政局でなく、政治を。

 日本が世界から信用されなくなる、というのは日本国民の実感であり、危惧するところだろう。福島第一原発の事故とその処理を巡る一連の動きをみていると政府は日本国政府として機能していないのではないかと疑問を抱かれても仕方ないだろう。


 


「信なくんば立たず」というのが政治の基本だ。民主党は任期四年間の国政担当を2009総選挙で国民から負託された。それに対して本当に任を全うしているだろうか。あっという間に国民が求めた「政治主導」の民主党的立場から乖離し、官僚抱きつき自民党抱きつき政権に堕してしまった。その元凶が菅氏にあるのは論を俟たない。


 


 民主党が政権を付託されるべきだった代表は小沢氏だった。総選挙直前の時期に降って湧いた検察による「政治とカネ」捏造疑惑と大手マスコミによるプロパガンダの嵐で小沢氏が民主党の第一線から身を退いたのが、そもそもの民主党の躓きに他ならない。この国は民主主義とは到底いえない、官僚(検察)とその広報機関たる大手マスコミが牛耳る戦前の日本から少しも脱皮していない状態だと露呈した実に厭な状態にある。


 


 大手マスコミに気に入られなければ政治家は政権に就けない、という悪しき前例を残してしまった。繰り返し実施される世論調査と称する世論誘導により、国民はいとも簡単に世論なるものに流されてしまう。この頼りなくも脆弱な民主主義とは何だろうか。日本国民は自分の信念というものと向き合ったことがあるのだろうか。ご都合主義でなく、「赤信号みんなで渡れば怖くない」といったメダカの群れの一員でいることに安心感を覚える主体性のなさは何だろうか。


 


 未曾有の国難ともいうべき東日本大震災は天災だが、福島第一原発事故は無責任な人たちによる人災だ。「原子力ムラ」で飯を食ってきたすべての人は厳しく断罪されなければならない。それは地位の上下もなくすべての人たちだ。一社員といえども実態を知れば告発すべきだった。単に天下りで事業実態を知らなかったとしても、罪は罪だ。彼らは「原発安全神話」に安易に乗って馬鹿げた神話の普及を図った一員だ。原発は不安定で危険なものだから、安全確保に少しでも気を抜いてはいけない、というべきだったのではなかったか。


 


 そして大手マスコミも大本営発表よろしく莫大な宣伝費を頂戴して無批判に安全神話を宣伝した。何のための報道の自由なのか、大手マスコミはもっと真摯にならなければならない。


 官僚たちや大手マスコミが誰の差金か知らないが、小沢氏を政界から排除しようとしてこの国は果てしなくメルトダウンしてしまった。政治が政治の体をなさなくなってしまい、政治家はパフォーマンスに走り、テレビに登場するお笑い芸人の流行り廃りの感すらある。実際にお笑い芸人が政界へ進出して久しい。


 


 その程度の政治でこの国が運営できるほど簡単ではない。政治には理念と絶対音感のような哲学が必要だ。世間がどうブレようが政治家は絶対にブレない絶対音感のような哲学だ。それがなければ単に数の多い方へ靡くメダカの群れの一員になってしまうだけだ。世間にそうした手合いは数多くいる。何んとなく時代がもてはやす言葉をチャラチャラと操る手合いだ。芸人やコンサルタントとしては必要なプレゼンテーションの道具かもしれないが、政治家にとって言葉は命そのものだ。避難所の子供相手に「そのランドセルはナントカ直人からもらったの」は頂けない。冗談をいうべき場か否か判断できない人に政治はできない。


 


 刑事被告人が首相になってはいけない、とどの法律にも失格条項として明記されていない。小沢氏は馬鹿げた検審会起訴という非道な目にあわされているが、彼が晴れて無罪放免となるのを待つ暇が今の日本にはない。小沢氏が首相になってこの国の舵取りをしなければ、日本が世界の笑いものになってしまうばかりでなく、ついには排除されてしまうだろう。小沢氏の復権を強く望む。



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