諫早湾開門で会談を拒否する長崎県知事とは。
福岡高裁で「五年間の開門」を命じる判決が下され、菅氏は控訴しないと判断した。適切な判断だったと思われるが、それを長崎県へ伝達に鹿野農水大臣が長崎県知事へ打診したところ、反対だから会談しないと返事したようだ。何たる高慢ちきな県知事だろうか。
確かに長崎県議会は自民党県議が圧倒的多数だから、民主党政権下の農水大臣を拒否しても痛くも痒くもないと判断したのだろうが、そうした高慢な態度はいかがなものだろうか。
諫早湾の堰き止めは長崎県や国の主導によってなされた。農地を拡大するとして農業用水を堰き止めた巨大な河口湖を淡水化して利用する計画だった。しかし実際に河口湖は淡水化されたものの自然の摂理を無視した所業により水は腐り汚泥と化し到底使用に耐えるものではなくなった。それでも農業用水確保だと言い張るのなら長崎県は実際に干拓地へ入植した農業者に是が非でもポンプで汲み上げて異臭のする水を使わせてみれば良いだろう。
海水を堰で止めて溜めた水を農業に使うにはポンプで汲み上げなければならない。そんなコストをかけて算盤勘定が合うほど農業は甘いものではない。
第一、農地が決定的に不足していると言うのならなぜ減反をするのだ。一方で耕作を「休め」と命じてカネを支払い、一方で使用しない農業用水を獲得するために諫早湾を堰き止めて水を腐らせて汚泥と化した水を溜める。これに国と県は膨大な予算を溝に捨てるように注ぎ込んだ。まさしくドブに捨てるようにだ。それに対してどのような検証がなされたのか、この事業は正しいのか、どこの学者が異議を唱え、何処の学者が賛成したのか。もう一度過去に遡って新聞記事を捲ってみると良い。恥ずかしい幇間学者の名前が明らかになるだろう。
同じことが小沢氏の問題でも起こっている。のうのうとテレビ出演して小沢氏を「政治とカネ」の実体のない呪文で非難している馬鹿な評論家やMCやコメンテータは数年後には恥ずかしさで世間の片隅に逼塞せざるを得なくなるだろう。何も自分で確かめず、大手マスコミの垂れ流すプロパガンダを鸚鵡返しに繰り返していただけのシタリ顔がビデオにしっかりと残っているし、我々は決して彼らの所業を忘れない。とことん追求するつもりで今から手薬煉引いて待っている。
長崎県知事は余り大きな顔をしないことだ。諫早湾の締め切りと干拓農地化は時代の要請ではなかった。ただ公共事業者と利権屋の要請に過ぎなかった。知事は彼らに担がれた政権与党の神輿に過ぎなかっただけだ。そのことにより豊穣の海がどれほど傷つき、どれほどの資源が失われたか、有明海が昔の姿を取り戻すまでじっくりと推移を見守るが良い。そのことは菅氏も辺野古沖の姿と重ね合わせてみることだ。