「陸山会」事件に関し、この国の大手マスコミの責任を問う。

  どうしても書かざるを得ない強い憤りを感じている。偶々視聴したテレビで昼の報道番組紛いの番組をやっていた。そこで小沢氏が来年四月にも出される判決で無罪になったら政局にどのような影響が出るか、有罪ならどうだと井戸端会議にも劣る会話を記者上がりのコメンテータや若い弁護士やタレント紛いの大学教授が予測して楽しんでいた。それ自体が「小沢氏の陸山会事件」の裏にどのような陰謀や策略があるのか明白な検察官僚と司法官僚の暴走を指摘しない、まさしく官僚広報機関たる大手マスコミの姿勢に沿った幇間たちの姿に他ならない。それはそれで、そのような軽い人物がいつの時代でも、どの国でもいることは認めよう。誰しも国を動かしている権力に逆らわないで、美味しい仕事にありつきたいのは同じだろうから、バカな自分自身を世間に曝して恥をかくが良い。しかし、北野たけし氏の兄を売り物にしているコメンテータが「小沢氏はたとえ無罪になろうと道義的責任がありますからね」政治の表舞台に出るべきでない、とでも言うかのような暴言を吐いたのには怒りが遂に沸騰した。


 


 語るに落ちるとはこのことだ。人は無罪になっても起訴され裁判にかけられただけで道義的責任が生じる、と考える程度の人物が大きな顔をして大学で学生に何かを教え、テレビに出演して大きな顔をしているのだ。彼の前では「推定無罪」の憲法に定められた基本的人権もヘッタリレも何もあったものではない。たとえ無罪でも「道義的責任があるから一歩退くべきだ」というのだ。つまり検察に睨まれた人物は世間の第一線に立ってはいけないと言ったのに等しい。なんという官尊民卑の卑しい発想だろうか。


 


 今朝のどの大手マスコミの発行する新聞を読んでも「陸山会」事件なるものの本質を報じないで、被告人質問で小沢氏が「陸山会」に関することは秘書に任せていた、というのは秘書に責任をなすりつけて逃げている、と断定的に書いている。


 国会議員が国政に専念し、後援会事務を秘書に任せっ放しにして何が悪いのだろうか。それとも政治家は一日の終わりに秘書全員を集めて後援会の現金勘定の確認と領収書を突き合わせなければならないのだろうか。政治資金収支報告書を提出する前にその中身を一々点検し算盤を弾いて検算し、添付された領収書などの帳票を検討し内容を今一度点検せよというのだろうか。


 それならそのように政治資金規正法を改正して企業会計原則に準拠した複式簿記とし、監査人の選定を義務づけ、政治家の署名捺印を義務付けるべきだ。それでも政治家が「秘書がやったことだから」と言えば嘘だと断定しても良いだろう。


 


 北野タケシ氏の兄は「小沢氏が無罪になっても国民は道義的責任があると思う」と述べた。それは誰に対する何に対しての道義に悖り、どのような責任がある、と思っているのだろうか。


 間違いなく、小沢氏は検察により狙い撃ちされた。いわば何事もなく道を歩いていた人に対してそこを縄張りとするヤクザが因縁を付けた。散々小突き回したうえで「まあ、いいや」と放免した。すると近所のチンピラが出てきて「あのヤクザが小突いたのだからお前は疚しいことがあるのだろう」と吊し上げている、というのが現在の小沢氏の立場だ。それを瓦版屋はヤクザの親分に遠慮して「小沢氏は疚しい」と書き立てた。つまりそういうことなのだ。


 


 法治国家の司法当局なら「法と証拠」によるべきだが、小沢氏に関しては「推認」だけで充分なようだ。そのように大手マスコミもテレビで報じ幇間コメンテータが検察の意向に沿った意見を述べる。ジャーナリストも「小沢氏の4億円の説明は2転3転している」と、自分たちの頭の中がお粗末なのは棚に上げている。


 個人的なカネと後援会のカネを区別するのは当たり前のことだ。そのことを混同してカネがあるのに銀行から借金したのはワケが分からない、というほどのバカが大きな顔をして大手マスコミの新聞に記事を書いている。商業高校の生徒に聞いてみるが良い、その程度のことは笑いながら教えてくれるだろう。そうした低俗な「報道番組」によってこの国の国民は洗脳されているのかと思うと暗澹たる思いに気が重くなる。どうしても大手マスコミによる電波独占を禁止し、自由な電波入札をしなければならないと思う。



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