あらためて「脱原発」を主張する。

 10/18の産経新聞は「主張」で再び原発必要論を展開している。寄稿しているのは民間の研究所のようだが、まさしく原子力ムラの御用臭フンブンたるいかがわしさだ。


 その根拠は十分なエネルギー確保にはそれ相応の危険が伴う、原発を廃止すれば原発に関する学問が廃れ技術の継承が出来ない、原発ビジネスの分野から日本は撤退せざるを得なくなる、原発ゼロでは国防に責任が持てない、などとチンプンカンプンな論旨をいくつか挙げている。


 


 将来1000万円の年収を手に入れるのが良いか、300万円の年収で我慢するのか。1000万円の年収を得るにはそれなりにリスクが伴う、とは論理性もなくいかにも愚かな議論だ。果たして年収1000万円と、年収300万円との比較にどれほどの意味があるというのだろうか。国民の平均年収が、というのならそれなりに意味があるが、個々人の年収をあげるのは「年収」にだけ人生の価値基準を置いた皮相な議論でしかない。原子力ムラの住人がすべて年収1000万円を求めて集まった守銭奴な連中だとでもいいたいのだろうか。理解に苦しむ。


 


 原発をゼロにすれば学生が原発関係に集まらなくなり、技術の継承が出来ない、というのも皮相な議論だ。原発がそれほど最先端技術なのか考えてみても良いだろう。40年前に建設した原発が今も稼動しているというのは原発がいかにローテクの塊か如実ではないだろうか。


 脱原発を宣言しても廃炉にするには数十年もの工事が必要となる。それが全国に54基、爆発した福島の4基を除いても50基もある。世界で見れば稼働中の原発もいつかは廃炉となる。その処理技術の蓄積だけでも有効な将来技術の獲得ではないだろうか。


 


 原発ビジネスに日本政府が関与すべきではない。三菱や東芝や日立が今後原発ビジネスを世界で展開するのに日本の脱原発がプラスに働かないのは事実だろうが、世界各国に原発を広める方が遥かに危険だ。


 それよりも再エネ発電装置を開発して世界各国に売り込む方がどんなに人類の未来にとって良いだろうか。日本国民の叡智を再エネ発電装置の開発に向けるべきだ。優秀な学生が使命感を持って学び開発に取り組むべきは原発ではなく再エネ発電装置だ。


 


 最後のチンプンカンプンな議論はおそらく核兵器開発プレゼンスを確保すべきということを婉曲に表現したのだろう。核兵器開発にはプルトニュウムと開発技術と特殊装置が必要だが、現在の日本にはそれらのすべてがある。核兵器を造ろうと政府が決断すれば3ヶ月から半年で造れるだろうといわれている。


 それらの技術も最新のハイテクではないし、学問も最先端の高度なものではない。何しろ70年も前に人類は核兵器を造っている。厄介物のプルトニュウムは猛毒で管理を厳密に行わなければならない代物で、核技術も優秀な学生程度の頭脳があれば対処できるものだ。特殊装置といっても東京の秋葉原で売っているようなもので、北朝鮮の工作員が秋葉原で買い漁っていて、公安に目を付けられた程度のものだ。日本の工業技術がいかに進んでいるか、今更自慢する必要もないほど中国や北朝鮮や韓国とは比較にならない。それらが進化したのは核開発でなく、民生用の製造技術として蓄積されてきたものだ。ただ転用可能で転用すれば高効率に核兵器が製造できるだけの話だ。


 


 日本が世界の核保有国の仲間入りするのか、それは日本国民が決めることだ。米国の指図や国際機関の干渉で決めることではない。ましてや中国や韓国や北朝鮮の思惑を気にして決めることでもない。日本国民の多数が日本国防衛に必要だと思えばいつでも核兵器を手にすることは可能だ。それこそが日本の世界に対する強大なプレゼンスで、それはドイツも同様だ。持てる環境にありながら持たないでいる日本とドイツは世界のお手本になるだろう。同様に脱原発でも逸早く決めたドイツに並んで日本も世界のお手本になるべきだ。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。