「台湾は中国の内政問題」に関する、学術的論考。
<11月7日の衆議院予算委員会における高市早苗首相の「存立危機事態」に関する答弁が、いまなお大きな波紋を広げている。高市首相は「台湾に対し武力攻撃が発生する。海上封鎖を解くために米軍が来援し、それを防ぐために武力行使が行われる」という想定に言及。そして「戦艦を使って武力の行使を伴うものであれば、どう考えても『存立危機事態』になり得るケースだ」と述べた。これに中国が反発し、日本への渡航自粛要請を出す「対抗」手段にまで出ている。
首相の答弁を「撤回する必要はない/撤回すべき」といった評価にとどまらず、そもそもどのような条件が「存立危機事態」に該当するのか、またアメリカをはじめ日本も長年台湾海峡を巡って「曖昧戦略」を採用してきたにもかかわらず、なぜ今回あえて具体例を挙げたのか、その必要性や適切性が問われているのは確かだ。具体例を示したことでかえって「抑止」の幅が狭まり、戦略的柔軟性を弱めたのではないかという懸念も出ている。
■イデオロギー先行で間違いも多い活発な議論
「新聞ですら間違えた「台湾問題」に対する日本政府の立場。「日本は台湾を中国の一部と認めている」と思い込む人たちの課題」と題して前原 志保(九州大学准教授)氏が論評を書いている。そこで昨今のジャーナリストや評論家たちの不勉強を前原氏がキツク叱っている。
首相の答弁を「撤回する必要はない/撤回すべき」といった評価にとどまらず、そもそもどのような条件が「存立危機事態」に該当するのか、またアメリカをはじめ日本も長年台湾海峡を巡って「曖昧戦略」を採用してきたにもかかわらず、なぜ今回あえて具体例を挙げたのか、その必要性や適切性が問われているのは確かだ。具体例を示したことでかえって「抑止」の幅が狭まり、戦略的柔軟性を弱めたのではないかという懸念も出ている。
■イデオロギー先行で間違いも多い活発な議論
このように、実際のところ「台湾問題」(英語の Taiwan Issue に相当し、「台湾の地位・主権・国際的扱いをめぐる総合的な問題」を指す)をめぐる議論が、保守・リベラル双方で活発化している。ただ、議論の活発化とは別にこのテーマを議論するための前提や基本を踏まえて議論が行われているかも重要である。
意味ある議論を深めるためには中国と台湾との間にどのような歴史的な背景があり、双方がそれをどのように理解・主張しているのか、また日本やアメリカがいう「従来の見解」とその論拠になっている条約や声明などを共有しておくべきだろう。この議論を行ううえで日本社会には何が求められているのか指摘しておきたい。
なお、「台湾問題」と書くと、あたかも台湾側のみに問題が存在するような印象を与えかねない。そのため、前述したように「台湾問題」と表記するには上記のような説明を添えたり、それを理解しておいたりすることが望ましい。
なお、「台湾問題」と書くと、あたかも台湾側のみに問題が存在するような印象を与えかねない。そのため、前述したように「台湾問題」と表記するには上記のような説明を添えたり、それを理解しておいたりすることが望ましい。
さて、当然、戦争は起きてはならない。しかし残念ながら、現在の中国は台湾への武力行使の可能性を放棄していない。そのなかで約2300万人の台湾の人々は自らが獲得した自由と民主主義と人権を守るために備えざるを得ない状況に置かれている。
この問題を議論するうえでまず捨てるべきなのは、保守とリベラルの相互嫌悪が先に立ち、相手をやり込めるためだけの感情的応酬や、特定のイデオロギーに沿った情報だけを取り上げ、不都合な事実を見ようともせず間違いを拡散させる態度である。これは中国、台湾、そして日本やアメリカを含めてどこにとっても利益にならない。
この問題を議論するうえでまず捨てるべきなのは、保守とリベラルの相互嫌悪が先に立ち、相手をやり込めるためだけの感情的応酬や、特定のイデオロギーに沿った情報だけを取り上げ、不都合な事実を見ようともせず間違いを拡散させる態度である。これは中国、台湾、そして日本やアメリカを含めてどこにとっても利益にならない。
こうした問題は匿名のSNS上の議論に限られない。台湾関連の情報を正確に把握することは、その分野を長年研究してきた地域研究者でさえ神経を尖らせる作業である。議論を活発に行うこと自体は、中国・台湾・日本のどこにとっても重要だ。ただ、残念ながら現在の日本では、自分に都合のいい台湾現地発の情報、あるいは中国のナラティブを鵜吞みにした情報発信がSNS上だけでなく大手メディアですらなされている。
