おしゃべりは身の破滅を招く。

  嘉田知事が記者相手に党内事情を喋りすぎたようだ。知事が党代表を勤めるのが困難なのは分かり切っていることで、彼女が党代表に担がれたのは選挙の顔としてだということがなぜ理解出来ないのだろうか。


 しかし選挙の顔として担がれたことが何も悪いことではない、ただし選挙で勝っていたら。しかし選挙で大敗したわけだから、大敗後は速やかに辞任の辞を述べて自ら身を退くべきだった。居座ったことがすべての間違いの原因だ。


 


 嘉田氏は脱原発に関して「卒原発」だと、訳のわからない独り善がりのスローガンを叫んだ。なぜ脱原発と世間的に通りの良いスローガンを突如として変えたのだろうか。そうすれば選挙後も「脱原発」連合を組み易かったのではないだろうか。


 自身も立候補していれば、選挙は勝つためにあらゆる手立てを考えて独り善がりに走りがちだが、嘉田氏は客観的に選挙全般を眺めうる立場にあった。それが告示日に代表代行の暴走を許して「比例候補者名簿」の差し替えを演じたりした。なぜ「自分たちは前国会議員」よりも一歩退く態度を取らなかったのだろうか。


 


 大変傲慢な顔がそこには見えてくる。前議員が選挙に勝って再び国会へ戻るために何をすべきかを真剣に考えたのだろうか。そうすれば小沢氏を隠すようなバカな戦略は取らなかったはずだ。小沢氏には全国に熱烈な「小沢支持者」がいる。その小沢氏を有効利用しない選挙戦略とは負ける選挙でしかない。使えるものはすべて使うのが選挙だ。


 第一、小沢氏を一兵卒に置いておくというのは、小沢氏本人が「僕は一兵卒で良いから」というのは人として当たり前のことで(僕を総裁にしてくれるのなら貴党に入っても良いと言った高慢なお笑い芸人上がりの政治家がいたが)、だから一兵卒だと嘉田氏まで言うのは見識を疑わざるを得ない。当然党代表は嘉田氏本人が就任するにせよ、国会議員団代表へ小沢氏に就任要請するのが人としてのあり方だった。嘉田氏は出発点で人としての品性を欠いた。


 


 そこから後は言わずもがなのドタバタを演じている。滋賀県内の若い女性市長が「小沢氏と嘉田知事が組むのは嘉田知事のイメージに良くない。小沢氏はクロいイメージだ」とか述べていたが、滋賀県には小沢氏のイメージがそのように伝わっているのだろうか。他県に暮らす我らには小沢氏は検察とこの国マスメディアによって謂れなき人格攻撃を受け、政治家として基本的人権を根こそぎ侵害された被害者だ、という認識だが。


 また、あれほど徹底的に洗われて検察が起訴できなかったのだから、小沢氏こそが政界で一番クリーンな政治家だといえる。現在元秘書が公判に立たされている嫌疑は「期ズレ」という微罪もならない、街角にたむろするチンピラによるイチャモン程度の「訴因」だ。もっと公明正大な「訴因」が立件できる政治家はゴマンといる。たとえば「外国人からの違法献金」だとか「舎弟企業からの献金」だとか数え上げれば両手で足りないほどの明快な違法行為を犯している政治家たちを検察は公明正大に見逃しているではないか。この国のマスメディアも殆ど追跡しないのはなぜだろうか。


 


 そうしたこの国のドロドロとした国策捜査から見事生還した小沢氏をなぜ持ち上げて晴れがましい演壇に最初から立てなかったのか。嘉田氏は小沢氏に関する政治権力とその背後に見え隠れする某国(日本を属国扱いするジャイアンのような国だ)の暗闘を何も理解していない。たぶん「びわこネット」だけで選挙を勝っていれば「政治ごっこ」程度の見識で通用するのだろう。


 安倍政権の重要閣僚に就いた甘利氏は「原発ゼロは考えられない」と公言している。安倍政権が原発再稼働へ舵を切るのは時間の問題だ。だからこそ、未来の党は全国の「脱原発」運動の受け皿にならなければならなかった。昨日までこのブログで未来の党への批判を控えていたのも、なんとか大人の解決が見いだせないかと願っていたが、嘉田氏が余りに少女過ぎた。


 嘉田氏に国政は向かない。陣笠程度なら勤まるかも知れないが、この国のトップリーダーには適さない。未来の党が消滅するのは嘉田氏の「記者相手のおしゃべり」と「見識のなさ」に原因があると認識すべきだ。



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