「社会保障と税の一体改革」というのなら

  生活保護受給者が過去最高になったという。212万人を超えるというのは前代未聞だが、その生活保護費の総額もバカにならない。「社会保障と税の一体改革」ということで「消費増税」を民・自・公「三党野合」により議決したが、社会保障部分の議論は欠落したままだ。


 今度の臨時国会で社会保障を議論する諮問機関「国民会議」を立ち上げて、そこでまずは官僚たちと「学識・有識者」たちが素案を作るようだ。だがそうした手法は賛成出来ない。密室で粗方決めて、政治家は提示された「案」に頷いて終わるというのでは何のための国民の代表か分からない。


 


 生活保護も社会保障の一環としてある制度なら、社会保障と税の一体改革に当然含めて議論すべきだ。暮らせない「国民年金」受給者の議論は一向に進めないで、暮らせる厚生年金や共済年金受給者の年金需給権利をどのように扱うかという議論に終始するのなら、それは社会保障議論ではなく年金ばら撒き議論に過ぎない。


 社会保障とは国民生活の最後のライフ・ネットとして、餓死しないで日本国民として最低限の暮らしを営む権利を保障するもののはずだ。だから生活保護費はキチンとしたアパートを借りて餓死しない程度の食費も確保し、医療費や学費は無料となっている。しかし国民年金受給者は平均支給額4万2千円でどうやって暮らせば良いというのだろうか。


 


 国は国民年金を「基礎年金」と位置づけ、厚生年金や共済年金は基礎年金の上に上乗せする構造だと規定している。なんという国民年金受給者を馬鹿にした議論だろうか。国民年金加入者たちは暮らせない「基礎年金」の範囲内の年金だけで、後は何処かからカネを拾って来て暮らせというのだろうか。その反面、何の財産も持たない身寄りもない人たちには国民年金以上の「暮らせる給付」を生活保護費として支給するという。それのみならず医療費も免除し教育費も免除し租税負担も免除するというのだ。


 


 全国の国民年金加入者たちは本気で怒った方が良い。現在の国民年金掛け金は決して小額ではない。それでも老後に暮らせない金額しか手に出来ないとしたら、一体誰が本気で営々と納付するだろうか。


 本来、社会保障とは最低限のライフ・ネットだったはずだ。なにも年金受給者が毎月のように海外旅行できるほど国は高額な年金を支給する必要があるだろうか。社会保障の大原則は「負担は応能負担で、支給は一律支給」というものだったはずだ。そのさいたるものが医療保険制度ではないだろうか。高額医療保険納付者が病気時に自動的に個室に入るようになっていない。高額医療保険納付者が病院にかかると他の人の二倍の薬を手にするわけでもない。それが社会保障の本来のあり方だ。


 


 しかしマスメディアはこうした議論を一切無視する。あたかも共済年金の3階部分や厚生年金の企業年金部分の議論のみに矮小化して年金制度を大きく俯瞰しようとしない。それはマスメディア関係者たちも高級官僚や公務員たちと同じく高給取りの恵まれた人たちだからだ。国民年金加入者たちには目を向けず、自分たちの年金勘定だけをやっているのだ。


 生活保護費も65歳以上は年金会計の中で考えるべきだ。そうすれば国民年金受給者が生活保護者たちよりもいかに悲惨な老後を過ごしているかが分かるだろう。かつての民主党が2009マニフェストに掲げた最低年金補償制度は実に正しい社会保障のあり方の発想に基づいていた。それを自公の二党が民・自・公「野合三党」のスクラムを組む際に反故にしてしまった。野合翼賛三政党の罪深さはいくら批判しても仕切れない。現役時代の所得格差を老後の年金にまで持ち込む愚かさに対して、国民は怒りの声を挙げるべきだ。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。