例えば台湾の主要メディアがどのようなスタンスで報道しているのか、その背後にある歴史・人物・政治的文脈を理解しないまま、「自分の主張に沿っているから」という理由だけで「これが台湾現地の声だ」と思い込んで、そのまま議論を展開・拡散するのは危うい。また中国政府の主張があたかも事実であると鵜呑みにして情報を発信するのも危険だ。
例えば台湾の主要メディアがどのようなスタンスで報道しているのか、その背後にある歴史・人物・政治的文脈を理解しないまま、「自分の主張に沿っているから」という理由だけで「これが台湾現地の声だ」と思い込んで、そのまま議論を展開・拡散するのは危うい。また中国政府の主張があたかも事実であると鵜呑みにして情報を発信するのも危険だ。
これらの態度は、めぐりめぐって研究者や報道などが自らの「本業」に対する信憑性まで損ないかねず、十二分に慎重であるべきだ。実際、11月11日付の『東京新聞』の社説でも、今回の高市首相の発言について議論を行ううえでの論拠の扱い方に重大な問題があり、誤った言説が拡散され得る危険性を示していた。
■東京新聞も誤った論拠で社説を掲載
■東京新聞も誤った論拠で社説を掲載
東京新聞の社説「高市首相と台湾有事 存立危機を軽く語るな」で何が問題だったのか。それは中国が繰り返し声高に主張してきた言説を、そのまま疑問もなく受け入れ、この問題の根本的な前提を再確認しないまま、誤った論拠で物事を断じている点にある。
社説は高市首相に「言葉を選ぶべき」と答弁の問題を指摘した。その趣旨には筆者も賛同するが、社説内で触れられていた台湾問題に関する議論には問題もある。
例えば、「日本は1972年の日中共同声明で、台湾を中国の一部とする中国の立場を『十分に理解し、尊重』すると明記し、台湾を国家と認めていない」という記述がある。この書きぶりは、1972年の日中共同声明の一部だけを切り取り、そこから直線的に「台湾を国家と認めていない」と断定している点で、同声明への「読解力」を欠いている。
例えば、「日本は1972年の日中共同声明で、台湾を中国の一部とする中国の立場を『十分に理解し、尊重』すると明記し、台湾を国家と認めていない」という記述がある。この書きぶりは、1972年の日中共同声明の一部だけを切り取り、そこから直線的に「台湾を国家と認めていない」と断定している点で、同声明への「読解力」を欠いている。
この社説と同様に日本では、「台湾は中国の内政問題なのだから日本が口を出すべきではない」という議論を持ち出し、そこで議論を強制終了させようとする言説もある。しかし、これも日本を含む各国が台湾問題をめぐり、ぎりぎりのラインを探りながら展開してきた「曖昧戦略」を自ら水の泡に帰す言説だ。
東洋経済オンラインに掲載された法政大学の福田円教授による論考(「アメリカ政府が『台湾地位未定論』を表明。『未定論』はアメリカの一貫した立場だが、今表明したのは中国の主張に対抗するため」)でも指摘されているように、「近年の中国政府は、サンフランシスコ体制および同体制と補完的な関係にあったアメリカや日欧など旧西側諸国との『一つの中国』に関する部分的合意に触れず、それに代わってカイロ宣言、ポツダム宣言、および国連の中国代表権交代を決めた国連総会第2758号決議を強調する形で台湾への主権を主張している」。
これらの文書で実際に何が約束されてきたのか。中国が避けようとする「一つの中国」に関する部分的合意とは何か。歴史的経緯を振り返りながら確認したい。
東洋経済オンラインに掲載された法政大学の福田円教授による論考(「アメリカ政府が『台湾地位未定論』を表明。『未定論』はアメリカの一貫した立場だが、今表明したのは中国の主張に対抗するため」)でも指摘されているように、「近年の中国政府は、サンフランシスコ体制および同体制と補完的な関係にあったアメリカや日欧など旧西側諸国との『一つの中国』に関する部分的合意に触れず、それに代わってカイロ宣言、ポツダム宣言、および国連の中国代表権交代を決めた国連総会第2758号決議を強調する形で台湾への主権を主張している」。
これらの文書で実際に何が約束されてきたのか。中国が避けようとする「一つの中国」に関する部分的合意とは何か。歴史的経緯を振り返りながら確認したい。
1945年、終戦により日本の台湾統治は終わる。その前に1943年のカイロ宣言では、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中華民国の蔣介石主席が共同声明を出し、「日本が中国から奪った領土(満州、台湾、澎湖諸島)は中華民国に返還されるべき」とした。これは戦後処理の方針表明であり、条約ではない。
■日本は台湾の帰属先を明言しなかった
■日本は台湾の帰属先を明言しなかった
