道義的責任の強要は検察の横暴を許すだけだ。

 


 政治家のあり方を説かれるのは結構なことだし、何も政治家に限ったことではなく企業経営者など社会的に影響力のある人たちが一般の人たちよりも強い倫理観を堅持していなければならないのはいうまでもない。


 しかし、それは自ら身を処することであって、傍から「だからお前は辞任せよ」とか「特段の役職に就任してはならない」というのは間違いだ。そういうことは「基本的人権」無視だし「推定無罪の原則」を蔑にすることだ。


 


 田中角栄氏や佐藤孝行氏の件を取り上げて小沢氏にもそのように身を処しなさい、と非難する文言を散りばめているが、それなら後に総理大臣になりノーベル平和賞まで受賞した佐藤栄作氏の場合はどうなのだろうか。彼は国会議員として造船疑惑事件に連なりそうになったが法務大臣の「指揮権発動」により無罪放免となった。その後に総理大臣となり戦後最長の7年半もその椅子に座り沖縄返還を成し遂げた。


 


 政治家は国民のために政治を行うのが至上命題だ。厳格な倫理観に身を律し、道義的に素晴らしい行動を取る無能な政治家よりも国家と国民のために政治を行うのが政治家の使命だ。確かに佐藤栄作氏は骨抜きの「非核三原則」を国民にひた隠していた。国会でも嘘の答弁に終始していた。しかし当時としてはそうしなければならない国際情勢であったことも確かだ。今になって批判するのは簡単だが、困難な国際情勢の中で沖縄の施政権を回復したのは快挙としてその実績の輝きが失せることはない。


 


 無能にしてクリーンな政治家は必要ない。時には泥を被る、大局観のある政治家が必要だ。チマチマとした倫理観や道義意識を振り回す政治家に碌な人物がいたためしがない。彼らの多くは為にする議論に身を窶す類の人たちだ。裏でコソコソと悪事を働く破落戸やヤクザにそうした人が多く見られる。よって新聞記者にもゴロツキと修飾詞の付く人物が存在するのだ。


 


 今朝もTBSテレビ報道番組で常連の国会議員を集めてお決まりの小沢氏パッシングをやっていた。いい大人が少しは恥を知ってはどうかと思う。小沢氏の何が問題なのか具体的な指摘は何もなく、ただ「小沢氏は政倫審に出て説明すべきだ」とシタリ顔で述べる。それをMCが「何も疾しいことがないのなら出れば良いのに」と嬉しそうに囃す。


 小沢氏は何も疾しいことがないから出ないと言っているのではない。司法の場で白黒つけることになったから、国会で四の五の言うのは適当でない、と言っているのだ。検審会は第三者による検証の仕組みがないどころか、その審議の議事録すら存在していないという。そうしたブラックボックスを民主的な手続きとはいわない。第三者の検証を排除する独善的権威主義をファショというのだ。そうした検審会そのものの問題よりも、三権分立を定めた憲法下で第四権の起訴権という憲法違反の濃厚な機関により「強制起訴」されたことがそんなに問題なのだろうか。ちなみに、正規の検察段階では何度も不起訴とされているのにも拘らずにだ。


 


 そのような「マヤカシ」そのものの強制起訴を「道義的責任」として責任を取れ、というのを為にする議論と言わなくて何だろうか。TBSから朝日放送にチャンネルを変えればそこでも自民党の国会議員が「小沢さんはさっさと辞めれば良いのに」と発言していたが、彼は自分が何を言っているのかすら分からない程度の低い人物だと暴露している事実すら認識していないのだろう。大手マスコミは桃太郎飴のようなこの手のプロパガンダをいつまで続けるつもりなのだろうか。


 物事の本質を忘れて事象に囚われるのは愚かなことだ。そういう範疇で評すればこの国の評論家や言論人の多くはその資格すらない愚かな人たちだ。彼らに時代を見抜き真実に光を当てる叡智はない。ただ「赤信号をみんなで渡る」迎合主義者に過ぎない。この国で何が起こっているのか、言論界で何が起こっているのか、心を鎮めてじっくりと観察することだ。



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