憲法と現実との乖離を放置するのは罪悪だ。

 9条の会なる運動があるのは承知している。つまり戦争放棄を謳った憲法を堅持すれば日本は平和国家になれる、という摩訶不思議な論理を掲げている会のことだ。


 しかし戦争には相手がある。平和にも相手が平和を望まなければ維持できない。隣国が揃いも揃って軍備拡張を繰り広げている現実に対して、日本さえ軍備を持たなければ戦争は起こらないというのは子供でも分かる論理破綻だ。学校のように絶対権力者たる先生の存在が国際社会にもあればそうした論理は通用するかもしれない。


 しかし国際社会にあるのは国益のぶつかり合いだけだ。神の名を借りた戦争すら、キリスト教国とイスラム教国との間では続いている。宗教も平和をもたらすものではないのだ。すべては人智の創造したものでしかない証拠だろう。


 


 そこで日本だけが幻想の中へ逃避することは許されない。国家経営に関わりのない、万年野党の時代なら「戦争放棄」を声高に唱えれば何割かの国民が支持をしてくれるから、万年野党を是認する政党ならそれでも良いだろう。幾らかの議席が得られれば良いのだろうから、日本国家にとってどうであれ、議席さえ手に入れば議員として暮らしていける。そうした考えを機関誌で浸透させれば機関誌の売り上げで党員の暮らしも成り立つだろう。つまり生活互助会組織が「9条の会」の本質だと断定するのは言い過ぎだろうか。


 


 しかし政権を獲得すれば幻想だけを唱えるわけにはいかない。国家とは国民の生命と財産の確保を至上命題とする。国民を守れない国家は国家とはいえない。


 日本が国家として国民から税を徴収するのは国民の命と暮らしを守るからだ。それすら放棄するのなら政権を執ってはならない。万年野党として「理念」だけの党運営の殻に閉じ籠り、生活互助会の運動を展開するしかない。


 国家主権として国際社会に物申すには軍備がなければならない。北朝鮮がなぜ日本政府の「拉致者の帰国」要請を無視し続けるのか、日本が決して軍事侵攻しないと踏んでいるからだ。まさしく軍備放棄を唱える『生活互助会』の輝かしい成果だろう。


 


 国際紛争に軍事を使わない、と憲法で謳えば相手国はとことん嘗めるだけだ。いくら怒っても「話し合い」だけなら困ることは何もない。経済制裁も、仲良し国経由に交易できればあまり利かない。日本は国家主権について国民的議論を喚起すべき時節に到っている。いつまでも米国の陰に隠れてコソコソしているのを潔しとしないことだ。民主党は政権政党になった。憲法を議論しないで何が始まるのか、政権政党の責任を自覚しなければならない。



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