日本は終戦するにあたりポツダム宣言(1945年)を受諾する。これは日本の降伏条件を定めた文書であり、連合国が日本に対して「カイロ宣言の条項は履行される」「日本の主権の範囲は、本州、北海道、九州、四国と小さな島々に限定」と明記した。しかし台湾の地位に関しては「将来の平和条約によって最終的に決定される」とされた。つまり、台湾の法的地位は日本と連合国間の講和条約まで保留されたのである。
そして結ばれたのが1951年のサンフランシスコ平和条約だった。同条約には中華民国政府と中華人民共和国政府の双方ともに出席していない。国民党と共産党の内戦によって中華民国政府は台湾に撤退し、中国大陸では中華人民共和国政府が樹立され、どちらを正統な中国政府とするか連合国内でも意見が割れて、両方とも招かれなかったためだ。それもあり、サンフランシスコ平和条約は日本政府が台湾を「放棄する」とだけして、帰属先を明言しない形で結ばれた。
その後、1952年に中華民国と日本との間で日華平和条約が締結され、この条約によって両国間の戦争状態は正式に終結し、2国間の外交関係が樹立された。ただ、この条約の適用範囲は、中華民国の実効支配地域(台湾・澎湖)にのみに限定された。そして中華民国政府が台湾を統治する実態は認めているものの、台湾の帰属先は明言されなかった。
そして結ばれたのが1951年のサンフランシスコ平和条約だった。同条約には中華民国政府と中華人民共和国政府の双方ともに出席していない。国民党と共産党の内戦によって中華民国政府は台湾に撤退し、中国大陸では中華人民共和国政府が樹立され、どちらを正統な中国政府とするか連合国内でも意見が割れて、両方とも招かれなかったためだ。それもあり、サンフランシスコ平和条約は日本政府が台湾を「放棄する」とだけして、帰属先を明言しない形で結ばれた。
その後、1952年に中華民国と日本との間で日華平和条約が締結され、この条約によって両国間の戦争状態は正式に終結し、2国間の外交関係が樹立された。ただ、この条約の適用範囲は、中華民国の実効支配地域(台湾・澎湖)にのみに限定された。そして中華民国政府が台湾を統治する実態は認めているものの、台湾の帰属先は明言されなかった。
1972年には、上記の日華平和条約が終了し、日本と中華人民共和国との間で日中共同声明が出される。その中で「内政干渉」か否かを判断するうえで重要なのは、次の2点だ。
第2項:「日本国政府は、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認する」 第3項:「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」
第2項:「日本国政府は、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認する」 第3項:「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」
第2項の「承認する(recognize)」は法的な「政治承認」を意味する。問題は後者である。中国は「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する(reiterate:繰り返し述べて強調する)」とする。それに対して日本は「この中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重し(fully understands and respects)、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」としている。ちなみにここでいう「ポツダム宣言第八項」とは上記にも提示した「カイロ宣言の条項は履行される」「日本の主権の範囲は、本州、北海道、九州、四国と小さな島々に限定」という部分である。
ここから客観的に読み取れるのは、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部」というのはあくまで中国側の主張であって、日本はそれを「承認(recognize)」しているわけではないということだ。日本は、中国がそのように表明している事情を「十分理解」し、その意見を「尊重する」と述べることで、相手のメンツには一定の配慮を示しつつも「賛同はしない」、しかし「議論の余地は残す」という外交の妙味を持たせている。
日本の外務省のサイトにはこの日中共同声明の英語版が補足的に掲載されているが、そこを見てみると日本側のニュアンスがより明確になる。「respect」は日本語だとあっさり「尊重する」と訳され、ポジティブな賛同の意味に誤解されがちだが、実際には agree(合意、賛同)やsupport(支持)より弱い表現であり、「否定はしないが、賛同もしない」、「相手の立場を踏まえているが距離をとる」というニュアンスを含む。
