論評にすら値しない。

 元々シーシェパードは商売だ。環境保護に名を借りたパフォーマンス集団に過ぎない。その集団に散々クジラを虐殺してきた末裔たちが贖罪の気持ちから献金している。その献金の額を釣り上げるためには果敢に捕鯨国と戦っている「絵」が欲しいだけなのだ。それに最も適しているのは韓国でもなければノルウェーでもない、まさに日本が敵役にぴったりだったに過ぎない。


 


 日本に捕えられたシーシェパードの一員が心の底から反省したら職を失うことになる。反対に執行猶予さえ勝ち得たら敵国に捕えられ無事に凱旋したヒーローということになる。そのためには何でもする、というのが彼らの常識だ。心の底から悔いていたと思いたい、と彼を弁護した弁護士が談話を残しているが、そんなことはあり得ない。彼らにとっては彼らが常に正義で、クジラはその生計を立てるための手段に過ぎない。実はクジラでなくても、何でも良いのだ。


 


 クジラであれ何であれ保護するというのなら、正確な個数調査をする必要があるのはいうまでもない。そして生息の実態調査をしなければ科学的な結論は出ないだろう。「かわいいから殺してはいけない」という人たちが毎年膨大な頭数の牛や豚や羊などを殺しているのに触れないのは不思議だ。それらは野性と家畜の違いだ、というのは余りに自己都合的に過ぎはしないだろうか。家畜の誕生には人が関与しているから、その動物の殺生は人の意のままに行って全く問題ないというのは変な理屈だ。


 


 自然との調和の上でしか人は生き延びられないのは明らかだ。日本人に自然の調和を崩してまでクジラを捕獲し尽くそうとする意思はない。ただ頭数が増えて良しとするだけなら自然の食物連鎖に人は関与しないことが最善だが、地球に暮らす動物の一員として出来ないことだ。それなら冷静に科学的な検証を行って許される範囲で自然に関与するしかないのではないだろうか。


 


 ただ、今回のシーシェパード隊員の日本国内での裁判で明白になったことは目的のためなら嘘の涙も流すし、隊長も嘘の証言を平気でするということだ。それにコロリと騙される日本人はお人好しというしかない。


 


 日本人がお人好しというなら、米軍が海兵隊の役割を見直すとの報道があった。つまり対艦ミサイル開発などが進み海兵隊も100㎞程度の近距離から軍事行動を起こすのでは間に合わなくなっている。戦術の変更からすれば沖縄に本当に「抑止力」としての海兵隊が必要なのか、為にする議論ではなく真剣な日本国の防衛問題として交渉しなければならないだろう。その時に「学べば学ぶほど…」なぞとチンプンカンプンなことは言わないことだ。欧米人は平気で嘘涙を法廷で流すことを学習したばかりだ。



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