「理念」なき妥協を「野合」という。
少子化対策の一環として仏国の政策を真似て導入したのが「子ども手当」だった。それに対して保育環境の改善など「制度事業」で対応すべきとするのが自民党の骨子だった。つまり官僚による官僚のための利権政治を続け肥大化させるのが自民党的な政策で、今も一貫している。
民主党は2009マニフェストの大きな旗印の一つだった「子ども手当」を下すべきではなかった。直接支給をなぜ官僚や大手マスコミが「ばら撒き」だとして叩きまくったのか。それは巨額な事業であっても直接支給では官僚が制度にかこつけて外郭団体を誕生させたり関連企業へ物資を発注したり出来ないからだ。つまり彼らの利権を肥大化させることにいささかも資さない事業だからだ。
この国は急速な人口減社会になっている。民主党が政権を取る以前は特殊出生率は1.32だった。現在は少し改善されて1.39になったがそれでも人口再生に必要な2.07には程遠い。人口減社会がいかに恐ろしいものか、人々は気づいていないようだ。
ためしに普通の中山間地へ出掛けてみると良い。何処でもごく普通に廃屋が目に入るだろう。廃校となった小・中学校の校舎が閉鎖されたまま朽ち果てようとしている様を目の当たりにするだろう。それだけではない。人が通らなくなった道は雑草に覆われ、捨てられた耕作地には背丈よりも高い樹木や雑草が生い茂っているだろう。
やがて少子化は都会へも大きな影響を及ぼすだろう。このままでは百年後には人口は半分以下となり、当然GDPも現在より大きく下回り税収で全国に張り巡らした道路や鉄道や橋梁などの維持・管理にまで手が回らなくなる。維持すべき路線を選定し、維持すべき地域を特定しなければならなくなるだろう。均衡ある国土の発展などは絵空事となる。ことに山間部の林道や農道は原野へ還元され、国土の生産性はさらに低下することになる。
ただ大幅な移民を受け入れれば国土の保全とインフラの維持・管理は出来るだろうが、知らないうちに公用語が北京語になっていたりするかもしれない。
少子化対策は結果が出るまで先の長い政策だ。目先でコチョコチョと変えてはならない性質のものだ。国が子供を育てるとの基本に立って、この国で生を受けたすべての子供が経済的に安心して育児でき成長できる国家にならなければならない。子どもたちを大事にしないで国民に国家に帰属意識を持てといっても虚しいばかりだろう。
玄葉氏や岡田氏の選択は間違っている。ただちに結果は出ないが、確実にこの国の国力は衰え、近隣諸国に凌辱される可能性を増大させていることに気付かなければならない。国債特例法案などは子ども手当と取引すべきものではなく、放置しておけばよかった。国債特例法が通らなければこの国がデフォルトするのなら、デフォルトさせればよかった。そうすれば官僚たちは本気で改革に乗り出すかもしれない。国があっての官僚たちなのだ。今は官僚の利権のための国家に過ぎない。