■日中英それぞれの言語でも齟齬がない
ここから客観的に読み取れるのは、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部」というのはあくまで中国側の主張であって、日本はそれを「承認(recognize)」しているわけではないということだ。日本は、中国がそのように表明している事情を「十分理解」し、その意見を「尊重する」と述べることで、相手のメンツには一定の配慮を示しつつも「賛同はしない」、しかし「議論の余地は残す」という外交の妙味を持たせている。
日本の外務省のサイトにはこの日中共同声明の英語版が補足的に掲載されているが、そこを見てみると日本側のニュアンスがより明確になる。「respect」は日本語だとあっさり「尊重する」と訳され、ポジティブな賛同の意味に誤解されがちだが、実際には agree(合意、賛同)やsupport(支持)より弱い表現であり、「否定はしないが、賛同もしない」、「相手の立場を踏まえているが距離をとる」というニュアンスを含む。
■日中英それぞれの言語でも齟齬がない
中国語のニュアンスはどうであるのか。日中共同声明における日本語の「承認する」の部分は、中国語では「承认」となりこれは日本語の「承認」とほぼ同じ意味で問題はない。一方で「重ねて表明する」に対応するのは、「重申」であり、これは文字通り「繰り返し述べて強調する(reiterate)」という意味を持ち、外交文脈では強調度の強い語として用いられる。
また、「十分理解し、尊重し」の部分は中国語で「充分理解和尊重」と表現されるが、これも日本語とほぼ同じニュアンスで“相手の立場を否定はしないが、同意も承認もしていない”という中立的な距離感を含んでいる。日中間でこの声明文の解釈をめぐって大きな齟齬が生まれるような余地はなく、日本語・英語・中国語いずれにおいても整合的であると言える。
参考までにアメリカの事例も見ておきたい。アメリカと中華人民共和国は国交樹立に関連した3つのコミュニケを発表しているが、とりわけ重要なのは、1978年に発表され、1979年に発効した「アメリカ合衆国と中華人民共和国との間の外交関係樹立に関するコミュニケ」である。ここでも重要なポイントは2つだ。 アメリカは「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」 The United States of America recognizes the Government of the People’s Republic of China as the sole legal Government of China.
「中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であるという中国の立場をアクノレッジした」 The Government of the United States of America acknowledges the Chinese position that there is but one China and Taiwan is part of China.
参考までにアメリカの事例も見ておきたい。アメリカと中華人民共和国は国交樹立に関連した3つのコミュニケを発表しているが、とりわけ重要なのは、1978年に発表され、1979年に発効した「アメリカ合衆国と中華人民共和国との間の外交関係樹立に関するコミュニケ」である。ここでも重要なポイントは2つだ。 アメリカは「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」 The United States of America recognizes the Government of the People’s Republic of China as the sole legal Government of China.
「中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であるという中国の立場をアクノレッジした」 The Government of the United States of America acknowledges the Chinese position that there is but one China and Taiwan is part of China.
