決して「アーバン熊」を放置してはならない。
<各地の里山や農村地帯から、連日のようにクマによる被害の報告が相次いでいる。田畑や果樹園が荒らされるだけでなく、人的被害も多い。
今日、クマ問題の次元は一ランク上がったと言っていいだろう。 なぜこれほどまでにクマはヒトを襲うようになったのか。
クマ騒動の元凶
「クマが人間を襲うのはドングリが不足しているからだ」
かつてそう信じて問題解決のために動いたNPO(民間非営利団体)があった。2004年、“ドングリを集めてほしい”と全国に募集したところ、たちまち4トンのドングリが集まった。しかし全国のドングリが交雑し、生態系に悪影響を及ぼす懸念が指摘された。2010年にはクリの実を真っ赤なナイロンネットに入れて、奥山の木の枝に置いた人がいた。親切のつもりで置いたのだろうが、「人里にクマを引き寄せるきっかけ」になり逆効果*1だとされた。里クマ(アーバン・ベア)を増やす手助けや、餌になる食材(残渣)の放置はできれば止めたい。
今年のブナは東北では大凶作で、豊凶指数は0.06(5県平均:東北森林管理局)。凶作年といわれた2010年の0.48、2014年の0.44、2016年の0.14、2019年の0.24より低く、過去最悪の数値になっている。人身被害もこれまでで最もひどく、環境省によると18道府県で180人(10月末現在)に増えた。死者は5人となった。
ブナ、ナラ、コナラなどの出来ぐあいがクマ出没・人身被害の一因だが、原因はこれだけではない。大きくは列島社会全体の、もうどうしようもない3つの趨勢による。
(1)ヒトの減少・中山間地域の過疎化
(2)境界域(耕作放棄地・里山等の緩衝帯)の「再自然化」
(3)クマ(野生獣)の増加
いずれもこのままでは止められない流れで、ヒトの居住域の縮小と撤退がこれからも続くため、クマなど野生獣の生息域の拡大は続く。日本列島におけるヒトとクマの相対的な力関係の変化は、クマなど野生獣の個体調整(駆除)を行わない限り、押し戻せない。
境界域近くに暮らす人たちは割を食う。安寧な暮らしが脅かされながら、それでもそこで生きていかなければならない。
いきなりクマと遭うと…?
林道を横切るクマや遠くの山腹を歩くクマは、仕事柄、何度か見たが、鉢合わせたこともある。40年前の青森県S村での話だが、山中で大きなタラの芽を車窓から見つけた私は、車道から2メートルほど飛び降りた。その時、眼下7、8メートルの至近距離でガバァ――。1.5メートルの黒い巨体がこちらを向いた。クマを驚かせてしまったようだ。
目と目が合い、互いに固まった。睨み合っていると、みるみるクマの剛毛が一本一本逆立ち、巨体はさらに大きくなった。刃渡り30センチメートルの腰鉈を私は携行していたけれど、鉈を手にすることができなかった。睨み合いは数秒続いたろうか、クマは突然、踵(きびす)を返し、猛スピードで駆け降りた。
ガラッ、ガンッガンッ……。岩石が山頂から落下するような音を立ててクマは谷間へ消えた。その速さたるや到底ヒトが追いつけるものではない。命拾いしたが、しばらくは声が出ず、体の震えは数分経ってから膝にきた。
クマの行動パターンは「人を恐れて隠れる」ということ――その基本を私は忘れてしまっていたのだ。
被害地の「精神的被害」
現在、出没地域では威嚇音、轟音玉(手投げ式の動物追い払い用花火)などがクマ撃退に使われているが、忍者みたいなクマといつ遭遇するか分からないという恐怖は、当地に暮らしている者にしか理解できない。
デヴィ夫人のように、クマの射殺を可哀そうだからやめてと言い、動物愛護を優先させるべきだと主張される方がおられる。しかしクマの危害を受けた地域では、「精神的被害」も含め、クマと人との軋轢が深刻な社会問題になっていることを忘れてはいけない。
