目糞鼻糞の類。

  「瀬戸は日暮れて、夕波小波、あなたの島へ、お嫁に行くの。誰もが若いと、心配するけれど、愛があるから、大丈夫なの」と小柳ルミ子が歌って40有余年が過ぎた。島へ嫁いだあの娘もそろそろ年金受給年齢になる。


 嫁ぐ娘には若い情熱があったかも知れないが、年金年齢に到って体に不具合を抱える年恰好になっているだろう。島へ嫁いで結婚相手は高級官僚ではない。大会社の社員というわけにもいかないだろう。やはり漁師ということになるだろうが、,若い頃なら夫婦舟で漁へ出掛けるのもまだしも、年老いての漁は命懸けだ。


 


 人生の黄昏を迎えて、年金生活に入っても漁師なら国民年金ということになる。平均受給額5.5万円(年により統計資料が異なり、ある資料では4.6万円とありある資料では4.2万円とある)なら夫婦で11万円だ。その収入で生計を立てていかなければならない。


 他の年金はどうだろうか。厚生年金は平均受給額は17万円とある。その17万円に妻の国民年金6.6万円を足せば23万円だ。共済年金は平均受給額は23万円(国家公務員よりも地方公務員の方が1万円ほど多い)となり、妻の年金6万円を足せば30万円弱となる。


 


 以上が老後の生活を支える年金収入だ。現役時代の職業により老後の収入は固定化し、政治的な改正がない限り一切変動することはありえない。


 その固定化された格差が死ぬまで続く。これは正社員での比較であり、また尚且つ公務員では男性の平均値で、男女格差は省略してあるが決して小さなものではない。老齢化して体が動かなくなり不具合が方々に生じて、収入は年金だけとなる。その年金に大きな格差がある。それは現役時代の格差がそのまま老後にも持ち込まれたものだ。


 


 社会保障とは社会主義の産物だ。まず経済体系として発展した資本主義が弱肉強食で、貧困労働者層を資本家がとことん搾取する歪んだ社会を是正するために「社会主義」的な側面を取り入れたのが社会保障制度だ。


 だから社会保障の大原則は「負担は応能負担で、支給は一律支給」というものだ。実際に医療保険制度などはそうなっている。医療保険料をたくさん支払っているからといって疾病を得て医療機関にかかれば貧困者と同じ医療を施され、同じ種類と同じ量の薬を貰う。至極当たり前のことだと誰もが思っているが、こと年金に限っては格差があっても当たり前だと思っている。


 


 政治家が僅かな文言の差を論って「維新だ」「太陽だ」「みんなだ」とワーワー言っているが、目糞鼻糞の類だ。そんなことはどうでも良い。本質的に国民の生活を第一に考えているのかどうかが問われている。


 ある市で市長が「給与半減」を議会に提出したが否決された。市長は地方自治体の財政が厳しく、選挙で「市長職の給与半減」を公約にして当選した。しかし議会は市長の給与を半減したら公務員給与に関連するから駄目だという。


 市長の給与が市庁舎の中で最高でなければならないという。だから高給を得ている職員たちは戦々恐々としているのだ。もちろん市長職の給与が半分になって議員の歳費がそのままというわけにはいかないという理由もあるだろう。誰もがより多くの収入を得たいと思っている。しかし国家財政も地方財政も火の車だという。それなのに公務員給与や議員歳費は高止まりのままだ。世界の国々と比較すると良い。どれほど公務員や議員連中が高禄を食んで国民に負担を強いているかを。


 


 もう一度社会保障の大原則を掲げる。社会保障とは「負担は応能負担で、支給は一律支給」が大原則だ。より多くの年金が欲しいなら民間の年金保険会社に入れば良い。高額な年金を維持するために貧乏人により重い「消費増税」を課するとは本末転倒だ。国民の生活が第一と考えない政治家たちがどうなろうと知ったことではない。


 彼らも選挙の時には「皆さんのために尽くします」と絶叫したのではないだろうか。それなら本気で国民のために尽くせ。金持ちはどうでも良い、貧乏人の暮らしが立つように考えるべきだ。まず手始めに年金制度のすべてを統合し、国民年金が「基礎年金」だという馬鹿な発想をやめることだ。あたかも国民年金加入者はこの国の最下層を支える「基礎杭」となって死ぬまで働き、貧困のうちに死ねと言っているかのようだ。



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