少子高齢化対策を徹底して批判したのは大手マスコミではなかったか。
少子高齢化に対する考察が提起されたのは歓迎する。どんなピント外れであろうと、全く議論がないよりはある方が良いのはいうまでもない。
しかし高齢者対策を進めて介護をロボット化するのにどれほどの巨費を要するか、ご存じだろうか。パワースーツと称する試作品が作られ始めているが、現在のものは何処でも使えるものではなく電線による電源を確保した上で場所を限定して使うしかない代物だ。
次に都市を老人が暮らせるようにユニバーサル基準にするのにどれほどの予算が必要か試算しているのだろうか。例えば駅のバリアフリー化と称してエレベータが設置されているが、それはターミナル駅だけでは効果がないことにお気づきだろうか。都市周辺部の駅にもエレベータがなければ乗降できない。当然の理屈だが、ユニバーサル基準は都市部だけではダメなのだ。
少子化対策の必要性は三十年も前からわかっていたことだ。日本の人口ピラミッドを見てみると良く分かることだ。これほど過激な円錐型の人口ピラミッドは世界でも日本だけだ。ここまで放置していた日本国政府と官僚の怠慢と大手マスコミの意識の低さには唖然とする。
曲がりなりにも民主党がマニフェストで子供手当を支給すると、仏国の成功に学んで日本でも直接支給を採り入れると殆どの評論家がバラ撒きだ、として批判した。大手マスコミの論調も似たようなものだった。
人口減の社会が経済成長するのは不可能だ。どの程度落ち込むのを防ぐかが分かれ目となる。日本の子育てに使う予算は子供手当を勘定に入れても対GDP比0.8%と先進国平均の2.4%に遠く及ばない。それでは予算の中で何が突出しているのか、それは公共事業だ。
公共事業は何も国交省の専売特許ではない。農水予算にも農業土木として存在する。例えば諫早湾堰などだ。あれだけで建設費は2500億円もかかっている。他にも経産省には空港特会で毎年のように空港を造り続けている。それは今も続いている。旧社会保険庁も出鱈目なリゾート施設を作ったし、厚労省の年金特会もホテルまがいの無駄な施設を全国各地に造った。
一体、この国の国会議員と称する連中は何を審議していたのだろうか。官僚の提示する予算案をそのまま通過させて、官僚に抱き付いて利権を漁っていたとしか思えない。
高齢化社会に対して施設整備や介護機器の開発は勿論喫緊の問題だが、その原資たる国富は国民によって生み出される。その基本を忘れて何を議論してもすべて空論だ。まずは少子化対策に本腰を入れることと、公共事業はモノを造れば必ず維持管理費と数十年後には施設の更新が必要となることを考慮に入れなければならない。例えばほとんど高架で造った新幹線を耐用年数が経過したらどうするつもりなのだろうか。高速道路をどうやって更新するつもりなのだろうか。その原資は誰が稼ぎ出すと考えているのだろうか。
バカな評論家が少子化も良い社会だ、などと薄ら恍けた議論をしているのに出くわすことがある。現実問題として高速道路の高架部分の更新は新設よりも費用が掛かることをご存じないのだろう。道路族といわれるバカな議員はまだ国道や高速道路を造り続けるつもりなのだろうが、それなら少子化対策を十分にしておかないと、1億2千万人の人口に対して合せたインフラを6000万人に減少した国民が維持管理し施設更新できると考えているのだろうか。到底マトモとは思えない。