野田氏に「親分肌」があるなら、なぜ永田氏を野に放逐したのか。
永田メール事件が起きた時、党代表は前原氏だったが党政調会長は野田氏だった。永田氏にガセか判らない「メール情報」で自民党の片山氏を公の場で非難してしまったが、そのゴーサインを与えたのは前原氏と野田氏だった。
ガセだったと露見して窮地に陥った永田氏を議員辞職させて「偽メール事件」の幕引きを図ったのは前原氏と野田氏だ。産経の記者は失念しているか知れないが、永田氏の自殺に到る経過を見ると野田氏に「親分肌」の欠片もないことは明白だ。
偶々長閑な日曜日を過ごしていてテレビを視聴したのが間違いだった。昼前のテレ朝の報道番組はひどかった。
民主党の代表選立候補5人をスタジオに呼んで記者古手や毎日の解説委員などがコメンテータとして質問を浴びせていたが、その程度の低さと底意地の悪さには驚いた。これほど傲岸不遜で低能な連中はいないだろう。自分が候補者の立場なら席を立って帰っただろうと思い、5人の我慢強さには敬意を抱いた。
災害復興の財源は何か、という意味不明な質問があった。財源論議をする暇があったら、直ちに日銀引き受けで30兆円ほど被災地にばら撒けば良いだけだ。その理屈付けは後から暇な官僚に任せれば良い。たとえば「建設国債」に振り替えるのか「日銀特別債」として円高対策とするのか。ただし、財務省の硬直した増税議論だけには乗らないことだ。増税して経済を窒息させては何にもならない。
次に「小沢氏の処遇はどうするのか」という民主党のコップの中を覗き込んだ質問を粘着質の変質狂のように繰り返していた。
そんなことは代表選に当たってどうでも良いことだ。民主党の議員が決めたことは、民主党の議員が再び決めれば良いだけだ。そのことに外部の者がとやかく言って政府の経済政策とどのように係るのか、政府の災害復興計画とどのように係るのか。
よしんば小沢氏が判決で刑に服することが決まればそれこそどのように処遇すべきかは問題だろう。しかし小沢氏は実態不明な検察審査会の11人の委員によって「検審起訴」されただけで、有罪と決しているわけではない。この国は憲法により基本的人権が認められ、推定無罪の原則が存在している。それを無視した愚かな党規約による「党員資格停止」などという、所詮民主党内の権力闘争の結実に過ぎないものを弄繰り回してどうなるというものでもない。流行りのような質問を繰り返すのは、コメンテータも流行りの職業に過ぎないという本質を露呈している。
昼からチャンネルを切り替えても「○○委員会」という番組には前総理の麻生氏と安倍氏を登場させて胡麻の摩りあいを番組メンバーが競うという、実に不毛な「報道番組」を流していた。
この国の大手マスコミはどうかしている。なぜテレビカメラの前で立場の違う評論家が本気で意見を闘わせないのだろうか。すべて台本で台詞割されたかのようにコメンテータが「卒業式などの呼びかけ」のように同一論旨を次々と披瀝しあうとは、これほど気持ち悪いことはない。この国の「評論」は劣化していると心底から思う。何が枝葉末節で何が本質か、見抜く慧眼すら持ち合わせない素人が大きな顔をしてテレビに何年も出張っている。新聞で何年も論説委員として駄文を掲載している。道理で新聞から読者が離れ、テレビは「芸をしない芸人」によって占拠されているのだろう。