提灯持ちの浅ましい姿を鏡に映して見ると良いだろう。
兵庫県知事が野田首相の大飯原発再稼働の宣言を歓迎するという。国家ではなく地域自治体の長が原発再稼働に了というのが果たして県民の総意なのか、それとも県民の判断を仰ぐと誤るから勝手に知事が判断するから県民は黙って従え、ということなのだろうか。県民生活に重大な影響を及ぼすかもしれない「原発再稼働」について県民すべての判断を知る必要から、住民投票を仰ぐことがあっても良いのではないだろうか。
昨年からこの一年間に設置された発電装置の発電総量がいかほどか、国や都道府県は把握したているのだろうか。つまり「電気が足らない」と騒いでいる基準が実はいい加減なモノののようだというのだ。
この一年間に各企業や大施設が設置した自家発電装置の総量を政府経産省は知る立場にあるが、その結果をこの夏の発電総量の計算に加えていないというのだ。是非とも専門家は自家発電の総量をキッチリと把握して、政府と電力各社が「足らなくなるゾ」と国民を恫喝している根拠があやふやなものだと示して頂きたい。
関西地区の府県広域連合が「大飯原発再稼働」とする政府の判断を了としたのは本当に正しい判断なのだろうか。国民の生活を守る、と野田首相は見栄を切ったが、放射能漏れ事故を起こせば野田氏の歌舞伎役者さながらに目を剥いて切ったた大見栄は何の役にも立たないことを既に国民は知っている。
経済界も電気さえあれば良い、というのでは無能・無策ではないだろうか。地域に住めなくなり関西圏がすべて放射能汚染されるかもしれない、という現実を知っても、なおかつ、そうしたことは起こらないよ、と根拠のない安心感を抱くのは幼稚的といわざるを得ない。
万全を期して、その上で国民の暮らしを守る、というのが政治だ。なんとなく「安全だと思うよ」という程度の安全性でこれまで日本は半世紀近く原発を動かして来た。偶々直下型の巨大地震が起こらなかった僥倖に恵まれていただけに過ぎないのだが、それを以て「原発は安全だ」と信じて碌な対策をとって来なかった。
大飯原発は果たしてどうなのか、暫定基準で動かすというのは仮免で高速道路をいきなり走るようなものでしかない。県民の安全確保のために節電を訴えるのが筋で、政府の提灯持ちに堕した県知事は戴けない。