財務省が布教した「ザイム真理教」の残党たちが蠢いているようだ。

<経済を語る上で真に問われるのは、起きた事象の列挙ではない。そう語るのは国際的投資家・木戸次郎氏だ。「円安や物価高、実質賃金の低迷といった既知の課題に対し、国としてどこまで引き受ける『覚悟』があるか」。日本は通貨価値を犠牲にすることで、財政と株価の延命を選択し続けてきた。その歪みは、インフレによる生活コストの増大と、資産の有無による階層の再固定化という形で国民に転嫁されている。木戸氏は「高市政権がデフレという過去の物差しに固執し、通貨防衛の覚悟を欠いたままでは、日本は2026年も壊れずに弱り続けるだろう」と語る。木戸氏が国家の欺瞞と、私たちが直面する静かなる均衡の摩耗を鋭く突くーー。

問題は出揃った。円安、物価高、実質賃金の低迷
 今年の日本経済を語るとき、多くの人は2025年に「何が起きたのか」を振り返ろうとする。しかし本当に問われているのは、出来事の列挙ではない。すでに起きている現象を、この国がどこまで引き受ける覚悟があるのか。その一点である。
  問題はすでに出揃っている。円安、物価高、実質賃金の低迷、財政の硬直、金融政策の正常化の遅れ。どれも目新しい話ではない。にもかかわらず、それらを一体として引き受け、調整の順序を示す主体が、政治にも市場にも見当たらないまま時間だけが過ぎてきた。2025年という一年は、その宙づり状態がいよいよ限界に近づいた時間だった。 
 この数年、日本は円安を止められなかったのではない。止めないという選択を、明確な意思をもって積み重ねてきた。円安を是正すれば、国債利払い費は増え、財政は硬直し、株価は調整し、政権運営は不安定になる。逆に円安を容認すれば、輸出企業の利益は守られ、株価は下支えされ、税収も見かけ上は増える。つまり円安とは、成長戦略でも景気対策でもなく、国家バランスシートを静かに延命させるための調整装置として使われてきたのである。その代償がどこに回されたかといえば、答えは明白だ。国民生活である。 
 ここで一度、通貨という尺度で日本を外から見ておく必要がある。この数年で、日本円は実質的に3割以上、その力を失った。これは新興国の話ではない。名目GDPでも金融市場の規模でも、疑いなく先進国である日本の自国通貨が、これほど短期間で価値を落とした例は、近年ほとんどない。世界の多くの国がインフレという痛みを引き受けながらも通貨を守ろうとした。

日本だけが、通貨よりも株価と財政の延命を優先
 その中で日本だけが、通貨よりも株価と財政の延命を優先し、通貨を差し出す選択を続けてきた。その帰結が、いま私たちが直面している円安である。 
 通貨価値の低下は為替相場の話では終わらない。購買力が削られ、輸入物価を通じて生活必需品の価格が上がり、実質賃金が目減りする。これは統計より先に生活の感触として現れる。その状態で政治が無理に投資を促せば、参加できる層と、そもそも参加する余裕のない層が生まれるのは自然な帰結だ。それでも「投資促進」という言葉を免罪符にして、通貨と物価のリスクを個人へ押し戻してきた。これは市場政策ではない。国家が引き受けるべき不安定さを、各家庭に分散させるという統治の選択である。 
 そしてこの統治の選択は、社会の形そのものを変えていく。インフレは中立ではない。富裕層にとってのインフレは資産価格の上昇だが、庶民にとってのインフレは生活コストの上昇である。食料、エネルギー、家賃、交通費。可処分所得に占める比率は所得が低いほど高くなる。つまりインフレとは、最初から逆進的な税に近い性格を持つ。ここを見誤ったまま「景気」や「成長」だけを語れば、生活の底が削れていくのは当然だ。

