政局より政治。

 今朝のあるマスコミが民主党の衆参両議院総会の騒動に関して「政局はもういい、政治をやって欲しい」と論評していた。何をいまさら、という気がする。政局ごっこに終始してきたのはマスコミではなかったか。政治家は「かわいそうなくらい」政治をさせてもらえなかった。世論調査を多用して国民世論を誘導して政局へ持ち込んできたのはマスコミではなかったか。


 


 しかし、そうした手法に易々と乗せられる政治家も情けない。なぜそういうことになるのか。為にするマスコミ報道を自分の都合で取捨選択して使っているうちに自縛されてしまったからだ。その最たるものが「政治とカネ」だ。


 この文言の持つ曖昧さは危険だ。ただ反小沢派にとっては小沢氏排除の呪文のように思えて、唱えていれば小沢氏の力が弱まると勘違いしたのだろう。


 


 マスコミは実体のない国民受けする呪文を何度も繰り返すことによって実態があるかのように国民に刷り込んでしまった。ためしに「政治とカネ」とは改めて何かを問われると、疑惑とされている核心が何かを理路整然と説明できる国民が何割いるだろうか。


 実は疑惑なるものの実態は「ない」と知っているマスコミがその文言を繰り返すのはなぜだろうか。実体がないことを説明するまでもないだろうが、鳩山氏に関しては贈与税を支払って莫大な「子ども手当」の一件は決着している。小沢氏に関しても検察段階では「不起訴」との判断が出て決着している。今は市民団体なるものが検審会に検察判断の審査を要求しているに過ぎない。


 


 検証したとおり、この国の「法と証拠」に基づく限りでは疑惑とされる実態は何もない。すべては決着済みにもかかわらず、恰もあるがごとくマスコミや政治家は古証文のように「政治とカネ」なる文言を振りかざしている。


 昨日開催された民主党の両院総会は大荒れだったようだ。参議院選挙の総括をする会合だったら、侃々諤々の議論が沸騰するのが正常だろう。静かなシャンシャン総会で終わった方が民主党の党内民主主義はどうなっているのかと疑問に思うべきだ。


 


 さて菅代表は多くの党所属議員から罵倒されたが、それでも代表にしがみつき9月の代表選挙に立候補すると宣言している。奇しくも愚かな評論家が「政局よりも政治を」と民主党に求めたが、9月代表選挙が終わるまで菅氏の厚顔無恥により、菅政権は「死に体」内閣状態で存続することになった。これがどれほど国民にとって不幸なことか、考えたことがあるだろうか。政治家が政権維持に汲々とすれば、政治は官僚に任せるしかない。自分の手中に野党との根回しの駒がなければ、官僚の手腕に頼らざるを得ない。ついに、菅政権の自民党的官僚制内閣が完成した。これこそ、多くのマスコミが願っていたことだろう。


 


 この国の首相が一年に何回代わるかが問題なのではない。政治をガバナンスできない首相が首相の座に座り続けることが問題なのだ。マスコミは米国議会で政府高官の内政干渉まがいの証言までも報じて「首相がくるくる代わるのは良くない」と菅氏を後押しした。それこそ見識なき官僚制内閣維持のための援護射撃だ。年に何回首相が代わるかではなく、どのような政治が期待できるのかをマスコミは報じるべきだろう。



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