「無罪」でも説明責任、とは。
後藤某なる政治評論家が「グレーゾーンの広い無罪だ。説明責任はある」と偶々視た昼のテレビ報道番組で評していた。バカも休み休み言うものだ。
一審とはいえ「無罪」判決が出た意味は重い。日本の大手マスコミがこぞって検察の捏造情報を大本営発表よろしく全国紙やテレビで「政治とカネ」なる実態不明なプロパガンダを執拗に3年も繰り返し、国民に刷り込んできた。その上での「無罪」判決に「グレーゾーンが広い」から「無罪でも説明責任」が必要だと評したが、説明責任があるのは大手マスコミの方ではないだろうか。
同じ番組で河村某なるコメンテータはかなり物事の本質を捉えた評論をした。つまり小沢氏の無罪判決の言い渡しで裁判官は検審会の議決は適法と認めたものの、検察の偽造事件報告書を批判し却下したことから、検審会が求めた「疑わしいため裁判で白黒をつける」とした議決は根拠を失っている。普通の三審性と同じに強制起訴を論じることは出来ない、と論評を加えた。かなりマトモな指摘だと思う。
大手マスコミは一連の小沢氏に対するここ3年の報道を顧みて穴でも掘っては入らなければならないのではないだろうか。大きな顔をして小沢氏をネグレクトする論評を加えるのはいい加減やめたらどうだ。もっと潔く自らを恥じて引退し、社会奉仕に福一原発へ赴いてはどうだろうか。彼らは概ね原発建設を促進する勢力に加担して来たのだから。