検察審査会のあり方の検討を。

 本来、検察審査会は検察の関わる事件に関して検察の判断が甘くなるのを牽制するために作られた。だから検察審査会は裁判所に置かれ検察とは切り離すべきものだったはずだ。しかし、現在のありようは検察審査会事務局は検察から出向した事務官が当たっている。したがって検察審査会委員の選考は検察の意向に従った検察審査会事務局が行い、検察審査会委員への事件経過の説明は検事が行い、そして委員に事件を法的にどのように解釈するかを助言する弁護士(補助員)の選任も検察審査会事務局が行っている。つまり検察審査会はまるで検察による検察のための機関になっているといっても良い状態にある。


 


 検察を牽制するために設けられている機関であれば、検察審査会は検察の影響力から切り離すべきだった。そして補助員に任命する弁護士も検事経験者を排除すべきと明記されるべきだ。検察審査会事務局は裁判所の職員が当たり検察の管理下にある検察職員の出向も直ちにやめるべきなのはいうまでもない。


 こうした議論が起きる前に検察は検察審査会のあり方を一度として検証したことはなかったのだろうか。いかにも事務局を裁判所に置いているため検察とは関係ないかのように装い、検察審査会委員は一般人から選んでいると宣伝しながらも誰一人として現在審査にあたっている審査会委員を本人以外に誰一人として知らない。それが本当に民主的に選任された委員による民主的な審査だという証拠になるのだろうか。


 


 不思議なのは検察審査会委員のOBによる「会」が存在し会員が16000人に及び会長までいて年に一度は会合を持っているということだ。しかも検察審査会委員であったことを証するバッチまであるというのだ。現在審査にあたっている委員は徹底的にマスコミから隠し、任期が終わると「名誉職経験者」であるかのように処遇するとは検察審査会と検察との関係はどうなっているのだろうか。例えば委員OBの「会」の運営資金は何処から出ているのだろうか。そして委員OBが集うメリットとは何なのだろうか。裁判員経験者が全国組織を作って年に一度以上も総会を開いてOBであることを証するバッチをつけているとは寡聞にして知らない。


 


 たとえば企業会計を監査する監査人が企業から監査法人へ派遣された事務局で選考されるとしたら企業にとって不利な監査報告をするだろうか。さらに監査を行った者は監査人OBとして処遇されるとしたら「心地良い地位」を得るために手を抜くことだってあるのではないだろうか。つまり監査人は監査する企業とは利害関係を生じないようにあらゆる努力をしなければならないはずだ。そして利権が生じるような、実際には何ら利権は生じなくても生じるかのような印象を与える行為は取らないものだ。それが「見識」というものだろう。それが検察審査会にないとしたら委員は「見識」を欠くことになりはしないだろうか。


 


 検察審査会委員が純然する「市民」の一員であり、検察の影響下から離れている仕組みが確保されていなければならないのは当然のことではないだろうか。むしろ検察の暴走を取り締まる「市民」による機関であるならば検事出身者でない弁護士から選任された委員による機関でなければならないだろう。高度に法的な解釈が必要な機関であれば「見識」を有する者として然るべき者が就任しなければ単に「権力者」によって利用される機関に成り下がってしまうのではないだろうか。


 検察審査会を貶める意図はないが、検察審査会が本来の使命たる検察の不当行為を正す機関であるには、検察と検察の影響下にあると思われる人たちと縁遠いところに置くのが当然の配慮というものだ。そうした見識を欠いたまま運営してきたとは驚きだし、今後も改正しようとする動きが大きくならないのも更なる驚きだ。民主的な機関であることを担保するには最低限すべての経過が事後的であるにせよ第三者による検証可能な状態に保つことが必要なのはいうまでもない。



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