TVなどに愛らしい子グマやウリボウ(子猪)、それにバンビがしばしば登場したり、キャラクターグッズでもくまモンたちが人気だ(ちなみに九州ではクマは絶滅したとされている)。おかげで野生獣を身近に感じることができるようになった。
見れば可愛く、それを愛でたくなるのが人情だ。「その動物を殺すなんてもってのほか!」「可哀そうだから守ってやって……」と発するのはごく当たり前の感覚である。
憂うべきは、そのお茶の間感覚がいつでもどこでも正しいと思い込んでしまうことだ。
アフリカのサファリ遊覧車からフラフラと降り、野生動物に近づこうとして襲われた悲劇をNGOの方から聞いた。被害に遭うのは動物園感覚の日本人がとりわけ多いというが、ニュースにはなっていない。
現行の動物愛護管理法だって、動物の福祉と愛護がごちゃ混ぜになってしまっている。2023年度、全国で4204頭のクマが駆除(環境省:9月末暫定値)されたが、この行為を即刻中止すべきだとの意見も一部である。悪いのは本来臆病なクマではなく、生息地に自動車道路をつくったり、リゾート開発をした人間が悪いのだと。
大切なことは、“クマと遭遇してしまう場所に暮らす人たちがフツーの暮らしを続けていくには”という視点ではないか。都会の人工的環境に居て、そういった場所を遠くに見ながら評論するのではなく、そこに暮らす人々の思いを尊重していくことである。
それにしても、クマに襲われた人やご親族たちの辛い思いはいかばかりだろうか。居住するエリアにまで侵入してくる恐ろしい獣と、いったいどう対峙すればよいのか。丹精こめてつくり上げた収穫物を一度ならず、二度、三度と根こそぎ荒らされた人たちは耕作を諦めてしまう。
フランスでも都市住民から「クマを撃つなんて」と非難囂々
日本とはクマの密度がまるで違うが、海外でもヒトとクマの対立はある。2004年、フランスではピレネー山岳地帯に暮らす人たちの生活域にヒグマが現れた。当事者は“正当防衛で射殺した”と主張したが、パリに住む都市派からは、“かわいそうだ、撃つべきではなかった”と大いに叩かれた。
2021年には、フランス南西部のスペイン国境に近いアリエージュ県で、70歳の猟師がヒグマに遭遇して襲われ重傷を負い、高山憲兵隊によって助けられた*2。ヒグマの死骸が近くにあったというが、この猟師がクマを撃ったかどうかについては明確に報道されていない。憲兵隊の広報は報道を控えたとみられる。報道していたら、北海道釧路町の「OSO(オソ)18」のケース(2023.8)のような騒ぎになっていたかもしれない。
永田町の仕事である
今日、クマを射殺せず麻酔銃やわなで捕獲し、奥山に戻すケース(奥山放獣)が各地で試みられている。ただし効果をみるには時間と人手を要する。クマの行動範囲は平均20~40平方キロメートル(中には100平方キロメートルの事例も)に及び、わずか数キロメートル程度運んだとて、戻ってくる。人里のおいしい柿や残飯の味を学習してしまった賢いクマ(里クマ)を遠ざけるには、からしスプレーをかけるだけではおぼつかない。
何よりコストがかかる。軽井沢町(財政力指数*4 1.61)のクマ対策は間違いなく先進的だが、20年以上も継続できる予算と経験ある人材の確保を、全国自治体に敷衍化できるかというと、かなりハードルが高い。
兵庫県(クマ推定859頭*5/人口537万人)の取り組みも先進的な対策モデルの一つだ。研究を続けられる組織と少ないながらも予算が継承され、個体数把握と駆除が進められている。
しかし、「人口当たりのクマ頭数」が兵庫県の30倍になってしまった秋田県(クマ推定4400頭/人口91万人)をはじめ東北・北陸などの人身被害の増加県やヒグマを擁する北海道では、クマ対策を継続的に担っていくための予算とマンパワーが圧倒的に不足している。
