検察は抜本的な改革をすべきだ。
「権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」という箴言がある。検察は公訴権と捜査・逮捕権を併せ持つ絶対権力だ。こうした権力構造の存在を許してきたのが間違いだろう。検察の機能は公訴権だけに限定すべきだ。
警察が捜査・逮捕権を受け持ち、検察はその捜査によって明らかになった証拠に基づいて公訴すべきか判断する機関に役割を分離すべきだ。
人は失敗したくない、と思うものだ。それはそれで進歩するために必要な本質的なものだが、慎重を期して着手したものでも思い違いはある。その際に捜査・逮捕権を濫用して被疑者の身柄を拘束して無理筋を無理やり押し通すことがありかねない。それが人というものだ。検事は司法試験は合格したかもしれないが、捜査の専門家として特別な訓練を受けたわけでも、捜査の現場で叩き上げているわけでもない。
法と証拠に基づいて起訴すべき検察の使命で、厳格に罰刑主義を適用するには捜査結果までの責任を負わせないことだ。捜査結果が間違っていると判明すれば直ちに引き返せる状態に検察はあるべきだ。そのまま証拠を改竄して無理筋の事件を捏造するのは捜査を指揮した責任があるからだろう。それが被疑者と疑われた人の人権をいかに侵害するものか、真剣に考えなければならない。可視化は勿論実施すべきだが、可視化で冤罪をすべて防ぐことはできない。冤罪の温床は強大な権限を一つの機関に付与している現在の仕組みそのものにある。
そして検審会の在り方も再考すべきだ。民主的な機関を設置したつもりが飛んでもないモンスターに変化している。秘密の委員による秘密会で秘密の審議と弁護士による秘密の助言によって議決されているとは考えただけでも非民主的だ。民主的な存在とは第三者によって検証可能な仕組みが担保されていることだ。現在の検審会は被疑者を起訴する強大な権限を付与されたモンスターそのものだ。検察と同時に改正すべき機関だ。