子供をダシにした制度事業の焼け太り策か、「総合こども園」。

 幼稚園と保育園の垣根を取り払って「幼保一元化」を図って行政のスリム化をするはずが「総合こども園」なるモノを新設することになった。それも新規参入を認めるものではなく、これまでの幼稚園や保育園を経営していた事業体に優先して新設を認めるというのだそうだ。


 


 なんともバカバカしい話だ。「幼保一元化」がそんなに難しいことなのだろうか。利用するのは同じ幼児ではないだろうか。それが幼稚園は専業主婦なら預けられるが、保育園は共働きなどで幼児の面倒を見る者がいない家庭環境の幼児しか入れない、というだけのことだ。働く資格まで別々に文科省と厚労省が作って別々に運営している。まったく馬鹿げたことだとは思わないのだろうか。


 


 幼児を預かるのに基本的な教育・知識が必要なのは分かる。幼児心理学なるモノも必要だ、といわれればそうなのかとも思うが、幼児に対する思いやりと愛情があれば基本的に資格云々は問題ないのではないだろうか。


 省益あって国民不在とはまさしくこのことだろう。散々「幼保一元化」が叫ばれて、出てきた結果がまた新しい制度が生まれるだけとは、官僚たちは何処まで国民をバカにしているのだろうか。その官僚たちの指図のままに右往左往する政治家とは一体何だろうか。


 


 何月何日を以て、幼稚園と保育園の相違は「呼称だけ」とする、と宣言してしまえば良いだろう。ただし幼稚園には「給食」はないが保育園には「給食」がないという相違は、給食のある幼稚園だといえばそれまでで、0歳児を預かる施設がなければ暫時そうした施設を整備するまで0歳児を預かれないだけで、幼稚園であっても設備さえ整えれば預かっても問題はないだろう。


 


 いかめしい資格の呼称もそれぞれに愛着があれば好きな方を勝手に名乗れば良いだろう。但し、大学や短大で教える教科・課程は同じにすれば良いだろう。別に不都合はないはずだ。大胆な発言をすれば、世の中の多くの母親はそうした学問とは無縁であってもちゃんと子育てをしている。眦を決して「ウチの資格を死守」と対立する方が余程馬鹿げている。それぞれが利権の巣を守ろうと必死なのは分かるが、余りみっともないことを大人がやってはいけない。


 


 行政とは何のためにあるのか。もちろん国民のためにあり、より便利に効率よく、国民の多くが恩恵に浴するようにすべきが本質であって、それぞれの利権を擁護するのは本末転倒だ。この世には本末転倒な理不尽なことが多過ぎる。


 たとえば「消費増税」を図って税率を上げるというが、デフレ下に「税率を上げ」てどうするというのだろうか。景気が失速するのは目に見えている。それでも良いかに導入だ、と命を懸けるバカな首相がいる。本当に税収を上げたいのならなぜ「超円高」をどうにかしようとはしないのだろうか。デフレ経済を克服するために他国に負けないように「円の増刷」をしないでどうやってデフレを克服するつもりだろうか。本末転倒な議論ばかり横行しているが、その根にあるのはいつも官僚の論理だ。年金制度改革も官僚たちの高額年金の維持を企む「現行制度維持」を謳う自民党に譲って、民主党は最低年金制度を反故にするのだろうか。社会保障とはかけ離れた「既得権」の擁護を官僚たちは政治家に命じているのだと、なぜ政治家たちは気づかないのだろうか。


 そうした本末転倒な議論の成果が「総合こども園」で結実した。財政難といいつつ、官僚の利権構造は見事に守られ、官僚天国は存続して国民は窮乏に追い込まれる。どっちがご主人様でどっちが奉仕者なのか分からない、これもまた本末転倒なのだが



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