中田宏に関心はないが、
特例行政市の市長を途中で投げ出し、参議院選挙に打って出て落選した人に何の関心もない。しかし彼が小沢氏を「出る、出る」と言いつつ影響力を保持しようとしている、との分析には同意できないため書かざるを得なくなった。
出る出ると言いつつ出なかったら、その時点で小沢氏の政治生命は終わる。たとえ挙党体制の掛け声の取引で幹事長に座ったとしても、小沢氏は傀儡として汚点を残すだけだ。いやいや、仙谷氏と枝野氏に小沢派を取り込む度量はないだろう。彼らは所詮小型犬だ、足元でキャンキャン吠えるだけだ。
ガチンコ勝負となれば、小沢氏も出ざるを得ないだろう。極めて次元の低い話だが、その方が権力闘争の読み物としては俄然面白くなる。だから大マスコミは小沢氏とその仲間を「小沢は出ない」とテレビで喋って挑発しているのだ。
さて、小沢氏が出ないと決めつけている評論家や政治家は政治家が何に命を懸けるか、本質的なことが理解できていないようだ。権力の座に就きたいがために権力闘争をするのは下衆の政治家だ。評論家たちが小沢氏が出ないと予言するのも彼らが下衆だからだ。人は自分の観念でしか相手が見られない。下衆は相手が崇高な信念のもとに行動していても、下衆な動機で立候補するとしか想像できない。小沢氏が国家と国民の為に最後のご奉公に立ち上がったとしても、憲法第75条を適用させるために首相になりたいのだとしか思わないのだ。平成の黄門様も所詮は下衆ということになる。
小沢氏が代表選に出ないとする人たちは「政治とカネ」と世論調査による菅政権支持率をあげている。しかし「政治とカネ」問題は検察が不起訴としたことから片付いているし、一年に三人も首相が代わるのはみっともない、というのも情緒的に過ぎはしないだろうか。むしろ、菅政権でこの国が良くなるのかどうかが問題なのだ。円高や景気に対して有効な手を即座に打てない首相でも国民は必要とするのだろうか。
民主党のマニフェストを碌に実施しないうちに早々と撤回するような人に民主党の代表は相応しくないのではないか。国家戦略を何も示せないうちに「局」から「室」へ格下げしようとした代表が本当に民主党の代表に相応しいのだろうか。
大マスコミの願望として小沢氏よりも手腕のない人が民主党代表として居座り続けて、政治的に行き詰るのを待っているのではないだろうか。その方が民主党を潰すには都合が良いからだと、勘繰ってしまうのはそれこそ下衆の勘繰りというものだろうか。