子供だましの手法は止めたらどうだ。
かつて自民党政権は沖縄開発振興費と称する年100億円もの別枠補助金で辺野古沖移設の同意を無理やり取り付けていた。その金権による判断麻痺「同意」の呪縛から解き放たれ「やはり沖縄の海を埋め立てるべきではない」と表明された沖縄県民の総意を「環境補助金」という甘言で覆すのは困難だろう。柳の下に何匹も泥鰌はいないし、沖縄県民意思を余り舐めてはいけない。
そうした政策を菅氏に持ちかけた官僚はカネに弱い人物なのだろう。人は自分の観念で相手を推し量るものだ。そして「環境」を守り「職場」を創出する、という甘言を散りばめれば沖縄県民は再び集団麻酔に陥ってくれるだろう、と甘く見たのだろう。
しかし一度乗りかけた取引から目覚めてみると沖縄県知事は自身の浅はかな姿に全身から冷汗を百斗も出して大いに反省したのだろう。もはや二度と開発補助金と引き換えに辺野古沖を売り渡すことはしないと決意したのだ。政府は沖縄の総意を覆そうなどという馬鹿なことは諦めて、米軍に「さっさとグアムへ移転してはどうだ」と持ちかける方が筋だ。
確かに東アジアには中国や北朝鮮の脅威が存在する。それに対して米軍を備えとして置いておこうとする軍事評論家諸氏の意見も良く分かる。しかし今まで米軍がいなかったわけではない。いたにもかかわらず脅威は増大しより具体的に触手を日本領土へ延ばしているのだ。北朝鮮では核査察を何度も繰り返していたにもかかわらず核兵器を手にした。つまり米軍の備えは何の役に立ったのか、冷静な検証が必要ではないだろうか。これまで米軍に支払った思いやり予算が費用対効果でどうなのか、日本の国防にとって米軍に任せていたことにより決定的に日本が弱体化したのではないか。空想物語以下の、外交的に何の根拠もない「戦力なき」平和外交が日本を世界の中で孤立化させてはいないだろうか。独りよがりの、自分さえ良ければ他の東アジア諸国が中国の脅威にさらされていても日本は「戦力を放棄したから知らない」と嘯いていて良いのだろうか。
国際的な話し合いとは必ず武力を背景としたものだ。武力の背景を持たない話し合いは暇つぶしに他ならない、というのが世界の常識だ。だから国際会議で日本の首相は集合写真で端っこに一人でポツンとさせられるのだ。
今後とも空念仏の「平和憲法」を奉って、日本は世界の笑いものになり続けるつもりなのだろうか。米国と中国のパワーゲームを傍から眺めてそのツケだけを支払い続けるつもりなのだろうか。沖縄に飴を見せれば尻尾を振るだろう、と考えた官僚の卑しさとそれを沖縄への提言とした首相の哲学も戦略も何もない愚かさを図らずも露呈しただけだ。
日本を守るのは日本国民だという基本的なことをまずは国民に訴えるのが日本の首相の役目ではないだろうか。そして必要とあれば空母も建造し核兵器も持とうと国民に提言すべきではないだろうか。すべての戦力は防衛のためだから空念仏の「平和憲法」にも抵触しないのはいうまでもない。