TPP議論を都市部対農村部という議論に矮小化してはならない。
TPP議論で不透明なのは参加国会議を公開するのではなく、交渉が締結するまで非公開とすることだ。しかもTPPにはISD条項(投資家の紛争解決手続のための条項)が盛り込まれていて、二国間で貿易紛争が提起された場合には当然のことながら当事国の法律で裁かれないことだ。
だから日本と米国の取引で、既に米国の自動車労働組合は日本の軽自動車基準は怪しからぬと主張している。つまり日本の『軽自動車基準』は米国の自動車輸入を制限するための規定だから不平等な関税障壁の一つだというのだ。
ことほど左様に、日本独自の文化や歴史であっても米国にとって『関税障壁だ』と見做されれば撤廃するように求めることができ、しかも日本の法律で裁くことが出来ないのだ。
江戸時代に米国のハリスが日本にやって来て、国際貿易に疎い日本の幕閣相手に不平等な「日米修好通商条約」を締結してしまった。それ以降、欧州列強も米国並みの通商条約締結を求め、幕閣は次々と不平等通商条約を締結した。
それを条約改正により不平等条約を改めて関税自主権を日本が取り戻すのに明治政府の先人がいかに苦労したか、決して忘れてはならない。関税の撤廃は一見自由貿易の象徴のようだが、それは国内産業と外国の産業とが直結することに他ならない。そうすると例えば日本が太陽光発電を開発しようとしても、関税により外国産の安い太陽光発電が国内に流れ込むのを防ぐことが出来ず、国内産業を育成する政策はすべて放棄しなければならなくなる。
ISD条項のイチャモンが日本文化にまで及べば、飛んでもないことになりかねない。かつて終戦直後に一部の文化人は公用語を英語にしようと策動したことがあった。さらに日常的に使用する文字からカナやカタカナや漢字を排除して、すべてローマ字表記にしようと提案したこともあった。悪夢のような話で、日本文化を根底から覆すことを修正直後の米国のポチになり下がった似非・文化人が企んだことがあったことを忘れてはならない。
マスメディアがTPPの是非を都市部の「賛成」と農村部の「反対」に置き換えようとしているようだが、ことはそんなに単純な話ではない。小沢氏を非常識な人格攻撃で政治の表舞台から排除したのと同様に、今度はTPPに反対するのは自己利益ばかり主張する農村の田舎者だと貶めたいのだろうか。
「都市部」対「農村部」の対立の図式にTPPを矮小化して議論するマスメディアはすべて米国のポチだと断定せざるを得ない。日本国民は日本国民として誇り高い日本文化を次世代に受け継ぐ責務がある。貿易の儲け話にかこつけて日本の文化や歴史までも根底から米国式に取り変えようとする策動に断じて反対しなければならない。