いやらしき中間派。

 司馬遼太郎の作品に「世に棲む日々」というのがある。最初は吉田松陰を主人公としていた物語が、途中から高杉晋作に視点を移して、幕末期の長州藩を描き出している。


 その中で文久三年12月15日の「功山寺挙兵」から高杉晋作が藩政府を握っていた守旧派(高杉晋作は「俗論派」と呼んだ)から藩政権奪回の長州藩内戦に(長州藩の正史「防長回天史」では「内訌戦」と呼んだ)慶応と年号が改まった正月6日から血みどろの戦いを絵堂・呑坂で演じ、ついに高杉晋作たちが勝利を収めた。しかし、高杉晋作は長州藩士同士が殺し合う市街戦を嫌い、萩へ攻め込むことをしないで山口に本陣を置いて滞陣した。


 すると萩の政府軍と山口の革命軍との間を取り持つ「鎮静委員」なる連中が現れて萩の頭目・椋梨籐太と高杉の後をうけた山県狂介たちとの間を調停して回った。その鎮静会委員たちを司馬遼太郎は罵倒している。「いつの世にも対立する勢力が台頭した場合に、どっちつかずで様子見をする功利的な連中が現れるものだ」と断罪し、日和見主義者たちを罵倒している。


 今回の野田政権により「消費増税」が決議されようとしている折に、やはり「中間派」と称する連中が現れた。事態の推移にはなるべく関わりを持たない代わりに、より高く自分たちを売りつけるために「中間の立場」で高く買ってもらえる方法を一心に見計らっている連中だ。司馬遼太郎氏でなくとも、吐き気を催すような連中だろう。


 


 野田政権の「消費増税」には反対だが、小沢氏たちのように「離党」もしない、という。またしても周囲の者の顔色を窺って身の振り方を考えようというのだろうか。バカな連中だ、彼らをどちらの立場の者も、金輪際信用しないだろう。司馬遼太郎氏が「鎮静会委員」を唾棄すべき連中だと書いている意味が良く分かる。事実、彼らの仲間として名を連ねている中から維新後に名をなした人物は一人としていない。その代わり、高杉晋作とともに挙兵した伊藤俊輔は維新後に博文と名を改め初代総理大臣となった。奇兵隊を率いて命を捨てて奮戦した山県狂介は維新後に有朋と名を改めて明治元勲となった。


 


 高杉晋作が「功山寺」で挙兵した際には僅かに80余名の兵に過ぎなかった。それが万余の萩政府軍に戦いを挑み、勝利したのだ。藩の存亡を懸けた戦いに正義がなければ勝利できないのはいうまでもない。それも数十倍もの軍を相手に戦いを挑むのだから、当然のことだ。


 実際に前線指揮を任された山県狂介は名を「小介」から「狂介」と改めなければ平常心でおられないほどの「必死」の境地だったようだ。足軽の子が僅かに2百余名の百姓・町人の子弟からなる奇兵隊等を率いて千名余の萩正規軍と中国山地の盆地で戦ったのだ。その心情たるや狂うしかなかっただろう。


 伊藤俊輔は品川弥二郎とともに吉敷郡や小郡の各地を「正義派(自分たちを高杉はそう呼んだ)」に米の供出や軍資金で協力するように宣伝して回り、たちまち高杉軍を支持する「庄屋連合」などが吉敷郡などで形成されている。伊藤がいかに有能なアジテータだつたか窺い知れるだろう。


 


 ともあれ、司馬遼太郎氏が「世に棲む日々」の中で「中間派」を蛇蝎のごとく忌み嫌ったが、この度の民主党内戦に於いても「中間派」の振る舞いは唾棄すべきものだ。結局は自分を高く売りつけようとするものでしかない。いつの世にもそうした信用できない人物はいるモノのようだ。



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