少年の衣服にも罰として放火すべきだ。
こうすればどうなるだろう、という想像力の欠如というよりも、人間性の欠如というしかない。人の衣服に放火した少年のことだ。火をつけられたホームレスの女性は意識不明の重体だという。衣服に放火されたサラリーマンは幸いにも軽傷だったという。
それにしても卑劣極まりない犯罪で、少年であろうと何であろうと、放火及び殺人未遂の重罪で裁くべきだ。
こうした場合、必ず少年の味方をする「人権派」弁護士なるものが登場し、薄っぺらな人権擁護を説く評論家が「社会の問題」に転嫁して騒ぎ立てるだろう。しかし彼らが何と喚こうと少年の卑劣極まりない犯罪が突如として美談になるわけではない。「罪を憎みて人を憎まず」などというまやかしはやめるべきだ。罪は人が行うもので、それをきっちりと裁かなければ社会秩序は崩壊するだろう。
人は平穏無事に過ごす権利がある。それが路上であろうと公園であろうと、社会秩序によって護られているべき人が謂われなき犯罪に巻き込まれるのは理不尽極まりない。
古来より放火は重罪とされていた。江戸時代は火炙りの刑に処せられた。人の衣服に火をつけて楽しむような少年がたとえ改心しようと、隣近所で仲良く暮らしたいとは思わない。刑を終えて社会復帰しても彼が何処にいるのか、情報を適宜得たいと思う。常に用心しなければ危険だと思わざるを得ない。