危機管理なき意識の低い公僕たち。

  昨年3/11の大災害による福一原発放射能漏れという未曾有の事故を受けて官邸内でどのような動きがあったかはもとより、対策を話し合った会議の議事録すらないという。この国の政府トップたちの動きはすなわち国家そのものの意志であり意志決定であるはずだが、それが主権者たる国民の負託を受けた公的行為でありすべては記録に残され史料として歴史の批判を浴びるべきものでなければならない。


 


 善きも悪しきも、すべては記録として録画・録音されているものと思っていた。もちろん私的な場所は除くとしても、公的な会議室や執務室のやり取りはすべて記録として残されているものと思っていた。録音だけならIC録音機に見られるように、小さなICチップで数時間も録音できる。当然それ相応の機器を秘密室に備えてすべての官邸内の情報を把握し管理しているものだと、国民の一人として思っていた。


 


 この国のトップたちは何という公僕意識の欠如した人たちなのだろうか。自分たちの一挙手一投足がこの国の歴史だという意識のなさには驚きを禁じ得ない。その緊張感のなさが平気で官邸内で宴会をしたり官邸内で顔をぶつけて眼帯したりするのだろう。その緊張感のなさが時代的な誇張した「不退転」などという常軌を逸した言葉を濫用させるのだろう。


 


 増税することに「不退転」の決意をするのなら、被災地に対して二度と同じような津波被害による犠牲者を出さない復興と地域造りにこそ「不退転」の決意を示すべきだろう。その方はゆっくりと10ヶ月もかけて「復興庁」を作って霞が関官僚たちの利権の巣窟を作ってやり、このデフレ下という経済状況での増税という経済原則に悖る政策には前のめりに突き進む。野田氏もだが野田内閣を支持する民主党国会議員たちはどうかしている。


 


 しかし図らずもこの国のトップたちのいい加減さが露呈された。小沢氏を「強制起訴」へと導いた第五検審会の委員はおろか議事録すら公開されていない。いや議事録はないという仄聞すら伝わるに到っては、人一人の人権を左右する人たちの意識の低さに驚くし、民主的な法治国家として決してあってはならないことだと、この国の国会議員たちはなぜ全員が最高裁判所や最高検察庁のしかるべき人たちを国会に呼びつけて喚問しないのだろうか。


 分かり切ったことだが、彼らは彼らの権利でそうした公的行為をしているのではない。国民の権利の負託があって三権分立の一角を任されている。そうした民主国家の原理が解らない前世紀の遺物が司法権にとぐろを巻いているとしたら、軍事政権か独裁政権などと同じく日本は暗黒国家に他ならないではないか。


 


 一事が万事だ。官邸内の会議に議事録がないとは驚天動地だ。いかなる会議であろうと居酒屋の雑談ではない。すべては国家と国民にかかわる事項だ。それらに関わっているという意識のなさが録音装置を備え付けていない官邸を造ってしまっているのだろう。官邸を設計した人も意識の低さを感じるし、官邸に出入りしている人たちも意識の低さを感じる。それは官邸や政府は国民の税により賄われている施設であり、永田町や官邸や霞が関の住人も税により暮らしている公僕という意識のなさの現れだ。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。