者との補助金格差が広がるだけだ。


 なぜ子供手当を一律支給して、後の選択は親に任せようとしないのだろうか。幼児教育機関に預けるもよし、そうした機関は信用できないから自分の手で育てる、という人は育児休職を取って子供手当を収入源として子育てをするのもよいだろう。


 


 そうした多様な選択肢を国民に与えるのが子供手当だ。だから2万6千円などという半端な金額ではなく、10万円程度も出せば良い。


 財源は幼稚園や保育園に出している補助金を全額カットして、子供手当に回すことだ。そうして幼稚園や保育園は自由に料金を定めて子供を預かればよい。月額10万円の保育料を取っても、幼児教育無償化と同じことになるだろう。


 


 措置費という補助金で省庁が縄張りを頑固に守って、幼稚園や保育園を系列のフランチャイズのように経営の箸の上げ下ろしまで嘴を挟むのをやめることだ。


 悪質な幼稚園などは親が子供を通わせなくなって自然と淘汰されるだろう。その代り特色ある幼児教育を行う園が出てきて、それぞれの園が幼児教育を競うようになるだろう。コケの生えたような幼児教育論を振り翳す権威がいつまでも幼児教育界のピラミッドの頂点に君臨する愚行を廃止すべきだ。


 


 幼児教育の無償化には賛成できない。それは制度事業の肥大化でしかなく、効率の悪い官僚組織の肥大化をもたらすものでしかない。それよりも子供手当制度に移行して、親に選択を任すべきだ。それぞれの家庭にはそれぞれの都合があり考え方がある。


 子供手当をパチンコで使い果たす親がいる、という批判があったが、それは幼児教育無償化でも同じことだろう。レアケースを論って反対するのは為にする議論でしかない。


 


 子は国の宝で国が責任を持って育てる、という意識を国民全員が共有するような世論の醸成こそが必要だ。少子社会は緩慢な国家消滅でしかない、という明確な事実にしっかりと認識することだ。



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