松田賢弥氏のステレオタイプな切口はジャーナリストとはいえない。
これまでも様々な田中角栄氏と小沢一郎氏とを対比した読み物が書かれている。松田氏も日本を代表する国民政治家の師弟を対比させて読み物を書いたつもりなのだろう。しかし、不真面目な創作として読むのなら良いが、時代を鮮やかな切り口で切って見せるジャーナリストとしては立花隆氏のモノマネでしかない。それも相当程度の悪いものまねだ。
田中角栄氏が逮捕と同時に離党し派閥からも離れたのを潔いと持ち上げ、小沢氏が「党員資格停止」という理不尽な仕打ちを受けながらも民主党内に留まっているのは可愛くない、と言いたいのだろう。しかし田中角栄氏は総理経験者の逮捕であり、小沢氏は元秘書の「西松建設不法献金」による逮捕に他ならない。それも極めて怪しげな逮捕だったことは、官僚から官邸へ出向していた官房副長官が「自民党議員には逮捕者は出ない」と予言し、その通りになったことからも「国策捜査」だったことは明快だ。
小沢氏が政党を解散したり結成したりするのに関して政党助成金の取り扱いが不透明、という古証文のようなガセネタを持ちだして小沢氏を非難しているが、その間の経緯と政党助成金の関わりは平野氏の著述で明らかに記載されている。万が一にも「怪しい」ければ、東京地検特捜部や国税庁査察部が放置しているわけがないだろう。小沢氏から名誉棄損で訴えられかねない記事は書かないことだ。
そして田中角栄氏が逮捕されたことを書いたのなら最終結末まで書くのが礼儀ではないだろうか。田中角栄氏は公判途中で死去された。判決は確定していないし、田中角栄氏の唯一の物証とされた米国当局がコーチャン氏を「司法取引」により尋問した「調書」、つまり「嘱託尋問調書」を検察が唯一の物証として提出し日本の裁判所は証拠採用して公判を維持した。
しかし田中角栄氏の死後一年余後、最高裁判所はロッキード事件全日空ルートの公判で「嘱託尋問調書」を証拠採用から除外した。つまり法治国家たる日本の司法当局にとって超法規的に認めた他国の当局による司法取引という条件でなされた証言を「証拠」とした裁判所の不名誉を回復するために、最高裁判所は証拠から外したのだ。
こんなバカなことが許されるだろうか。かくも無理筋の裁判を田中角栄氏に対して続行していたという証拠だ。本当のジャーナリストが日本に存在していれば、田中角栄氏の死後ではなく、生前に「嘱託尋問調書」などという摩訶不思議な代物を裁判所は証拠採用できなかったはずだ。そして今回の小沢氏を嵌めようとした「陸山会事件」のような程度の悪い冤罪騒動ははじめからなかっただろうし、検察が大手マスコミのバカな記者たちやテレビ制作当局やMCや恥知らずなコメンテータなどを総動員して小沢氏を貶めることもなかっただろう。
しかし未だにジャーナリストを自称する連中が言論界に跋扈して、ネット市民には反故でしかない「創作ガセネタ」を持ちだして、尤もらしい顔をして第二の立花隆氏を気取って見せる。
田中角栄氏が闘った相手は誰だったのか、そして現在小沢氏が闘っている相手は誰なのか、それさえも判らず、売文をマスコミに持ちこんで買ってもらおうと腐心する。一度自身の姿を鏡に映してシゲシゲと見詰めることだ。気色悪さに吐き気を覚えるだろう。