清浄の中で清浄に、不浄の中で不浄に、

  平岡秀夫法相が「死刑廃止論者」か否か知らないが、法相の個人的な見解を国家行政に持ち込むべきではない。刑罰は「報復」なのか、それとも「社会復帰の教育期間」なのかといった議論があるが、それも犯罪の程度によるのではないだろうか。


 


 特に殺人においては「殺された者の人権」を考えれば厳罰で臨むしかないだろう。現在の刑法では精神障害者や同等の精神疾患にある者の罪は減じることになっているが、それですら殺人においては考慮すべきではないと思う。殺された者の無念を思えば、殺人者がたとえ精神喪失状態であろうとそうした精神疾患を量刑判断に持ち込むべきではないだろう。


 


 殺人事件の被疑者を受け持った弁護士は必ず「精神喪失」状態にあってマトモな判断能力を問えない状況にあった、故に死刑判決を排除すべきと量刑軽減を求めるが正しいことなのだろうか。精神疾患者であろうとなかろうと、殺された者の生存権を奪われた無念さを思わない者は想像力の欠如といわざるを得ない。


 


 特に日本の刑罰は量刑の重さにおいて死刑と無期懲役の間には決して乗り越えられない天と地ほどの開きがある。無期懲役といいつつ実は「永遠の懲役」ではなく、単に期間の定めのない懲役に過ぎないのだ。こんなバカな話はないだろう。世間の常識からいえば「無期」とは無期限に、つまり死に到るまで刑務所で過ごすのが相当と思料すべきではないだろうか。


 


 日本の刑罰も無期を廃して刑罰の「加算方式」とすべきだろう。懲役60年とか80年とかがあっても良いのではないだろうか。そして死刑に関してはそうした量刑のあり方の中で判断すべきだろう。現行の刑罰制度の中で死刑廃止には強く反対するしかない。懲役罰の最高罰則たる無期懲役といっても20年前後で出所する、若者なら十数年程度で出所する。それで殺人を犯した者がリセットしたとして社会に受け容れるのが相当だろうか。


 


 殺人に関してだけは他の刑罰とは切り離して議論すべきではないかと思う。たとえ精神疾患者であろうと、殺人を犯せば正常な者と同等な責任を負うべきだ。殺人とは相手の全人格と生存権を根こそぎ奪う犯罪だ。断じて許されるべきではない。現行刑罰では最高刑たる死刑で臨むのが相当だろう。


 死刑が懲罰刑として残酷だ、というのならキチンと国会で議論して廃止を制定しなければならない。そうした上で死刑執行は停止されるべきで、現行の法相の個人的な意思によって執行が停止されるのは法体系のあり方として不備といわなければならない。こうした不備な状態は死刑判決を受けた者に対しても残酷な状態を強いているといわなければならないのではないだろうか。


 


「清浄の中で清浄に、不浄の中で不浄に」生きるしかないのが人間だ。イルカを撲殺するのが残酷だ、という人たちもブ厚いステーキを食していたりする。相手を非難するのは簡単だが、それなら相手を非難する根拠をしっかりと示すべきだろう。「かわいそう」という感情は根拠になりえないのは当然で、生態系を乱すというのならその根拠を示すべきだろう。同じように死刑制度は「人権」に於いて論じられるべきだ。その場合の人権には殺された者の人権も当然議論の俎上になければならないのは言うまでもない。



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