1つ目は日本の場合と類似しており、「recognize」は法的な政府承認を意味する。問題は2つ目の 「アクノレッジ(acknowledge)」である。日本語だと慣習的に「認識する」と訳されるが、そのニュアンスは support(支持する)や recognize(承認する)よりも弱く、「中国がそのような主張をしていることは承知している」という距離をとった表現に近い。
ここであえて「認識する」と書かずに「アクノレッジ」と原語を示したのには理由がある。日本の外務省のサイトにおいても、この部分は単に「認識する」と訳されるのではなく、英語原文の「acknowledge」をそのまま示す形で紹介されている。単純に「認識する」とだけ書いてしまうと、本来の微妙なニュアンスである「支持も承認もしていないが、その立場を把握している」という距離感が伝わりにくいからだろう。
ここであえて「認識する」と書かずに「アクノレッジ」と原語を示したのには理由がある。日本の外務省のサイトにおいても、この部分は単に「認識する」と訳されるのではなく、英語原文の「acknowledge」をそのまま示す形で紹介されている。単純に「認識する」とだけ書いてしまうと、本来の微妙なニュアンスである「支持も承認もしていないが、その立場を把握している」という距離感が伝わりにくいからだろう。
ここで再び先に問題があると指摘した東京新聞の議論に戻ろう。
「日本は1972年の日中共同声明で、台湾を中国の一部とする中国の立場を『十分理解し、尊重』すると明記し、台湾を国家と認めていない」と主張する場合、もし「日本国政府は、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認する」という部分を根拠に「台湾を国家と認めていない」と結論づけるのであれば、これも声明全体をきちんと読んで判断していないという意味で問題があるが、まだ議論の余地はあるかもしれない。
「日本は1972年の日中共同声明で、台湾を中国の一部とする中国の立場を『十分理解し、尊重』すると明記し、台湾を国家と認めていない」と主張する場合、もし「日本国政府は、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認する」という部分を根拠に「台湾を国家と認めていない」と結論づけるのであれば、これも声明全体をきちんと読んで判断していないという意味で問題があるが、まだ議論の余地はあるかもしれない。
しかし、「十分に理解し、尊重する」の一文を根拠に「台湾を国家として認めていない」とまで言い切るのは、論拠としてはかなり説得力を欠く。すでに指摘したように日本は台湾の帰属先を明示しない形で戦後処理を進め、日中共同声明でもそれを踏まえているためで、台湾が国であるかの地位問題について触れていないからだ。条文を丁寧に読み、歴史的経緯を含む全体の文脈を踏まえれば、そのような短絡的な論の進め方はできないはずだ。
■イデオロギーに沿った言説の拡散に危機感
■イデオロギーに沿った言説の拡散に危機感
今回の高市首相の発言は、従来の日本政府の立場を変えたものではないものの「曖昧戦略」から一歩踏み込んだものであり、今このタイミングで具体例を示す必要があったのかには疑問が残る。だからこそ彼女自身、すぐに「今後は特定のケースを想定したことを国会で明言することは慎む」と発言を修正した。アメリカにも同様の「踏み込み過ぎた発言」の事例があり、後に「従来の見解と変わらない」と火消しを図っている。そうした前例を考えれば、高市氏の迅速な修正は妥当な判断だったといえる。
今回、私がとりわけ遺憾に思ったのは、一部の左派・リベラルの言論が、日本政府自身の立場を踏まえずに、中国政府の主張をほとんど検証もせずに受け入れ、台湾のただでさえ狭い「国際的な空間」をさらに狭めてしまうことを手助けしていることである。日本の外交官たちが神経を尖らせながら練り上げてきた文言を雑に読み、そのうえで自分のイデオロギーに沿った言説が拡散していることに危機感を覚える。
今回、私がとりわけ遺憾に思ったのは、一部の左派・リベラルの言論が、日本政府自身の立場を踏まえずに、中国政府の主張をほとんど検証もせずに受け入れ、台湾のただでさえ狭い「国際的な空間」をさらに狭めてしまうことを手助けしていることである。日本の外交官たちが神経を尖らせながら練り上げてきた文言を雑に読み、そのうえで自分のイデオロギーに沿った言説が拡散していることに危機感を覚える。
台湾は、2300万人の生身の人間が暮らす場所だ。台湾人は、自らが獲得した自由と民主主義と人権を守るために、中国からの武力威嚇に備えざるを得ない状況に置かれている。リベラルが掲げる「普遍的価値」とは何なのか。いま一度、冷静に立ち止まり、台湾、中国に関するきちんとした知識を土台に、この議論を進めていくことを強く期待したい。>(以上「東洋経済」より引用)
