理由は何であれ、原発の再稼働を許してはならない。
核被爆国の日本が理由は何であれ世界へ放射性物質を撒き散らす汚染源になった。人類のみならず地球環境に取り返しのつかない事態を引き起こし、今も放射能汚染は停止していない。日々ダダ漏れに放射能は福一原発から漏れ続け、地球環境を汚染し続けている。
こうした現実を「過去のこと」として忘れたかのように再稼働すべきという無責任な人たちが大手マスコミに登場して「再稼働」の理由を並べ立てる。たとえば「電力の安定供給」であり「産業振興のための電力は欠かせない」ということであり「原発技術を枯渇させてはならない」であったりする。
バカなことを言ってはならない。電気は人が便利に暮らすために必要であったり、産業生産で各種機器を動かすために必要なのであって、放射能汚染事故を起こせば人の暮らしが成り立たなくなり産業も稼働どころの話ではなくなる。本末転倒の議論だということがなぜ分からないのだろうか。電気がありき、なのではなく、まず人の安全な暮らしが何よりも優先するのだ。放射能汚染により人が暮らせなくなると、産業で電力不足などといった事態ではなくなるのだ。
原子力技術を枯渇させてはならない、などと一見もっともらしい主張はバカの極みだ。原発を再稼働しないことは廃炉を意味する。原発施設を完全に現状復帰することはできない。元の野山に帰すことはできないが、建屋や構築物の撤去はもとより、各地の原発に大量にプールされた放射性廃棄物や使用済み燃料棒をどのように処理するかをまず議論しなければならない。最終処分場さえ決まっていない現状に目を向けて、処理場や処分手順を確立しなければならない。その処分期間だけで30年以上もかかるとされている。それが全国に50基以上も存在するのだ。核技術は今まで以上に各所で新しく開発されなければならないだろう。製造よりも廃棄の方が格段に困難なのは素人目にも明らかだ。そして原発運転の各技術というのならシュミレーションを東海村にでも一ヶ所造っておけば良いだろう。ジャンボのパイロット養成にもシュミレーションが使われている。これなら事故を起こしても放射能汚染は伴わない。
これまで原発のために大盤振る舞いしていた「電源開発費」を自然エネルギー開発に振り向けよう。日本が世界の自然エネルギー開発の最先端国になるのが世界を放射能汚染した国としての責任としてあるべき姿ではないだろうか。そして原発の廃炉へ向けて手順を確立し、各種核技術をマニュアルとして確立するのが、今後の世界にとって何よりも必要ではないだろうか。
ウランもすでに枯渇期へ向かっている。原発も化石燃料と同じく限りある存在でしかない。自然エネルギーこそが安全にして無限のエネルギー源なのだ。