年寄りを医療過疎へ追いやるつもりか。
社会保障の一体改革だ、とか、年金の百年安心改革だ、とか、官僚主導の改革案は大袈裟な名称は付されるが、中身はさっぱりない、むしろ改革とは名ばかりで改悪と呼ぶべきものでしかない場合がほとんどだ。
老人の医療費個人負担を1割から2割に上げるという。体に変調を感じたら気軽に医療機関に掛かれる方が老人の健康維持に良いのはいうまでもない。
社会保障の一体改革とは何をどのように「一体改革」するのだろうか。現在の制度をそのまま存続させて、何が一体改革なのか、厚労省官僚に問いたい。それでなくとも厚労省は巨大な利権団体に堕して久しい。各種団体が各省庁にまとわりついているが、数においては厚労省が断然トップにある。それも制度が異なるとして同じような業務を委託している団体が看板の名称を変えて複数存在している。
たとえば、厚生年金と共済年金が並行して存在する必然性があるのだろうか。なぜ統合して同じ基準にしないのか、不思議でならない。最初に「恩給」で制度が出発した共済年金と厚生年金とでは異なるのだ、という理屈は通用しない。同じにすべきが当然のことで、制度を統一すれば新たな局面が開けてくる。
年金の個人支払い部分1に対して国民年金に対する公的拠出は0だが、共済年金は個人支払い部分1に対して公的拠出は2とされている。厚生年金は個人支払い部分1に対して公的拠出は0だが、企業が1ほど引き受ける、という仕組み自体が不合理ではないだろうか。どのような議論からそうした公務員お手盛りの不平等が罷り通るようになったのか、国民の目の前でしっかりと議論してもらわなければならない。
そして国民年金が「基礎年金」だとされているのも納得できない。国民年金に加入している国民は「基礎年金」だけで付加給付は一切ない、とされている現状を納得しているのだろうか。
公務員天国は現役時代だけでなく、退職後も続くというのでは税を支払う国民をバカにしていないだろうか。お手盛りの公務員をお手盛りの議員報酬を受け取る国会議員が批判できないのでは「狎れ合い」だと思われても仕方ないだろう。
国民年金の個人負担はそんなに低いだろうか。他の年金の個人負担と比べて「基礎年金」と貶められるほど過小なものだろうか。なぜ共済年金の税負担を2から1に引き下げて、その1を国民年金に回さないのだろうか。生活できない国民年金を受給する国民は死ぬまで働かなければならない。
この国に3種類の年金は必要なのだろうか。なぜ1種類に統合しようとする議論が出てこないのだろうか。民主党は党名を改称しなければならない。官主党とでも名乗り直さなければ実態を反映しないだろう。官主導の菅政権は官僚による官僚のための政治に邁進している。東電も破綻させることなく、地域独占、という官僚的電力事業を温存したし、放射能汚染損害賠償に対して国が機関を新設して官僚の天下り先をまた一つ創設した。菅官僚制内閣の面目躍如ということだ。一日も早く退陣することが国民のためだが、居座りに成功したようだ。
この上は民主党がどうなろうと知ったことではない。国民のために政治家は信念を貫くことだ。政権維持のために官僚に魂を売り渡した菅政権は民主党政権の対極にある官政権だ。民主党国会議員は両院議員総会で代表罷免の緊急動議を提出して罷免することだ。その規約がないというのなら、緊急に規約改定を提起して当日から適用することだ。代表解任規約のない規約こそが欠陥だから直ちに両院総会で認められるだろう。それしか、この未曽有の災害復興を人質にとってノロノロと政権維持を図る愚劣な国民に害をなす政権を排除することはできない。