「新聞ですら間違えた「台湾問題」に対する日本政府の立場。「日本は台湾を中国の一部と認めている」と思い込む人たちの課題」と題して前原 志保(九州大学准教授)氏が論評を書いている。そこで昨今のジャーナリストや評論家たちの不勉強を前原氏がキツク叱っている。
前原志保氏の略歴が引用論評に添付されているので、それも引用しておく。
「カナダのブリティッシュコロンビア大学卒業(東アジア研究)、イギリスのリーズ大学修士課程修了(中国研究)、国立台湾大学国家発展研究所で法学博士号取得。 博士論文「李登輝と台湾アイデンティティ」(2014年)で台湾研究博士論文賞受賞。 監訳書に『蔡英文 新時代の台湾へ』(白水社、2016年)。現在、九州大学大学院人間環境学研究院 准教授。日本台湾教育支援研究者ネットワーク(SNET台湾)特別研究員。」
彼女の学究歴を見れば引用論評の確実性が判然とするだろう。SNSでひろゆき氏が「中国が本気出せば日本は終わりですよ」と日本が中国から肥料などを輸入している対中依存度から論理展開しているが、貿易依存度の日中関係から云えば日本のほうが圧倒的に立場が上だ。
第一半導体生産に欠かせない素材の大半を中国は日本に依存している。中国お得意のEVやドローンにしても核心的な部品はすべて日本製だ。たんに日本が肥料輸入を中国に依存していることだけを指摘して、ひろゆき氏は「日本は終わり」の根拠にしているが、確かに日本の肥料輸入先は、窒素(尿素)、リン酸(りん安)、カリウム(塩化加里)の主要3要素で異なり、主にマレーシア、中国(窒素)、中国、モロッコ(リン酸)、カナダ(カリウム)など、特定国に依存している。中国から輸入している窒素は元々日本で製造していたものを、中国へ移転させたものだ。だから製造ラインを日本に戻せば問題はない。採算性も中国の賃金が上がって、それほど日本と大差なくなっている。むしろ日中の貿易品目の力関係から行けば「日本が本気を出せば中国は終わる」のだ。
本題に戻ろう。本当に「台湾は中国の内政問題」なのか、歴史な条約等を辿ってみよう。
1945年、終戦により日本の台湾統治は終わる。その前に1943年のカイロ宣言では、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中華民国の蔣介石主席が共同声明を出し、「日本が中国から奪った領土(満州、台湾、澎湖諸島)は中華民国に返還されるべき」とした。これは戦後処理の方針表明であり、条約ではない。
次にポツダム宣言について。
「日本は終戦するにあたりポツダム宣言(1945年)を受諾する。これは日本の降伏条件を定めた文書であり、連合国が日本に対して「カイロ宣言の条項は履行される」「日本の主権の範囲は、本州、北海道、九州、四国と小さな島々に限定」と明記した。しかし台湾の地位に関しては「将来の平和条約によって最終的に決定される」とされた。つまり、台湾の法的地位は日本と連合国間の講和条約まで保留されたのである」とある。
次に1951年のサンフランシスコ平和条約では台湾の帰属はどのように決められたのか。
「同条約には中華民国政府と中華人民共和国政府の双方ともに出席していない。国民党と共産党の内戦によって中華民国政府は台湾に撤退し、中国大陸では中華人民共和国政府が樹立され、どちらを正統な中国政府とするか連合国内でも意見が割れて、両方とも招かれなかったためだ。それもあり、サンフランシスコ平和条約は日本政府が台湾を「放棄する」とだけして、帰属先を明言しない形で結ばれた」のだ。
次に1972年に日本と中華人民共和国との間で行った日中共同声明について。
「第2項:「日本国政府は、中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府として承認する」 第3項:「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」 第2項の「承認する(recognize)」は法的な「政治承認」を意味する。問題は後者である。中国は「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する(reiterate:繰り返し述べて強調する)」とする。それに対して日本は「この中華人民共和国の立場を十分理解し、尊重し(fully understands and respects)、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」としている。ちなみにここでいう「ポツダム宣言第八項」とは上記にも提示した「カイロ宣言の条項は履行される」「日本の主権の範囲は、本州、北海道、九州、四国と小さな島々に限定」という部分である。