学歴だけでは階層を突破できなくなった社会
 その歪みが最も露骨に現れているのが不動産である。都心の数億円、数十億円という高額物件は、円安と過剰流動性、海外マネーの流入を背景に短期間で値を倍にする。一方で、郊外の2000万〜3000万円台の実需物件はほとんど上がらない。労働で生活する層と、資産で生活する層。その断絶が、通貨と金融政策を通じて固定化されつつある。これは格差論ではない。通貨を軽んじた結果として現れた、階層の再固定化である。努力が無意味になったわけではない。努力のリターンが極端に歪み、学歴だけでは階層を突破できなくなってきた。血統や身分ではないが、資産で固定される階層社会が、しかも自覚も覚悟もないまま復活している。  日本がここまで円を弱くしてきた最大の要因が異次元の金融緩和にあることは否定しようがない。国債市場を事実上引き受け、金利を長期にわたり抑え込み、通貨の希少性を自ら薄めてきた。その結果として円の力が落ちた以上、本気で通貨を立て直す覚悟があるなら、本来求められるのは異次元の緩和に見合うだけの異次元の引き締めである。 中国で起きるのは破綻ではなく事故の多発だ  中途半端な正常化や言葉だけの修正で通貨が戻るほど、市場は甘くない。にもかかわらず現実に起きているのは逆の動きだ。政治は自国通貨を守ることよりも、円安という禁断の果実にしがみつく道を選び続けている。短期の安定を優先するあまり、通貨という国家の基盤を少しずつ削る。円安は事故ではない。選択だ。そしてその選択のコストは、生活と階層に跳ね返る。 
 この歪みは国内だけで完結しない。2026年の世界経済で、日本が最も強く影響を受ける外部環境のひとつが中国である。中国経済は崩壊しない。しかし安定もしない。延命は続くが、その質は確実に落ちている。不動産、地方財政、若年雇用、資本移動。どれも単体では致命傷にならないが、運用ミスに対する耐性は明らかに低下している。起きるのは破綻ではなく事故の多発だ。事故は方向感を持たないが変動率を押し上げる。このとき市場が最初に売るのは株でも債券でもない。守ってくれない通貨である。中国発の事故が起きるたびにリスクは周辺国へ拡散し、その最前線に日本円は置かれる。しかも日本は通貨を守る順序を曖昧にしたまま、前線に近い後方基地として固定されつつある。

通貨の力は落ち、実質所得は削られ、調整はすでに家計に
 さらに米国政治がこれに重なる。米国は対中で強硬な姿勢を続けるが、決定的に壊す余力はない。中国も同様だ。改善もしないが決定的にも壊れない緊張が常態化し、その摩擦が世界に分散する。そのたびに、構造的に弱くなった円は試され続ける。結局のところ、2025年の日本で進んだのは危機ではない。均衡の摩耗である。逆回転は暴落や破綻という形では現れない。生活の感触として、静かに進む。 
 その象徴のように聞こえるのが、高市早苗総理によるデフレ懸念発言だろう。生活の現場で物価は下がっていない。通貨の力は落ち、実質所得は削られ、調整はすでに家計に押し付けられている。それでも政治の言葉がデフレという過去の物差しに寄りかかるなら、そこにあるのは政策論争ではなく、現実の感触と政治の認識とのズレである。円安という禁断の果実に慣れきり、アベノミクスの成功体験という幻影を追い続ける限り、物価と生活の重さは政治の視野からこぼれ落ちていく。 
 だからこそ、「働いて、働いて、働いて」という流行語大賞も、「国民の皆様のために」という耳触りのよい言葉も、どこかすすけて見える。

日本は壊れず、弱り続ける
 覚悟や責任を示す言葉というより、通貨の劣化と生活の現実から視線を逸らすためのエクスキューズとして響いてしまう。さらに、子どもNISAのような制度を万能の処方箋のように声高に語れること自体も、このズレを象徴している。投資が有効な層がいる一方で、電気代やガス代の支払いに追われ、日々の生活を回すことで精一杯な約4割の国民にとっては、そもそも選択肢にすらならない。しかも電気代やガス代の補助は3月で打ち切られ、その先は我慢しろと言わんばかりだ。ここにあるのは成長戦略ではない。階層が固定化していく現実を直視せず、耐えられる層だけを前提に制度を語ってしまう政治の視界の狭さである。 
 それが示されない限り、2026年の日本は壊れずに弱り続ける。中国経済の不安定さが外圧として加わる中で、自国通貨を守る覚悟を持てない国は、静かに選択肢を失っていく。階層社会が悪なのではない。階層があることを否定しながら実態として固定化を進め、そのコストを最も弱い層に押し付ける。この欺瞞こそが国を弱らせる。残念ながら、高市政権はその覚悟を持てないであろうと、私は危惧している。>(以上「MINKABU」より引用)




投資専門誌に「中国経済は崩壊しない。だが…国際的投資家が警告「これから起こるワリとヤバい話」学歴では階層を突破できない社会の末路「問題は出揃った」」との論説が掲載されていた。書いたのは木戸次郎(投資顧問会社の代表取締役)氏で、今時「中国経済は崩壊しない」と宣う奇特な人だ。
 その根拠を読み解くと「日本は円安を止められなかったのではない。止めないという選択を、明確な意思をもって積み重ねてきた。円安を是正すれば、国債利払い費は増え、財政は硬直し、株価は調整し、政権運営は不安定になる。逆に円安を容認すれば、輸出企業の利益は守られ、株価は下支えされ、税収も見かけ上は増える。つまり円安とは、成長戦略でも景気対策でもなく、国家バランスシートを静かに延命させるための調整装置として使われてきたのである。その代償がどこに回されたかといえば、答えは明白だ。国民生活である」という認識のようだ。

