新党の評価は時の経過とともに定まる。

 橋下氏の新党「維新の会」に菅氏が苦言を呈したようだ。具体的な政治に関わると、人の嫌がる政策もしなければならなくなる、というのだ。まさか野田氏の「税と社会保障の一体改革」を念頭に置いたのではないだろうが、国防に関しては基地の町に国民の負担を押し付けている、という側面は否めないし、現在進行中の「放射性廃棄物」の「中間貯蔵施設」の場所確保にしてもそうだろう。


 


 そうでなくても新党がどの既成政党と組むかも問題だ。今は「みんなの党」が維新の会に秋波を送り擦り寄っているが、みっともない限りだ。ところがここに来て、維新の会が時期総選挙で大阪地区6選挙区で公明党を支援するというニュースが流れた。


 独立独歩で行けば良いのに、よりによって「公明党」を支持するとは。憲法規定「政教分離」に抵触している可能性の高い「宗教政党」に維新の会が支援することにより「政教分離」条項をクリアしようとしているのだろうか。それならここ一年ばかり熱に浮かされたような「橋下ブーム」とは何だったのだろうか。


 


 公明党が解党して各政党を支援するのなら「宗教政党」はなくなることになる。それが最も望ましい形だ。そうではなく、公明党を維新の会が支持するという。これではあべこべだ。


 なぜ宗教政党がダメなのかは論を俟たない。宗教の根本は様々な異議申し立てはあろうとも「思考停止」以外の何物でもないからだ。例えばキリスト教は「キリストの復活」を信じることから始まる。科学的にありえないことが起こるから信仰に値するのだろうが、断じて「インチキだ」と批判してはならない。すべては「真実だ」と受け入れて有難がることだ。それこそが信仰の本質だ。


 


 創価学会とはどんな宗教なのか知らない。最初は日蓮上人の興した「日蓮宗」を教義の中心に据えて「大石寺」に拠り所を得ていたが、現在では寺と縁を切って独自の信仰をやっているという。いわば「池田教」なのだろうが、その本質は良く分からない。唱えているのは「法華経」だから、いずれにせよ仏教の一派とみなすことも出来るが、そのように分類されることを創価学会は了としていないようだ。いずれにせよ良く分からない宗教で、それだけにご都合主義宗教の思考停止が空恐ろしい。人の生き方を問う宗教の範疇に留まっていれば問題ないが、現生益を謳いだすと「ネズミ講」と同じ範疇となり何をしでかすか分からない。それが徒党を組んで政治に乗り出しているから問題なのだ。


 


 橋下氏はそうした「宗教と政治」の問題に一定の見解を得て「支援」に乗り出したのだろう。是非とも橋下氏の見解を伺いたいものだ。これは検察が捏造して大手マスコミが必死に拡散刷り込みをした小沢氏の人格攻撃たる「政治とカネ」のプロパガンダのスローガンとは訳が違う。前述したように宗教の本質は「思考停止」だ。教祖様を疑ってはならないし、教義を頭から信じ込まなければ宗教は成立しない。それが個々人の「思想と信条」に留まっている間は自由だが、徒党を組んで政治に乗り出せば教祖様が実質的に国家元首として君臨することにもなりかねない。そうならないまでも、創価学会の全国各地にある各種施設が「宗教施設」として固定資産税などが非課税となっている実態の改正が出来ないのも政治に宗教が関与している成果なのだろう。


 


 大阪都構想では宗教法人に大甘なマニフェストが提示されるだろう。それでなくても宗教は「オイシイ事業」として宗教法人が1億円ほどで取引されているという。こうした実態を他の事業と比較して是正しなければならないのが政治だ。しかし政治家が宗教に毒されてはそうした発想は出てこない。何とも困った存在だが、民主主義国家では「思想信条」の自由は認められなければならない。さもなければ全体主義になってしまうのだが、その宗教が万が一にも国政選挙で過半数を制すると飛んでもない弾圧国家が出現することになりかねないが、そうした危険性に宗教学者の多くは能天気のようだ。そして橋下氏も同類だと判明した。



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