悪意だけで語るのはよそう。
「小沢」なるものの時代との決別、とは小沢氏を意識していることを図らずも吐露している。それほど小沢氏は日本政界で大きな比重を占めてきた。その人が首相を経験していないのは不自然というしかない、と考える方が順当ではないだろうか。
なぜ大マスコミ各社が小沢氏を目の敵にするのか、各社に共通する恣意的な世論操作を感じられずにはいられない。それは1945年からサンフラン条約締結まで米軍を主力とする進駐軍が日本を占領支配していたことと大きく関わりを持つだろう。戦前・戦中の軍部支配を日本で進めるにあたって積極的に協力して戦意高揚したのは大新聞各社とNHKだった。それが終戦後に戦争責任を問われて各社ともGHQによって解体されもず、単に各社幹部たちだけが職場追放により温存された。ただし、それ以降はGHQの占領政策を無批判に日本国民に宣伝・浸透させる手段と化した。
終戦からどれほどひどい記事を大マスコミは日本国民にタレ流したか、現在も保存されているマイクロフィルムの縮尺版を一読してみると良く分かる。それは戦前・戦中の軍部支配による報道管制と同じほどひどいものだ。
現在でも大マスコミの恣意的な世論操作と思われる報道に日々接している。例を挙げれば、あれほど騒いだ「ダイオキシン」騒動は何処へ行ったのだろうか。徹底して学校や公民館などにあった焼却場をすべて撤去し、家庭の小型焼却炉までもすべて規制した。業界にあっては解体業者の「野焼き」もダイオキシン騒動の際に禁じて、材木と金属とを分別して産業廃棄物として産業廃棄物処分場へ持ち込むように定められた。それがどれほどコストを要する愚かな行為でも「環境」を守るために必要だ、「ダイオキシン」汚染から環境を守るためだとされた。
そうしたコストはすべて国民に負わされている。わざわざ人手をかけてゴミを集め、車に積んで大規模焼却場へ運んで燃やしている。それが本当に「環境」にやさしいことなのか検証されているだろうか。残念ながらそうした分析報道に接したことはない。
小沢氏に関してまたぞろ「党資金流用疑惑」なるものを持ち出している。選挙対策費に関して疑惑がある、と菅派の人たちがまことしやかに大マスコミに流している。
実態は分からないが、少なくとも民主党でも党資金に関しては一年の括りで会計報告をし党所属議員はそれを了承しているはずだ。当然監査役も選任されていて、党資金の支出に関して正当なものか監査しているはずだ。よって疑惑があるとすれば民主党内の問題に過ぎない。小沢氏が個人的に着服したというのなら、既に国税の個人所得査察部が動いて調査している。そうした事実があれば情報が大マスコミに流れるまでに国税当局が捜査しているだろう。国税の調査能力からして気付かないでいるとは到底思えない。
ただ、配分に関して意見はあるだろう。小沢氏は新人や基盤の弱い候補者には厚く選挙資金を手当てし、ベテランや強固な支持団体を持つ候補には余り回さなかったといわれている。限られた党資金の配分では当たり前のことを行ってより多くの議員を勝利に導いた。幹事長が枝野氏に代わってから各候補者へ渡す選挙資金を平等にしたという。そうした結果が今回の参議院選大敗だ。また責任論が蒸し返される恐れのある党資金の支出に関して、菅派の人たちが問題にするとは思えないし、それは民主党内の問題だ。
そうした諸々のことを「疑惑」だとして声を潜めて語り合うのは堂々とした人物のやることではない。テレビで平成の黄門様が小沢氏を批判しているようだが、本当に小沢氏が悪人なら黙って告訴するのが本筋ではないだろうか。小沢氏を追い詰めようとする特定の勢力に利用されてテレビでピエロを演じていることに気付かなければ彼は徒に老醜を晒していることになる。彼の為に忠告する、そうした馬鹿げたことは歴史の黄門様をも蔑にすることだ。
大マスコミは報道という民主主義を担保すべき役割のある公器を使って特定の人物攻撃をやめることだ。公平無私に批判するのならこうした時期には菅氏の批判も併せて掲載するのが公平性の確保というものだろう。そうした報道に携わる者の常識すら無視して、確定もしていない「犯罪」をことされあげつらったり、存在すら分からない「疑惑」まで取り上げて論じるとは、大マスコミ各社は日本国民の基本的人権を無視してプロパガンダ記事を掲載して恥じないのだろう。いまだに誰かに操られている状態にあるのかと、この国の大マスコミの自立性のなさに驚く。