「国民参加」の政治とは。

 菅氏がネジレ国会を乗り越える手法として「国民参加」を考えているという。何の事だか分からない。国権の最高決議機関は国会であるし、国会は国民から選出された国会議員で構成される。だから直接的に国民が関与する余地はないが、かつて中曽根首相の政治が「審議会政治」といわれるほど専門家による各種諮問委員会や審議会を設置して結論を出させる手法を多用した。それなりの成果は上げたが、国会軽視として国会議員からは不評だった。


 


 中曽根政治をイメージしているとしたら、それは間違いだ。手法が間違っているというのではなく、様々な問題の審議に専門家の知恵を借りたとしても、法案として提出し決議するのは国会であり国会議員だ。いずれにせよネジレの影響は受けるし専門家の出した結論だから野党議員も従え、というのならそれこそ国会軽視だ。馬鹿な仕組みを考える暇があったら、なぜ野党の党首や幹事長たちと秘かに会って食事などしないのだろうか。国家と国民の為に何をすべきか、国会の場以外で共通認識を与野党間で共有する方が先ではないだろうか。側近中の側近たる官房長官たちと会食して熱病にうなされたかのような妄言を弄する暇があったら、ネジレ国会の現実と真剣に向き合う方が誠実ではないだろうか。


 


 市民派出身の国会議員として世論操作に国民の市民派と手を組んで国会の場以外で世論を盛り上げよう、という手法を考えたのかもしれないが、それでも最後は国会議員による国会決議を経なければならない。


 はからずも自身の手にしている野党とのチャンネルが極めて少ない、と暴露した格好になってしまった。野党の有力者と腹を割って話し合えないから、馬鹿げた真夏の夜の夢を仲間と会食してワイワイやっただけなのだ。それが外部に漏れて「新しい手段」として報じられるとは、事を起こす前から与野党国会議員の反発を買うだけだ。とても大人の知恵とは思えない、程度の低い話だ。


 そんな馬鹿話をしている間にも円高に国内企業の多くはジワリと首を絞められ、慢性的なデフレの進行に商業者は経費の吸収を仕切れない状況に追い込まれ青息吐息だ。軽井沢で暑さを凌ぎ仲間と官邸で会食する管氏にはそうした世相が見えないのだろう。



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