故意の思い込みと下世話な「推認」はどうにかならないのだろうか。

  小沢氏が不動産取得に用立てた「自分のカネ」と、銀行に融資を仰いで「陸山会のカネ」として小沢氏に返済した4億円を巡って、故意に混同して質問しているとしか思えない裁判の被告人質問だった。


 指定弁護士は4億円の使途について秘書と話さなかったのか、と問うと小沢氏は「寮を建てる土地購入のためだろうと思ったが、それが何時かは話していない」と返答している。政治家と秘書のやり取りとして何ら不思議ではない。


 


 秘書と政治家との関係は経営者と従業員の関係よりももっと濃い。経営者なら従業員が勝手に辞めようがそれほど大したことではないが、秘書が勝手に辞めれば大抵の政治家は動揺するだろう。なぜなら秘書は政治家の意を読んで後援会や陳情者と対面している。政治家の支持者とも強い絆を構築し、政治家がいなくても選挙を仕切ることもある。その秘書に対して政治家の生死に関わる選挙でもない、秘書たちの寮を建てる不動産購入に関して一々報告を受けるだろうか。しかも小沢氏ほどの大物政治家が。


 


 人は自分の観念で相手を観るものだ。いじましい者は相手もいじましい人物として接するし、浮気性の男は最も信頼すべき愛する女人に対しても「浮気をしてはいないか」と疑うものだ。金銭に対して細かい者は被告人も金銭に対して細かいと決めてかかる。それは庭に土を運ぶ「トラックを持っている」と言いあう二人がいて、一人は「10回は往復しないと駄目だろう」と言い、一人は「いや、一回で済む」というのと似ている。前者が「持っている」トラックは軽四で後者の持っているトラックが一〇㌧ダンプだったとしたらどこまでいっても話は噛み合わないだろう。トラックの場合は具体的だから話しが錯綜する原因が分かり易いが、金銭感覚や秘書との信頼関係の場合はモノではないから分かり難いだけだ。しかし、それは観念の話であって、小沢氏と同等の観念を有する者なら何の疑問もなく得心できるはずだ。


 


 1/12の『産経抄』氏は伊藤博文氏の『女好き』を例に挙げて、伊藤博文氏が芸妓と遊んでいても天下国家を考えている、と小沢氏の「常に天下国家を考えている」との言辞を揶揄しているが、これも浮気男が愛する女人の「浮気」を邪推するのに似ている。抄氏は国家の指導者の立場に立ったことはおろか、小さな会社でも経営者として従業員の生活を一身に引き受ける立場や、小隊長として部隊兵士の命に責任を負う立場に立ったことのない人だと推測するしかない。


 小沢氏が常に「天下国家のことを考えている」と話しているのは本当のことだろう。伊藤博文氏の名誉にかけて一言だけ抄氏に言いたいことがある。当時は売春は違法ではなく、街なかに遊郭があり男たちは酒を呑むのと同じ感覚で遊郭の門をくぐっていたし、座敷に呼んだ芸者たちと浮名を流しても誰も咎めはしなかった。余り明治の元勲をバカにしないことだ。当時は世間大衆も現在の週刊誌や大衆紙のように「浮気だ」「不倫だ」として人身攻撃はしなかった。むしろ『いつまでも元気でよろしい』と微笑ましく見ていたものだ。


 伊藤博文氏が一人女好きだったわけではなく、抄氏も女は嫌いではないはずだ。ただ昭和31年を以て日本では管理売春行為は法で禁じられ、個人的であるにせよ抄氏が妻帯者なら芸妓たちと性交渉を持つことが現在の倫理観では許されないだけだ。


 


 個人商店でも『奥』と『店』とのカネを区別するのは当然のことだ。小沢氏が4億円持っているのになぜ銀行から4億円借りたのか理解できない、とする論調が大手マスコミに溢れているが、それこそ理解できない痴呆症だといわざるを得ない。小沢氏個人のカネと陸山会のカネとを区別するのは当たり前で、区別しないのなら『寄付金』の欄で記入しなければならないだろう。しかし政治家個人からの『借入金』は記載要件に挙げられていないから書かなかったとしても何ら問題ではない。こうした明快なことをクダクダと繰り返し根掘り葉掘り聞くのはなぜだろうか。指定弁護士だけでなく、同じことを裁判官まで聞いている。彼らには商業高校程度の会計知識すらないのだろうかと首を傾げざるを得ない。それとも「推認」に次ぐ「推認」判決を書くために故意に惚けているのだろうか。



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