 しかし木戸氏は国内問題と国外問題を混同して論じている。「円安」は対外為替変動だが、「円安を是正すれば国債利払いが増える」という外国との関係を国債利払いという国内財政問題とリンクさせて語っているが、そこには何ら相関性はない。 
 為替レートが変動するのは対GDP比貨幣発行量の比較で決まる、と云うのが経済原則だが、神瀬相場が投機資金に影響される割合が増えている。それは株価が本来は企業業績予想で動くものだが、現行は「思惑買い」や「空売り」などによって、機関投資家による株価変動が仕掛けられている面が大きい。かつては株価は半年先の経済を現すと云われたものだが、現在では死語になっている。

 木戸氏は米中対立を「米国は対中で強硬な姿勢を続けるが、決定的に壊す余力はない。中国も同様だ。改善もしないが決定的にも壊れない緊張が常態化し、その摩擦が世界に分散する」と読み解いているが、日本が高市政権に代わってからトランプ氏が半年前から日本や各国に要請していた対中半導体規制に乗り出したことから、中国経済はいよいよ破綻の段階に到ったのをご存知ないのだろうか。
 習近平氏は「製造2025」を掲げて、半導体を自前で供給する体制の構築に莫大な資金を投じたが、結局世界最先端の半導体製造技術を確立することは出来なかった。ただ韓国から輸入した中古の露光機を用いた28nm半導体製造にやっと漕ぎ着けたが、それも日本が半導体製造に欠かせない部品や素材の供給を停止したため、すべてストップしてしまった。かつて韓国も日本不買運動を展開し、日本政府が対抗策として半導体製造に欠かせないフッ化水素の輸出を停止したため、韓国が泣き付いてきた事があった。実質的に半導体製造は日本とオランダと米国が握っている。台湾のTSMCはファウンドリー半導体生産として世界最大だが、台湾だけで半導体製造が出来るわけではない。

 そして「中国が改善もしないが決定的に壊れない緊張が常態化し、その摩擦が世界に分散する」と論述しているが、日本企業がすべての製造ラインや製造機器を放棄して撤退しても、中国人がその工場で日本企業が製造していた製品が製造できないのは実証済みだ。だからキャノンやソニーは製造工場を「損切」してでも、中国から撤退させた。
 木戸氏は中国が日本と同様の「自由市場経済」と勘違いしているのではないだろうか。2015年末に上海株式市場が大暴落した際に中共政府は株取引を停止し、その後にも買い取引は許したが、売りは全面的に禁じていた。日本では到底考えられないことだが、中国ではそうした「規制」が常態化している。恒大集団が昨年になってやっと「破産」したが、実質的には数年も前から債務超過に陥って破産状態だった。それも日本では決してあり得ないことだ。

 だから「決定的に壊れない」と木戸氏には見えるのだろうが、不動産バブル崩壊は数年も前に起きていて、それを中共政府が「債務処理」に全く手を付けなかったことが、「壊れない」と映っていたとしたら大間違いだ。既に不良債権は金融機関を蝕み、それでも中共政府が不良債権処理を行わなかっため、金融崩壊を招き全国300以上の銀行は取り付け騒ぎに巻き込まれても対処不能になっていた。それこそ「金融崩壊」と呼ぶべき事態ではないのか。
 結局、資金不足に陥った金融機関は顧客の預金を溶かすしかない。支払窓口を閉じて預金者には「あなたの口座残高はゼロだ」と宣告するしかない。それを金融崩壊と呼ばずして、何と呼べば良いのだろうか。そして地方政府が実質的なスポンサーとなっている各地の金融平台も相次いで破綻した。すでに地方政府も中央政府も公務員に給与を支払うことが出来なくなっている。

 木戸氏の高市政権批判は更に珍妙だ。木戸氏は言う「投資が有効な層がいる一方で、電気代やガス代の支払いに追われ、日々の生活を回すことで精一杯な約4割の国民にとっては、そもそも選択肢にすらならない。しかも電気代やガス代の補助は3月で打ち切られ、その先は我慢しろと言わんばかりだ。ここにあるのは成長戦略ではない。階層が固定化していく現実を直視せず、耐えられる層だけを前提に制度を語ってしまう政治の視界の狭さである」と。
 確かに日本のジニ係数は0.38に達して、危険ラインと云われる0.40に近づいている。その主因は法人税引き下げによる内部留保の増大と、それに反比例して労働分配率の低下が上げられる。それを学歴でも突破できない階級が出現したかのように論述するのは余りに観念的ではないだろうか。日本の相続税は世界ても最高クラスの重税で、相続を三代経れば大富豪も普通の資産家になる、と云われている。

