日本と日本国民が米国から自立すべき時期は近づいている。
米国人にそれほど叡智を感じないのは各人の自由だが、少なくとも米国の哲学といえばプラグマティズムくらいしか思い浮かばない。形而上学的な思考は米国人に向かないかもしれないが、自国の利益と安っぽい正義感の売り込みには熱心だ。日本では恥ずかしいほど単純な自国の礼賛と勧善懲悪が米国映画では繰り返し描かれてきた。
小沢氏が何かとマスコミの関心を集め、民主党の代表選で取り上げられるが、その反対に「クリーン」な民主党のイメージにそぐわないと蓮舫氏などが言っている。しかし、彼女は忘れたのだろうか。民主党が衆議院選挙で勝って政権交代を果たした当時、すでに小沢氏はマスコミから「政治とカネ」なる愚にもつかない報道の集中砲火を浴びていた。そして代表の座を降りて幹事長として鳩山代表と一緒に戦って政権交代を果たしたのだ。
つまり国民はマスコミから「ダーティ小沢」の集中砲火を浴びせられていても、小沢氏の手腕に自民党的なものからの脱却を懸けたのだ。本来なら鳩山氏とのコンビで諸改革に取り組むはずだったのだが、執拗なマスコミに邪魔されて幹事長すら降りなければならなくなった。
その後に出て来たのがマスコミ好みの「無能」な政府首相と党幹部だ。その結果が僅か二ヶ月余で既に「円高・株安」無策として表れている。
国民にとってクリーンだが無能な政府が良いのか、それとも検察が睨みマスコミ受けも悪いが辣腕を奮う政府が良いのか。結果は明らかだろう。菅氏首相とその閣僚がここ十日余りの間に日本に負わせた損失は莫大だ。株安だけでも失われて資産評価額は300兆円に迫る。為替特会は三十数兆円の赤字だ。輸出企業が日々受取る為替手形の円決済で蒙る損失も莫大だ。パナソニックは製造事業部の一部をタイへ移すと表明した。またして国内の雇用が失われることになった。これも菅氏とその仲間の無策のお蔭だ。
それでも国民は菅氏が首相であり続けることが望ましいのだろうか。鳩山氏は本気で菅氏を担ぐつもりだろうか。口がこの上なく軽く、「三年後まで解散はしないよ、ボクを支持して」と一年生議員に媚を売る程度の首相が国民は良いのだろうか。
小沢氏と菅氏の政策論争を見聞してみたいとは思わないのだろうか。マスコミ御得意の実態は何もない「政治とカネ」のプロパガンダで小沢氏を貶めたが、国民はそれほど愚かではない。鄧小平が言ったように「白い猫でも黒い猫でもネズミを掴まえるのは良い猫」なのだ。国家と国民の為に一身を擲って国政に邁進してくれる人が首相に相応しいしこの喫緊の事態には必要だ。
一番の不幸は選択肢がなくなることだ。国民が直接参加できないにしても、国会議員が選挙する代表選が鳩山氏の余計な斡旋によってなくなるのが一番いけない。