何よりも人命にかかわる問題が顕在化してきているわけだから、ここはもう国策による踏み出しが急務で、政治マター。永田町(国会議員)の仕事である。
とりわけ①鳥獣保護管理法(環境省)、鳥獣被害防止特措法(農水省)、動物愛護管理法(環境省)など各法律の補強、②国(農水省、環境省)、都道府県、市町村、猟友会(ハンター)など各セクター間の連携強化、③中長期的な問題に対する包括的な財政支援など、将来に向けた骨太の改善策が不可欠だ。研究者も論文量産のためかフィールド離れが目立つが、地元ハンターや農林家の声をもっと拾っていきたい。
幸いなことに11月13日、環境省はクマを捕獲や駆除のための交付金の対象となる「指定管理鳥獣」に追加する検討を始めたと報じられた。ぜひ実効性のある施策に結び付けてもらいたい。
無策のままだと、ヒトとクマの緩衝帯(バッファー)である耕作放棄地(42万ヘクタール)と里山(約400万ヘクタール)は自然遷移による「再自然化」が進み、里クマやシカにとっても好都合な「隠れ家」と「食糧基地」になり変わってしまう。結果、国土全域に広がるヒトとクマとの遭遇線が都市エリアにさらに近づき、接することになり、クマとのニアミスや人的被害、悲劇が都市内でさらに頻発化していくだろう。私たちはそれを望んではいない。>(以上「JB press」より引用)
「ヒトを危める熊は殺めるほかない――そのために永田町は早急に法整備をーー現場は「殺るか殺られるか」、人が襲われたとき駆除反対派は責任をとれるのか?」と題して平野秀樹(姫路大学特任教授)氏が熊被害対策を論述している。
今日、クマ問題の次元は一ランク上がったと言っていいだろう。 なぜこれほどまでにクマはヒトを襲うようになったのか。
クマ騒動の元凶
「クマが人間を襲うのはドングリが不足しているからだ」
かつてそう信じて問題解決のために動いたNPO(民間非営利団体)があった。2004年、“ドングリを集めてほしい”と全国に募集したところ、たちまち4トンのドングリが集まった。しかし全国のドングリが交雑し、生態系に悪影響を及ぼす懸念が指摘された。2010年にはクリの実を真っ赤なナイロンネットに入れて、奥山の木の枝に置いた人がいた。親切のつもりで置いたのだろうが、「人里にクマを引き寄せるきっかけ」になり逆効果*1だとされた。里クマ(アーバン・ベア)を増やす手助けや、餌になる食材(残渣)の放置はできれば止めたい。
今年のブナは東北では大凶作で、豊凶指数は0.06(5県平均:東北森林管理局)。凶作年といわれた2010年の0.48、2014年の0.44、2016年の0.14、2019年の0.24より低く、過去最悪の数値になっている。人身被害もこれまでで最もひどく、環境省によると18道府県で180人(10月末現在)に増えた。死者は5人となった。
ブナ、ナラ、コナラなどの出来ぐあいがクマ出没・人身被害の一因だが、原因はこれだけではない。大きくは列島社会全体の、もうどうしようもない3つの趨勢による。
(1)ヒトの減少・中山間地域の過疎化
(2)境界域(耕作放棄地・里山等の緩衝帯)の「再自然化」
(3)クマ(野生獣)の増加
いずれもこのままでは止められない流れで、ヒトの居住域の縮小と撤退がこれからも続くため、クマなど野生獣の生息域の拡大は続く。日本列島におけるヒトとクマの相対的な力関係の変化は、クマなど野生獣の個体調整(駆除)を行わない限り、押し戻せない。
境界域近くに暮らす人たちは割を食う。安寧な暮らしが脅かされながら、それでもそこで生きていかなければならない。
いきなりクマと遭うと…?