 さらに高市政権は「電気代やガス代の補助」を成長戦略として位置付けてはいない。それらは物価高騰対策、として実施されている。高市政権が掲げる成長戦略は「積極財政と減税政策」だ。残念ながら2026年度予算は「緊縮・増税」派の前政権が作った予算で政策実施される。だから今年の六月に高市政権がいかなる補正予算を打ち出すかだが、本予算と異なり補正予算は規模が限定的だ。しかし2027年予算に向けて高市政権が消費税減税を打ち出せば、それだけでも景気に与える影響は大きい。
 消費減税(私は「消費税廃止」を望むが)財源など心配する必要はない。財源は経済成長で充分に余りあるからだ。木戸氏の日本経済に対する認識のすべてが誤りだとは云わないが、少なくとも「日本は通貨価値を犠牲にすることで、財政と株価の延命を選択し続けてきた。その歪みは、インフレによる生活コストの増大と、資産の有無による階層の再固定化という形で国民に転嫁されている」という分析には賛同できない。なぜなら通貨価値を犠牲にすると云うのが「異次元金融緩和」を指すのなら、円安政策は別名「近隣窮乏化策」と呼ばれる景気刺激策の一つだからだ。それを歴史的に証明したのがプラザ合意による円高要請だった。

 財政と株価の延命を貨幣価値を犠牲にして諮られたかのような経済政策は2012年以後の日本政府にはなかった。正確には財政規律という呪文によって日本経済は「失われた35年」を持続した、というべきだろう。アベノミクスはなぜ失敗したのか、その答えは財務省の主導による「緊縮・増税」政策が強行されたからだ。
 国家財政は家計とは根本的に異なる。家計からの支出は貨幣の減少で記録されるが、国家財政の支出は右のポケットから貨幣を左のポケットに移しただけだ。国債発行残高は貨幣発行の「記録」でしかない。しかも家計は永遠ではなく、いつかは清算しなければならない。しかし国家財政は永遠だ。先の大戦を経てもなお、日本の国家財政は明治維新以後持続している。

 だから国債残高を気にするのは「残高の多さ」ではなく、ディマンドプル・インフレが3%を超えて物価が上昇し始めたら「緊縮財政」に移行すべきサインだと見れば良いだけだ。つまり国債発行残がハイパーインフレを起こすなどと主張していた連中こそが日本の財政運営を誤らせていた張本人で、財務省の回し者だったと見るべきだろう。
 最終章の「中国経済の不安定さが外圧として加わる中で、自国通貨を守る覚悟を持てない国は、静かに選択肢を失っていく。階層社会が悪なのではない。階層があることを否定しながら実態として固定化を進め、そのコストを最も弱い層に押し付ける。この欺瞞こそが国を弱らせる」という分析も荒唐無稽と云うしかない。既に高市政権は中国経済崩壊を予測して、中国債の新規購入を停止し中国との金融デカップリングを着実に行っている。もちろん日本は中国主導のAIIBに参加していないし、「一帯一路」に加わってもいない。中国経済が崩壊して打撃を受けるのは未だに中国で経済活動を展開している企業だけだ。それらも急いで「損切」撤退を加速している。全く影響がないとは言わないが、中国経済が崩壊しても、少なくともリーマンショックの1/2ほどの衝撃も日本経済は受けないだろう。

 木戸氏の云う「自国通貨を守る覚悟」とは何だろうか。「静かに選択肢を失っていく」とは何だろうか。「階層社会が悪なのではない。階層があることを否定しながら実態として固定化を進め、そのコストを最も弱い層に押し付ける」とは何だろうか。
 日本社会のコストを最も弱い層に押し付けているのは「消費税」だが、それ以外には国家制度として弱者に「階層」を固定化している制度は見当たらない。そして「この欺瞞こそが国を弱らせる。残念ながら、高市政権はその覚悟を持てないであろうと、私は危惧している」とは何の事だろうか。政治が「覚悟」だけでどうにかなるものでないことは木戸氏はご存知だろう。もとより国の経済を動かすのは覚悟ではなく、経済政策だ。高市政権は経済成長を目指すと公言している。そのために減税策と積極財政を宣言した。暫定税廃止はその手始めだろうが、2026年度予算は既に石破政権時に骨格が桜れているから、高市政権の積極的な財政出動は2027年度から、ということになる。願わくは今年の夏までに衆院を解散して「消費税廃止」を掲げる政党が大躍進して頂きたい。そうすれば消費税廃止だけで経済成長は確実に4%以上は上振れする。もちろん企業利益が内部留保(=株主配当)に回らないように法人税率を旧に復す措置を講じておくべきだ。消費税廃止と法人税率の引き上げはセットで実行すべきだ。たとえ経済界が大反対しようと、そうしなければ日本経済は「失われた35年」から脱却できない。

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