官公庁の怠慢ぶりの源泉は国民IDカードを発行していないからだ。
どんなことでも良い、用事があって役場へ出掛けると窓口を盥回しされた記憶をお持ちだろう。親族が亡くなり、その事後処理の各種事務手続きにここ数日ほど費やして実感するのは官公庁がこれほど非効率な事務を日々遂行しているのだと身に滲みたことだ。
亡くなった親族の戸籍謄本を取るのにその人の本籍地へ赴き、親族関係の証明を「自動車運転免許証」で行う杜撰さには驚く。もちろん指紋を取られるでもなく、顔写真を撮られるでもなく、窓口の担当者が運転免許証の写真と自分の顔を見比べて「確認」するというものだ。しかるべき偽造の職人に頼めば運転免許証の偽造は簡単に出来る代物ではないだろうか。
そして自分と親族が暮らしていた自治体の窓口で住民票取り、当該市の社会保険事務所へ赴いて親族の死亡に伴う手続きを行う。
国民の視線で見れば市役所であろうと他の町であろうと社会保険事務所であろうと、すべては「官庁」である。それのどの窓口へ行け、と命令されて右往左往する労力と時間を官僚は考えたことがあるのだろうか。
やっと国民背番号を割り振る、という法案が提出されるようだが、その管理に第三者機関を設置する、という。またしても「問題解決の影に官僚の増殖あり」だ。
民間企業で社員の管理にIDコードを用いていない企業があるだろうか。そのコードにすべての個人情報を集中して管理するのが常で、IDコードさえあけば一瞬にして社員のすべてが判明する。それに対して「個人情報管理の原則に反する」と抗議するバカな社員はいない。
先進国で国民にIDコードを割り振って管理していない国は日本だけだ。しかし、官庁の窓口が細分化され、国民があっちこっちの窓口を盥回しされるのは、官僚たちの仕事確保には好都合かもしれない。非効率さが公務員仕事の真骨頂なら、当然にして妥当なあり方なのだろう。しかし利用せざるを得ない国民は大きな迷惑だ。そろそろすべての官庁の窓口をワンストップにすべくIT化を本気で考える時期ではないだろうか。