林道を横切るクマや遠くの山腹を歩くクマは、仕事柄、何度か見たが、鉢合わせたこともある。40年前の青森県S村での話だが、山中で大きなタラの芽を車窓から見つけた私は、車道から2メートルほど飛び降りた。その時、眼下7、8メートルの至近距離でガバァ――。1.5メートルの黒い巨体がこちらを向いた。クマを驚かせてしまったようだ。
目と目が合い、互いに固まった。睨み合っていると、みるみるクマの剛毛が一本一本逆立ち、巨体はさらに大きくなった。刃渡り30センチメートルの腰鉈を私は携行していたけれど、鉈を手にすることができなかった。睨み合いは数秒続いたろうか、クマは突然、踵(きびす)を返し、猛スピードで駆け降りた。
ガラッ、ガンッガンッ……。岩石が山頂から落下するような音を立ててクマは谷間へ消えた。その速さたるや到底ヒトが追いつけるものではない。命拾いしたが、しばらくは声が出ず、体の震えは数分経ってから膝にきた。
クマの行動パターンは「人を恐れて隠れる」ということ――その基本を私は忘れてしまっていたのだ。
被害地の「精神的被害」
現在、出没地域では威嚇音、轟音玉(手投げ式の動物追い払い用花火)などがクマ撃退に使われているが、忍者みたいなクマといつ遭遇するか分からないという恐怖は、当地に暮らしている者にしか理解できない。
デヴィ夫人のように、クマの射殺を可哀そうだからやめてと言い、動物愛護を優先させるべきだと主張される方がおられる。しかしクマの危害を受けた地域では、「精神的被害」も含め、クマと人との軋轢が深刻な社会問題になっていることを忘れてはいけない。
TVなどに愛らしい子グマやウリボウ(子猪)、それにバンビがしばしば登場したり、キャラクターグッズでもくまモンたちが人気だ(ちなみに九州ではクマは絶滅したとされている)。おかげで野生獣を身近に感じることができるようになった。
見れば可愛く、それを愛でたくなるのが人情だ。「その動物を殺すなんてもってのほか!」「可哀そうだから守ってやって……」と発するのはごく当たり前の感覚である。
憂うべきは、そのお茶の間感覚がいつでもどこでも正しいと思い込んでしまうことだ。
アフリカのサファリ遊覧車からフラフラと降り、野生動物に近づこうとして襲われた悲劇をNGOの方から聞いた。被害に遭うのは動物園感覚の日本人がとりわけ多いというが、ニュースにはなっていない。
現行の動物愛護管理法だって、動物の福祉と愛護がごちゃ混ぜになってしまっている。2023年度、全国で4204頭のクマが駆除(環境省:9月末暫定値)されたが、この行為を即刻中止すべきだとの意見も一部である。悪いのは本来臆病なクマではなく、生息地に自動車道路をつくったり、リゾート開発をした人間が悪いのだと。
大切なことは、“クマと遭遇してしまう場所に暮らす人たちがフツーの暮らしを続けていくには”という視点ではないか。都会の人工的環境に居て、そういった場所を遠くに見ながら評論するのではなく、そこに暮らす人々の思いを尊重していくことである。
それにしても、クマに襲われた人やご親族たちの辛い思いはいかばかりだろうか。居住するエリアにまで侵入してくる恐ろしい獣と、いったいどう対峙すればよいのか。丹精こめてつくり上げた収穫物を一度ならず、二度、三度と根こそぎ荒らされた人たちは耕作を諦めてしまう。
フランスでも都市住民から「クマを撃つなんて」と非難囂々
日本とはクマの密度がまるで違うが、海外でもヒトとクマの対立はある。2004年、フランスではピレネー山岳地帯に暮らす人たちの生活域にヒグマが現れた。当事者は“正当防衛で射殺した”と主張したが、パリに住む都市派からは、“かわいそうだ、撃つべきではなかった”と大いに叩かれた。
2021年には、フランス南西部のスペイン国境に近いアリエージュ県で、70歳の猟師がヒグマに遭遇して襲われ重傷を負い、高山憲兵隊によって助けられた*2。ヒグマの死骸が近くにあったというが、この猟師がクマを撃ったかどうかについては明確に報道されていない。憲兵隊の広報は報道を控えたとみられる。報道していたら、北海道釧路町の「OSO(オソ)18」のケース(2023.8)のような騒ぎになっていたかもしれない。
