人は自分の観念で相手を観るものだ。

 小沢氏が民主党から分離し離党するのは時間の問題として、党名がどうのこうの、何人になるにかなどと取り沙汰されている。そうした観点からしか観られないのは、そうした観念しか持たない人だということだ。


 


 人は自分の目で相手を観、世間を観る。決して人の目で観ることは出来ない。その人の心象風景はその人の観念の世界をスクリーンとして映しているから、相手もこう考えているだろうとの推測もその人の観念世界でしかない。


 


 立ち上げる党名の詮索や、人数が大問題となるのはそうしたことしか関心がないからだ。なぜ小沢氏とその仲間は民主党と袂を分かつのか、民主党が自・公と野合して決めようとしている「消費増税」によって何がどう変わるのか、国民生活は良くなるのか、本当に消費増税で財政再建ができるのか、本当に総額としてこの国の税収が増えるのか、そうした検証をすることの方が国民にとって大事ではないだろうか。


 


 すべてがテレビのオチャラケたバラエティ番組のノリになってしまったようだ。しかし、その方が官僚たちにとって好ましいことかもしれない。国民が本気で考え出したら、折角マスメディアが一致協力して掛けている集団睡眠から醒めてしまいかねない。だから今夜(6/22)官邸を4万人の原発再稼働反対のデモ隊が取り囲んだことは「スルーしようぜ」と各全国紙やテレビ局は協定を結んだことだろう。しかし、ネットがある。現代はネットが変な編集をしないで、事実を事実として伝えている。


 


 官僚たちやマスメディアは国民を余り舐めないことだ。自分たちが好きなように操作・誘導できる対象だと思い続けないことだ。ネット市民は覚醒している。事実を事実として受け止め、自分の頭で考えている。


 小沢氏から離れて行った連中が何をしているか、明々白々ではないか。あえて岡田氏や野田氏(自民党の)や小池氏を上げるまでもない、彼らは権力の魔力に惹きつけられて官僚の走狗に成り下がった連中だ。政治家としては賞味期限の過ぎた抜け殻に過ぎない。今度の選挙で有権者はキッチリと選別するだろう。



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