死刑制度に対する私見。
世界的に死刑制度を廃止する傾向にあるようで、日本でも死刑廃止論者が増えているように思われる。しかし、殺人を犯した者に対して死刑以外に罪の償い方があるのだろうか。
殺人は人の命を不法に奪うことだ。命を奪った方がこの世に残り様々な議論の対象になるが、殺された方、つまり命を奪われた者の人権はほとんど議論の対象とされない。ましてや犯人が薬物使用者や精神障害者、あるいは未成年の場合は量刑そのものに斟酌が加えられる。
殺された者の人権はどうなのだろうか。既に口がないから命を奪われた者の怒りや恐怖や無念さを誰も代弁できない。生きている者が推測するしかないが、到底殺された本人に成り替わることはできないだろう。
普通なら当然この世にいて、様々な人生を生き続けている人たちの人権が余りに蔑にされてはいないだろうか。健常者なら概ね二人以上殺害しないと死刑にならない。つまり殺された者の人権は殺した者の半分でしかないことになる。
ましてや精神異常者や薬物依存者なら量刑が減じられる現行制度は殺され損に等しい。それで本当に良いのだろうか。正常な判断ができないから罪に問えない、というのが論拠のようだが、殺人を犯す者の精神状態は果たして正常なのだろうか。異常な錯乱状態や独善的な精神異常だから人を殺せるのではないだろうか。つまり殺人を犯せば何人であろうと法の下に平等に裁くべきだと思う。たとえ精神異常者で精神病歴があろうと、殺人を犯せばこの世の公序良俗の埒外に置くべきだ。
殺された者の人権はほとんど考慮されない、全く無きが如しの現行法に対して異議を唱える。たとえ一人でも殺人を犯せば死刑に処すべきだ。その犯人が精神病者であろうと未成年であろうと薬物中毒者であろうと。
ただし、執行に際しては冤罪の可能性が1%でもあるうちは保留すべきだ。つい先日も当時17歳の服役中の32歳男性が殺人事件の真犯人と判明した。人間のやることだから100%正しいとは言い切れないが、昨今の警察や検察のお粗末さには法の番人としていささか信頼に欠けるきらいがある。だから死刑判決確定後半年以内に執行すべき、とする現行法も改定すべきだといわざるを得ない。
刑罰には「更生」の側面もあるではないか、という死刑廃止論者の声が聞こえるが、それは殺人まで犯していない刑事犯の場合に適用される論理ではないだろうか。殺人という他者の人権を根こそぎ奪った者に対して、事情を斟酌すべき余地があるだろうか。たとえ殺された者が極悪非道な者であったにせよ、それを殺した者は自分の命で購うしかないだろう。人の命は地球よりも重い。その言葉を生きている者はしっかりと噛み締めなければならない。