クマをわざわざ輸入して森に放ったフランス
日本と比べて事情が複雑なのが、フランスのヒグマが皆、輸入したヒグマの子孫であるという点だ。というのも1995年、フランス国内のヒグマの生存頭数はわずか5頭で、ほぼ絶滅に追い込まれていた。「これではまずい」と考えたフランス政府は、翌1996年、再繁殖させるべく、スロベニアから輸入したヒグマをピレネー山脈に放ったのだ。
放獣計画への賛成派の言い分は、「人間もヒグマも地球の一員。ヒグマにも生きる権利がある」(地元村長)、「ヒグマの血筋を絶やす環境大臣になりたくない」(環境大臣)、「私たちは生物多様性という考えに愛着をもっている」(マクロン大統領)だった*3。
放獣のおかげでフランス国内のヒグマは増えた。2020年には64頭になった。
しかし、クマは放牧中の羊を捕食する。年間200頭程度の羊がフランスでは犠牲になっているから、当然のことながら畜産農家たちは放獣に対し猛反対を続けている。2018年の放獣に際しては、反対派は放獣場所の山に至る通行を妨げようと道路上に陣取っていた。このため、2頭のスロベニア産のヒグマはヘリコプターでピレネー山脈まで空輸されたという。
フランスでも、人が襲われるなどしたクマ関連の被害は増えており、とうとう2020年には329件と過去最多になってしまった。
日本と比べて事情が複雑なのが、フランスのヒグマが皆、輸入したヒグマの子孫であるという点だ。というのも1995年、フランス国内のヒグマの生存頭数はわずか5頭で、ほぼ絶滅に追い込まれていた。「これではまずい」と考えたフランス政府は、翌1996年、再繁殖させるべく、スロベニアから輸入したヒグマをピレネー山脈に放ったのだ。
放獣計画への賛成派の言い分は、「人間もヒグマも地球の一員。ヒグマにも生きる権利がある」(地元村長)、「ヒグマの血筋を絶やす環境大臣になりたくない」(環境大臣)、「私たちは生物多様性という考えに愛着をもっている」(マクロン大統領)だった*3。
放獣のおかげでフランス国内のヒグマは増えた。2020年には64頭になった。
しかし、クマは放牧中の羊を捕食する。年間200頭程度の羊がフランスでは犠牲になっているから、当然のことながら畜産農家たちは放獣に対し猛反対を続けている。2018年の放獣に際しては、反対派は放獣場所の山に至る通行を妨げようと道路上に陣取っていた。このため、2頭のスロベニア産のヒグマはヘリコプターでピレネー山脈まで空輸されたという。
フランスでも、人が襲われるなどしたクマ関連の被害は増えており、とうとう2020年には329件と過去最多になってしまった。
永田町の仕事である
今日、クマを射殺せず麻酔銃やわなで捕獲し、奥山に戻すケース(奥山放獣)が各地で試みられている。ただし効果をみるには時間と人手を要する。クマの行動範囲は平均20~40平方キロメートル(中には100平方キロメートルの事例も)に及び、わずか数キロメートル程度運んだとて、戻ってくる。人里のおいしい柿や残飯の味を学習してしまった賢いクマ(里クマ)を遠ざけるには、からしスプレーをかけるだけではおぼつかない。
何よりコストがかかる。軽井沢町(財政力指数*4 1.61)のクマ対策は間違いなく先進的だが、20年以上も継続できる予算と経験ある人材の確保を、全国自治体に敷衍化できるかというと、かなりハードルが高い。
兵庫県(クマ推定859頭*5/人口537万人)の取り組みも先進的な対策モデルの一つだ。研究を続けられる組織と少ないながらも予算が継承され、個体数把握と駆除が進められている。