ここから客観的に読み取れるのは、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部」というのはあくまで中国側の主張であって、日本はそれを「承認(recognize)」しているわけではないということだ。日本は、中国がそのように表明している事情を「十分理解」し、その意見を「尊重する」と述べることで、相手のメンツには一定の配慮を示しつつも「賛同はしない」、しかし「議論の余地は残す」という外交の妙味を持たせている」とある。 いずれも条約や共同声明を詳細に検証した結果として、前原志保氏は「日本の外務省のサイトにはこの日中共同声明の英語版が補足的に掲載されているが、そこを見てみると日本側のニュアンスがより明確になる。「respect」は日本語だとあっさり「尊重する」と訳され、ポジティブな賛同の意味に誤解されがちだが、実際には agree(合意、賛同)やsupport(支持)より弱い表現であり、「否定はしないが、賛同もしない」、「相手の立場を踏まえているが距離をとる」というニュアンスを含む」としている。
それに対して、日中共同声明の中国語の文章表現ではどうなっているか。
「日中共同声明における日本語の「承認する」の部分は、中国語では「承认」となりこれは日本語の「承認」とほぼ同じ意味で問題はない。一方で「重ねて表明する」に対応するのは、「重申」であり、これは文字通り「繰り返し述べて強調する(reiterate)」という意味を持ち、外交文脈では強調度の強い語として用いられる。
また、「十分理解し、尊重し」の部分は中国語で「充分理解和尊重」と表現されるが、これも日本語とほぼ同じニュアンスで“相手の立場を否定はしないが、同意も承認もしていない”という中立的な距離感を含んでいる。日中間でこの声明文の解釈をめぐって大きな齟齬が生まれるような余地はなく、日本語・英語・中国語いずれにおいても整合的であると言える」とある。
さらに米中国交樹立に際して交わされた米国政府の文書では、
「アメリカと中華人民共和国は国交樹立に関連した3つのコミュニケを発表しているが、とりわけ重要なのは、1978年に発表され、1979年に発効した「アメリカ合衆国と中華人民共和国との間の外交関係樹立に関するコミュニケ」である。ここでも重要なポイントは2つだ。 アメリカは「中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」 The United States of America recognizes the Government of the People’s Republic of China as the sole legal Government of China.
「中国はただ一つであり、台湾は中国の一部であるという中国の立場をアクノレッジした」 The Government of the United States of America acknowledges the Chinese position that there is but one China and Taiwan is part of China.
1つ目は日本の場合と類似しており、「recognize」は法的な政府承認を意味する。問題は2つ目の 「アクノレッジ(acknowledge)」である。日本語だと慣習的に「認識する」と訳されるが、そのニュアンスは support(支持する)や recognize(承認する)よりも弱く、「中国がそのような主張をしていることは承知している」という距離をとった表現に近い」となっている。
いずれにしても、中共政府が「一つの中国」を主張するのは認めるが、「一つの中国」を日米ともに認めてはいない。
ただ今回の国会論戦で野党、とりわけ立憲党の岡田克也氏が「日本政府自身の立場を踏まえずに、中国政府の主張をほとんど検証もせずに受け入れ、台湾のただでさえ狭い「国際的な空間」をさらに狭めてしまうことを手助けしていること」を前原志保氏は遺憾に思っている。
また前原志保氏は「一部の左派・リベラルの言論が、日本の外交官たちが神経を尖らせながら練り上げてきた文言を雑に読み、そのうえで自分のイデオロギーに沿った言説が拡散していることに危機感を覚える」と論述している。まさにその通りだと思わざるを得ない。岡田氏の国会質問は誰にとって益があったのだろうか。
反日・左派の言論人のみならず、一般国民の多くも「一つの中国」が既成観念であるかのように思い込まされているのも、それは外交文書をキチンと読んで解釈してないからだ。決して日本政府も米国政府も、中京政府の主張するところの「一つの中国」を是認しているわけではない。「一つの中国」を叫ぶ中共政府の立場を理解したに過ぎない。