最大の危機なのは民主主義そのものだ。

 産経新聞は起訴間近に控えた小沢氏の現状を「最大の危機」だと評しているが、果たしてそうだろうか。


 起訴されればおそらく小沢氏は一人で離党するだろうが、それが小沢氏の影響力と何か関係があるというのだろうか。すでに政府や党の要職をすべて退き、一兵卒となっている。しかも二年近くも大手マスコミの集中砲火を浴びつつある現在、普通の議員ならとうの昔に孤立して存在感を失っているだろう。しかし、小沢氏の今年の新年会に馳せ参じた議員の数と、政権を握りの権勢の絶頂期にある菅氏の新年会に恭しく集まった議員の数とを比較するまでもなく、小沢氏は健在だ。


 


 間もなく刑事被告人になろうとする一兵卒の求心力がなぜ健在なのか。それは小沢氏に疾しいことが何もないと多くの人たちに分かってきたからだ。産経新聞は小沢氏に「罪科」とすべき事実があって争うために公判廷が数年もかかる、としているようだが、具体的に事実関係とその「罪科」について是非とも解説して欲しいものだ。


 しかもこの度の「起訴」は検察が「不起訴」としたものを実態不明の幽霊のような(もしかするとフィクションかもしれない)第五検審会による「不起訴不当」とする議決に基づく指定弁護士による(法的な位置づけすら明確でない三権分立に反した民間人への起訴権付与という禍根を残すものだが)起訴だ。


 


 新聞だから政局を煽り、一人のヒールを作って攻撃する痛快活劇を読者に提供するのも結構だが、それなら「新聞」という会社名を破棄することだ。「産経活劇」とでも社名を変更して根拠があろうがなかろうが人を貶める「フィクション」を輪転機を使って刷れば良いだろう。そうした自由はあたなた方にもあるが、事実と扇動とは分けて報道すべきだろう。たとえ紙面の一部にでも「扇動記事」が入り込めば、新聞そのものは報道紙ではなく扇動の為にするドコぞの機関紙に過ぎない。それほど強固な自律心がなければジャーナリストと名乗らないことだ。さもなくば職業はフィクション作家であると名乗るべきだ。


 


 危機にあるのは日本の民主主義だ。第三者による検証が出来ない委員と審査会議と助言者たちと協議した会議録が公開されない検審会によって一人の政治家が起訴されようとしている。小沢氏が個人的に好きだとか嫌いだとかいう問題ではない。民主主義国家として国民に背を向けた機関によって国民が選んだ政治家が起訴されるというのは戦前の治安維持法に勝るとも劣らない暴挙だ。まさにこの国の民主主義は危機に瀕していると評しない法学者や憲法学者、それに政治・社会評論家たちも司法当局の暴挙に加担している。そしていわずもがなで、二年近くも実体のない小沢氏のギワクを「政治とカネ」なる呪文で煽りに煽った大手マスコミとその御用コメンテータたちの暴挙を、この国の多くの国民は目の前で進行している深刻な民主主義の危機を、半ケツのゴシップ女優と同列に置いて政治ドラマショーでも観劇するように無批判に楽しんでいる。ローマ帝国はこのようにして滅んだのか、と思わせる状況がこの国で展開していると思わない人たちは大手マスコミのタレ流したフィクションを思考停止のまま心いくまで堪能している。いままさに、日本は民主主義の危機に瀕している。



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