しかし、「人口当たりのクマ頭数」が兵庫県の30倍になってしまった秋田県(クマ推定4400頭/人口91万人)をはじめ東北・北陸などの人身被害の増加県やヒグマを擁する北海道では、クマ対策を継続的に担っていくための予算とマンパワーが圧倒的に不足している。
何よりも人命にかかわる問題が顕在化してきているわけだから、ここはもう国策による踏み出しが急務で、政治マター。永田町(国会議員)の仕事である。
とりわけ①鳥獣保護管理法(環境省)、鳥獣被害防止特措法(農水省)、動物愛護管理法(環境省)など各法律の補強、②国(農水省、環境省)、都道府県、市町村、猟友会(ハンター)など各セクター間の連携強化、③中長期的な問題に対する包括的な財政支援など、将来に向けた骨太の改善策が不可欠だ。研究者も論文量産のためかフィールド離れが目立つが、地元ハンターや農林家の声をもっと拾っていきたい。
幸いなことに11月13日、環境省はクマを捕獲や駆除のための交付金の対象となる「指定管理鳥獣」に追加する検討を始めたと報じられた。ぜひ実効性のある施策に結び付けてもらいたい。
無策のままだと、ヒトとクマの緩衝帯(バッファー)である耕作放棄地(42万ヘクタール)と里山(約400万ヘクタール)は自然遷移による「再自然化」が進み、里クマやシカにとっても好都合な「隠れ家」と「食糧基地」になり変わってしまう。結果、国土全域に広がるヒトとクマとの遭遇線が都市エリアにさらに近づき、接することになり、クマとのニアミスや人的被害、悲劇が都市内でさらに頻発化していくだろう。私たちはそれを望んではいない。>(以上「JB press」より引用)
「ヒトを危める熊は殺めるほかない――そのために永田町は早急に法整備をーー現場は「殺るか殺られるか」、人が襲われたとき駆除反対派は責任をとれるのか?」と題して平野秀樹(姫路大学特任教授)氏が熊被害対策を論述している。
予算と効果から見れば、人里に出た熊はすべて殺処分するのが安全で最も確実な解決策だ。しかし熊を殺処分しないとすれば、生息地域の面積と餌となる楢などの樹木と小動物の生息数の把握などの調査や熊の実数把握が必要となる。それこそ経験豊富なマンパワーが必要とされ、予算もそれなりに付けなければ科学的な統計数値は積算できないだろう。
おおよその生息数を地方自治体は引用記事では把握しているようだが、例えば兵庫県(クマ推定859頭),秋田県(クマ推定4400頭)などと、ある程度の生息数を把握している県はあるようだが、北海道は羆がどの地域にどれほど生息しているのか全く把握していない。しかし北海道の広大な山野を調査するだけでも、どれほどのマンパワーが必要なのか想像を絶する。
フランス人はモノ好きなのか「1995年、フランス国内のヒグマの生存頭数はわずか5頭で、ほぼ絶滅に追い込まれていた。「これではまずい」と考えたフランス政府は、翌1996年、再繁殖させるべく、スロベニアから輸入したヒグマをピレネー山脈に放った」というから驚きだ。
結果として人が襲われるなど「2020年には329件と過去最多になってしまった」という。人を餌と認識するヒグマを放って増殖させれば、家畜だけでなく人も襲われるようになるのは当たり前ではないか。
ここ数日、ニュースで熊が幼稚園の敷地に入ったり、高校の体育館内に侵入したり、小学校の近辺をうろついたりと、いよいよ緊急措置が必要な段階に達しつつある。山麓の人里に出て柿や栗を食べている段階ではない。街中の道路を横断したり人家に入り込むとは、それらの熊はもはや「アーバン熊」として街に生息している、と考えなければならない。
つまり熊にとって街は人が暮らしている場所ではなく、熊の餌場でしかない。大人ですら命を落とすのだから幼児や児童が襲われたらひとたまりもない。これから個別識別調査する、という段階ではない。人里に出た熊はすべて殺処分して、人里は「怖い所だ」と認識させなければならない。決して「アーバン熊」を放置してはならない。子供が熊に無残に喰われてから反省しては遅い。大人の責任で人里に降りて来た熊は殺処分すべきだ。