産経(松本浩史)は報道機関かそれとも小説家集団か。

 検察と大手マスコミによる疑惑捏造事件で小沢氏が実態不明な検審会の「不起訴不当」議決で起訴され小沢氏が意気消沈して政界から消えていくと予測しているが、バカも休み休みいうものだ。それとも「裁判で白黒つけろ」という程度の刑事訴訟法を無視した提訴で国民から選ばれた政治家が一敗地に塗れるのが愉快なことなのだろうか。


 


 松本浩史氏は小沢氏の裁判は最高裁まで争われて数年はかかると予測しているが、石川氏の起訴された事件を小沢氏も承知していたか、ということが争点なのであって石川氏が「無罪」判決を受ければ小沢氏の事件そのものも消えることになる。それは大久保氏の事件も判決公判を目前にして去年の三月から開かれることもなく、その間に検察は禁じ手の「訴因変更」を裁判所に要請して認められ、現在では大久保氏の事件も西松建設の事件としてではなく「政治資金規正法に基づく収支報告書の虚偽記載」で新たに裁かれようとしている。


 


 なんとも無茶苦茶な裁判を続けているのだが、松本浩史氏をはじめ大手マスコミのジャーナリストの誰一人として疑問を呈さない。それでもまともなジャーナリストかと問いたい。大久保氏の一件もついには石川氏と同じ政治資金の問題とされ、それは既に小沢氏関連で検察により「不起訴」としたものと同一性格のものだ。すなわち判決で限りなく「無罪」が言い渡されると思われる裁判を司法当局は延ばしに延ばして政局絡みに小沢氏を縛り付け、石川氏の事件では裁判すら始まっていない状態だ。


 


 これほど政治日程と絡んだ元秘書の逮捕・検審会議決・そして元秘書の裁判日程と思惑により司法当局の日程管理ではないかと疑われて当然なことをしでかしていて、大手マスコミは一社として疑問を呈していない。


 国民の知る権利を担保しているはずの大手マスコミの報道の自由は、国民の知る権利ではなく大手マスコミの権限により報道を自由に取捨選択して発信する自由に限定されているとしか思えない。つまり報道の自由はマスコミの報道操作の自由であって、国民の知る権利に資するために担保されているものでないという現実に唖然とする。


 


 国民は知る権利を「政治とカネ」なる疑惑捏造のプロパガンダによって封じられ、疑惑の存在しない小沢氏に大手マスコミの捏造した幻想の疑惑を見ている。それに悪乗りしているのが立法の府を構成する政治家とも思えない「小沢氏招致」を叫ぶ政治家たちだ。


 この国の大手マスコミは引き返せない川を渡ってしまった。検察が大本営よろしく漏洩する情報を真偽のほども吟味せず連日タレ流し、検察が「不起訴」で撤退した後は三権の何処に存在するのかすら分からない摩訶不思議な検審会に実質的な起訴をさせてしまった。この空恐ろしい現実を暴かないマスコミとは一体なんだろうか。それで飯を食っているジャーナリストとは一体なんだろうか。


 


 これまでもブログに書いてきたことだが、何度でも繰り返す。「真実は露見する。隠せば隠すほど絶対的に露見する」ものなのだ。安閑として「小沢氏は一人さびしく政界から消えていくだろう」と書いたジャーナリストはいつの日にか真実の前に筆を置き満身恥辱にまみれてマスコミの場から去るであろうと、小沢氏の将来を予測した言葉をそっくり、あなたに贈ろう。



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