「国政>地方政治」の時代が終わる。

 国民の目から見ると、国政は所詮官僚の掌で踊っているに過ぎず、中央官庁の改革は政権交代があったにもかかわらず遅々として進まない。それどころか天下りに関しては進化しているのではないかと思えるほどだ。


 それで財政が危機的だから増税だ、社会保障も国庫支出割合の維持が困難だから改革(国民負担増)だといわれても、納得しかねる。その国民の不満を愛知県名古屋市で河村市長が減税を掲げ、市議会議員報酬を年俸1600万円から800万円へ半減すると言いだした。有権者が国政・官僚の使者のような候補者よりも地元の声に耳を傾ける候補者を支持するのは当然の帰結だ。


 


 霞が関の官僚はいい加減目を醒ました方が良い。余り強欲になると国民の反感を招くだろう。そして国民も政治家は自分たちが投票する選挙により代えられるが、官僚の採用とお手盛り天下りを是正できない政治家に不信感を募らせている。


 既成政党がダメなのではなく、与野党の国会議員が官僚の既得権に対して「談合」している体質が嫌われている。民主党も自民党を真似て「政調」を復活させ、族議員の暗躍を許している。それが官僚と癒着する第一歩とも知らずに。


 


 かつては、この橋は〇〇先生が架けたとか、この道は〇〇先生がつけさせた、とかいう話が地方ではおおっぴらに語られそれが自民党候補の集票力になった。しかし、そうしたことは税を使った「利益供与」に過ぎず恥ずべきことだ。それを政権党になった民主党議員が周回遅れで自民党の真似をするのなら「バカか」と笑われるだけだ。


 自民党的政調と官僚との談合構造により全国にチマチマとした空港が作られ港が作られて国益を棄損し、税を官僚の天下り先の増殖に乱費されてしまった。その愚を民主党は繰り返そうとするのか。


 


 こうした政治はもうやめよう。公務員は国家と国民のために働く人が必要になのであって、何も偏差値だけで採用する必要はない。頭脳明晰なだけで羞恥心も公徳心もない人物は公務員に向かない。


 多くの民間企業で実施しているように五十歳を目途に一度退職して年俸制による再雇用契約を結ぶ、といった制度の採用をすべきだろう。官僚も局長以上は一度退職した者が年俸契約により就き、公務員法による雇用対象者から外すことだ。そして年俸契約は時の大臣など政治家が直接任命することだ。そうした人事権を政治家が行使できる体制にしない限り、官僚が各省庁にのさばり政治家を顎で使い、自分たちの役に立たないと判断すればサボタージュしたり情報を上げなかったりして使い捨ててしまうのだ。


 


 そうした官僚制度を最も忠実に支えてきたのが大手マスコミで、彼らが官僚の行う事業を直接批判することはない。各種施設が出来る都度、それを費用対効果で批判する記事を見たことがあるだろうか。巨大施設を造って、それが投資額に見合う稼働率が確保できるのか、といった検証記事を見たことがあるだろうか。大手マスコミの記者たちは使い走りにされ、官僚たちのお先棒を担いできた。


 米国と官僚の意向に従う菅氏の推進しようとする「辺野古沖移設」に大手マスコミが噛みつかないのは格好の証拠だろう。


 


 そうしたことはここで言う必要がないほど、国民の多くが肌で感じ取っている。大手マスコミがいかに囃しても河村氏と大村氏の連合は揺るがなかったし、有権者は彼らを選択した。ネット上ではすでにこうした意見が圧倒的だ。大手マスコミが支配するテレビだけがいまだに元官僚(ヤメ検も元官僚だ)のコメンテータを大量に登場させている。


 官僚による官僚のための政治から国民は奪還すべく動いて政権交代が起こった。しかしバカな民主党員と民主党議員は官僚抱き付きの菅氏を首相に選んだ。これでは民主党が「変節」との誹りを受けて、終わっても仕方ないだろう。



このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。