『臭いものに蓋』では真の友好関係は醸成されない。

 臭くないところに異臭を放つ話を創作し、広く伝搬させるのがプロパガンダの常套手段だ。その『臭いものに蓋』をしていて国家間の友好が促進されるわけがない。


 「南京大虐殺」が真実なら素直に認めて詫びるが、史実の何処にもない「創作」を中国政府が国家プロジェクトとして国民に教育し「記念館」まで建設して歴史の証として保存するとは何事だろうか。


 それに対して本当のことを名古屋市長が口に出しただけで、南京市が姉妹都市交流を一時停止するとはいかに思いあがった態度だろうか。中国政府も「日中国交40周年に障る」としているようだが、まやかしの『友好関係』など深めたところで何になるというのだろうか。


 


 産経新聞が原発停止に関して「すべての原発停止により一日100億円の国富が失われ、年間だと1兆円の国富が失われる愚策だ」と『主張』氏をして謂わしめている。


 原発停止と国富との間にどれほどの関係があるというのか分からないが、少なくとも原発停止によって新たな『除染を必要とする場所』の拡大はないはずだ。少なくとも福一原発周辺のような人の住めない場所は拡大しないはずだ。チマチマとした天然ガス購入費が余分に掛かるから『国富が失われる』という議論をするのなら、放射能汚染による国土の喪失と国民の被ばくによる健康被害をどのように考えるのだろうか。


 


 原発と同居する恐怖に満ちた日々を送るより原発のない放射能汚染のない安心の環境を取り戻すことの方がどれほど『国富に』資するだろうか。原発を稼働すれば電気が低価格で安定的に供給できる、というのはまやかしだ。少なくとも原発の発電単価には放射性廃棄物の最終処分のトータルコストや廃炉に到るトータルコストが積算されていない。『臭いものに蓋』をした状態で天然ガス発電と比較して『国富が失われている』と騒ぎたてるのがマトモなジャーナリストの態度だろうか。


 


 『臭いものに蓋』を前提として議論してはならない。臭いものの根を除去しなければいつまでも悪臭を発してしまうだろう。大手マスコミは原発の応援団として『売電事業』があてにならないとの論陣を張っているが、記事を子細に見ると当然の話でしかなかった。つまり『売電事業』会社とは電気発電している会社から余剰電気を買い取り電気を供給する事業を行っている会社であって、自ら発電して売電しているのではない。それなら現在のように電気の需給関係がタイトになれば発電会社は自分で売ったり使ったりするから売電会社に売る電気が細り事業として撤退するしかないことになるのは当たり前のことだ。


 必要なのは太陽光発電や風力発電などの自然エネルギーを利用した発電を国家事業として行うことだ。これまで原子力へジャブジャブと注いでいた補助金を振り向ければ簡単に出来ることだ。いつまでも原発に色目を使う官僚を一日も早く更迭して、『臭いものに蓋』の発想を一掃することが何よりも必要だ。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。