憲法は不磨大典ではない。

  日本国憲法を不磨大典のように崇める人たちがいる。曰く「平和憲法だ」として、日本憲法を死守するのが日本を平和へと導く道だとする人たちだ。


 日本憲法に謳っている事柄は、しかし非現実的な概念でしかない。あたかも個々人が不老長寿を願うのと似ている。いつまでも老いなく、永遠の命があれば良い、と願うのは限りある生命体である人間の宿命だ。しかし、それが夢物語であると普通の常識人は料簡している。


 


 武力で外交問題を解決しない、とするのは理想だ。そうでありたいと願うが、国際社会はそういう状態ではない。各国の指導者が聖人君主ばかりでないことがそうしている。隣国の指導者たちはどうだろうか。国際社会で合法的と認められている範疇で我が国との国境問題を解決しようとしているだろうか。残念ながら現実はすべて隣国たちの独善的な振る舞いで我が国の国土は侵害され、もしくは侵害されようとしている。


 


 憲法は矯正下着ではないが、奇を衒う衣装でもない。当たり前に暮らす則の基本を示すべきものだ。日本国民が国際社会で当たり前に暮らすのに合わなくなれば、採寸をし直して体に合わせればよいだけだ。日本は憲法改定を厳しく規制し過ぎている。憲法改正に国会議員の2/3以上の賛成を必要とする国は世界の民主主義国家にあって稀だろう。殆どは1/2以上の賛成で事足れりとしている。


 


 日本国憲法で改定すべき事柄はまず軍隊に関することだ。世界の普通の国家として「国民が国防に従事する」と規定するのは当然のことだ。そして他国からの武力侵攻に備えて攻撃力も備えた軍を保持するのは当たり前のことだ。


 それだけではない。国や地方自治体など公的な機関はすべての情報を開示することとしなければならない。米国のように30年基準を設けて、国家として最高の外交機密も開示すべきだ。そうすれば日本の官僚たちも少しは襟を正すだろう。


 


 国の在り方と国のカタチを定める憲法が不磨大典であってはならない。時代とともに必要とされるカタチは変わってくる。それに憲法も合わせなければならない。憲法を後生大事に奉って、国土が侵害され国民が外国軍に蹂躙されて良いはずはない。そうした事態に対して不断に備え、一旦事があれば外敵を撃退できるだけの軍隊を保持していなければならない。世界で当然のことが掛かれていない憲法は欠陥だ。それを改定するのに何の躊躇いが必要だろうか



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