国家戦略会議を立ち上げたようだが。

  野田氏が一度は廃止の憂き目にあった「国家戦略、」を再び立ち上げたと報じられたが、これまで日本政府内に「国家戦略会議」がなかったことが驚きだ。戦後のほとんどの期間を政権党として政権運営してきた自民党はどうやって日本の長期戦略を見据えて来たのだろうか。しかも野田氏の考える「国家戦略会議」とは外交・防衛を議論することではなく、災害復興を議論するのを本旨とするようだ。その程度の会議なら会議の立ち上げが趣味だった前任者によって3.11以降に山ほど作られたのではなかっただろうか。


 


 「国家戦略」は如何なる国家にとっても必ずなければならない。この国にも当然恒久的な組織として存在していなければならないが、それがなかったというのはどういうことだろうか。たとえば劇的な戦後復興と経済成長を目指した池田氏は突如として彼の脳裏に「経済成長させるべき」との戦略が閃いたのだろうか。沖縄を米軍の施政権下から取り戻した佐藤氏は首相に就任するや「沖縄返還すべき」と天の声を聞いたのだろうか。国家戦略として長期的な、首相が代わろうとたとえ政権が交替しようと、日本の進むべき方向を議論し決定すべき機関として「国家戦略会議」は存在し続けなければならない。


 


 それは官僚組織から独立したもので、日本の英知を結集したもので、首相の任命権はあっても12人程度のメンバー全員を一度に代えることは出来ず任期を3年なら3年として毎年1/3ずつメンバーを代える、ただし再任は妨げないとしてメンバーを指名する権限は首相にあるとすることだ。そうした長期的視点を持った官僚組織も含めた国全体の運営の絵を描く組織は必要だ。


 


 そして国会で堂々と「国家戦略会議」構想を議論して、立法の府でキチンと認知すべきだ。首相の私生児のままお飾り程度に国民の人気を集める道具としてもてあそばないことだ。そして首相の権能を制限する権限を「国家戦略会議」に持たせることだ。そうしなければ村山氏のような人物が首相となって自分の思いだけで世界に笑われるほどの謝罪の談話を勝手に発表してしまいかねない。


 


 民主党の決定的な欠点は党そのものに「国家戦略会議」のような機能のみならずそのような思考回路すら存在しないことだ。大臣になった途端、それぞれが勝手に国家運営の根幹にかかわることを勝手に発言したり、引っ込めたりしている。少子化対策も短期的に改廃しては何ら効果をあげないどころか、かえって国に対する不信感を国民に与えかねない。そして「国家戦略会議」で議論すべきは年金の在り方を決める権限を厚労省から取り上げて、「国家戦略」として国民の命と健康にかかわる事項は長期的視点から議論すべきだ。


 


 政治主導の金字塔として「国家戦略会議」を国会は認知し、政治家の最終目標は「国家戦略会議」のメンバーになることだと誰もが思うようになることだ。そのためには政治家も視野を世界に拡げてこの国の歪な部分を直視するようにならなければならない。微視的な「三次補正は協力するが、それ以降は戦争だ」といった馬鹿な政局に身を窶すのが政治家の本分だ、と愚かな認識を披歴する政治家はいなくなるだろう。この国と国民の事を考えない者は選挙に立候補した段階で有権者から笑われ、当選は到底覚束ない国民世論を形成しなければならない。


 


 お笑い芸能程度の政治風景を変えなければならないが、野田氏自身が情緒的な詩人の文言を大真面目に国会演説で引用し、それを持て囃す大マスコミの低次元な論説が幅を利かす限りは無理かもしれない。昨日も国会で野田氏は「一粒の花の種を蒔きたい」と寝惚けたことを大真面目に語っていた。その前は「泥鰌は泥鰌で良いのだ」とあらゆる努力を否定するかのような詩人の情緒的な文言を引用して悦に入っていた。かくも稚拙な人物に哲学的な「国家戦略」を構築する能力はあるのかと疑問を抱かざるを得ない。



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