CO2地球温暖化詐欺に騙されてはならない。
<世界各地で「異常気象」が
次々と観測されているが…
気温上昇による乾燥化は、植物の状態を極めて燃えやすい状態に変化させている。また、異常気象による長期的な干ばつも、森林火災のリスクを著しく高めている。
国連の世界気象機関(WMO)の推計によると、2021年の森林火災による二酸化炭素排出量は約17億トンに達し、これは世界の年間総排出量の約4.5%に相当する。
さらに、森林の消失は土壌浸食を促進し、水源涵養機能を低下させる。これにより、洪水や地すべりのリスクが増大する。また、焼失した森林の炭素固定能力の喪失は、気候変動対策における大きな課題となっている。 森林火災対策の成否は、地球の未来を左右する重要な要素のひとつとなる。科学的知見に基づいた対策の実施と、国際社会の協調的な取り組みが、いままさに求められている。
大型台風や長雨の頻度が高まり、今後も異常気象が続くことを懸念する人も多い。
海外でも、ある国では洪水被害が起きるいっぽう、別の国では干ばつによる農作物被害が起きていることが報じられている。冷夏、暖冬による影響も、複数の地域で見られる。
こうしたことからウェブやテレビ、新聞などでは「異常気象」や「気候変動」という言葉がよく使われている。
地球全体で考えれば
気象バランスは保たれたまま
異常気象とは「過去に経験した現象から大きく外れた現象」(気象庁ホームページ)を言う。この「経験から外れた現象」、すなわち異常気象は日本だけでなく、地球規模で確認できている現象である。
これまで経験したことがないという意味で「異常」、あるいは「変動」という言葉が使われているのだろう。だが、私たち地球科学者はこういう言葉遣いに違和感を覚えている。
自然界では元来、ありとあらゆることが、変動することによって均衡を保っていることを知っているからだ。自然界、ひいては地球の歴史においては、「不可逆性」(二度と同じ状態に戻らないこと)という摂理が保たれてきた。
私が火山を手掛かり足掛かりとして地球科学を研究して四半世紀が過ぎたが、この経験をもとに言えば、メディアなどで報じられている異常気象は、必ずしも異常ではない。
その異常はあくまで人間が持つスケールが生む感覚であって、地球のスケールからすれば「正常」だからだ。地球科学の「目」からすると、人間に都合が悪いから異常と見なし、勝手にそうしたレッテル貼りをしているように映る。
地球のどこかで高温による干ばつが起これば、ほかの地域では洪水が起こるという現象は、地球がバランスを取ろうとしていることを示している。異常高温となる地域があれば、別の地域で異常低温が生じることも同様である。
たとえば雨についても、地球全体としての降水量はほぼ一定で、海が誕生してから40億年の間に地球が保っている水の総量はほとんど変わっていない。
地球の立場に立てば、いっとき大雨が降る地方が現れたり、干ばつになる地方が現れたりすることは異常ではなく、よく起きている変化に過ぎない。すなわち、ある災害が個々の地域に被害を及ぼすことがあっても、それが地球全体への害悪になるとは簡単には言えないのだ。
それほどに地球は巨大なのだ。そうであるが故に、人間にとって異常と感じる現象も、地球にとっては小さいと評価される。
しかしいっぽうで、そうした地球規模にとっては小さな現象が、そこで営々と生活を築き上げてきた人々に多大な影響を与え、人命に関わる事態を生じさせていることも事実であり重要な問題なのだ。
「長尺の目」で考えると
温暖化は悪いとは言えない
地球のように巨大なものを考えるときは「長尺の目」といって、大きなスケールで物事を見る必要がある。
世界的な異常気象の背景には、地球の温暖化があると盛んに言われている。しかし、46億年という地球の誕生から現在までを考えれば、けっして現在の気象が異常とは言えない。
地球の歴史は46億年前にはじまり、それからさまざまな現象が起きた。生命誕生のあとも地球環境の激変によって大量の生物が絶滅した。
「長尺の目」で見ることは、今後の地球がどうなるかを知るためにも威力を発揮する。
たとえば、何万年、何千万年というスケールで捉えることによって、長期的な予測が可能になる。物事は常にミクロだけでなく、マクロに見ることが重要である。
人類の祖先はアフリカで誕生し、木の上から地面に下りて暮らしを営むようになった。それ以降サバンナの大地を歩く、いわゆる二足歩行がはじまった。人類はその後、数百万年は狩猟採集による生活を続ける。
人類が大きな転換点を迎えたのが、約1万年前である。それ以前の地球は寒冷気候できわめて暮らしにくかったのだが、1万年ほど前に地球全体が温暖化したのである(図6-31万年前以降の気候変化と文明の盛衰)。
《図表》

地球は温暖化と寒冷化を
繰り返しているだけ
地球が温暖化しているのは、「温室効果」の機能をもつ二酸化炭素が増えたからではないか、という議論がある。
大気中の二酸化炭素濃度は、地球内部での炭素の循環や、大気と海洋の間での炭素のやり取りなど、複雑な相互作用によって決まっている。
産業革命以来、人間の活動によって大量の二酸化炭素が放出されたが、地球システム全体で見れば、炭素の循環による影響のほうがはるかに大きい。炭素は長い時間をかけて状態を変えながら地球を循環しており、二酸化炭素もそのひとつである。
地球の歴史は気候変動の歴史でもある。約40億年前に地球表面が冷え固まって大地が誕生してから、地球上は温暖化と寒冷化を繰り返してきた。その中で平均気温を決める大気中の二酸化炭素濃度は、途中で上昇・低下はあったものの、大局的には低下傾向にある。
100万年という時間軸の中では、大気中や海水中の二酸化炭素が炭酸カルシウムとして固定される速度と、火山活動により二酸化炭素が大気中に放出される速度とが、ほぼ等しくなっている。これを、炭素が形態を変えながら地球全体を循環する「炭素循環システム」としてみれば、平衡状態にあると言える。
ただし、細かく見ると平衡状態よりも二酸化炭素濃度が高い時期があり、そのときは温室効果によって「温暖期」になる。反対に二酸化炭素濃度が低い時期は「寒冷期」となる。
また、炭素循環には時間のスケールが短いものもある。数年から数十年の単位では大気・海洋・生物の間で交わされる小さな規模の循環が起きており、光合成や呼吸の結果として炭素を体内に蓄積する森林やプランクトンの増減などが循環に影響する。
しかし、短期的な二酸化炭素濃度の揺らぎは、長期的には平衡状態へ戻っていく。
たとえば、マントルの対流が活発化して地上に大量のマグマが噴出すると、二酸化炭素の供給量が増えて長期的な温暖化に向かう。その結果、大気中の二酸化炭素が海水にとける量が増え、次第に大気中の二酸化炭素濃度が低下する。
二酸化炭素が本当に
温暖化の原因なのか?
逆に、地球全体の火山活動が不活発になって二酸化炭素の放出が減ると、気候は寒冷化して「氷河時代」が到来する。すると、二酸化炭素による岩石の風化作用が停滞して大気中の二酸化炭素濃度が上がり、長期的には温暖化へと向かっていく。
氷河時代は過去の地球で何回も起きており、二酸化炭素濃度の低下との相関が見られる。
炭素循環のモデルを構築した米地球科学者のロバート・A・バーナー博士(Robert A Berner,1935-2015)の推定によれば、氷河時代だった古生代の石炭紀(約3億年前)は、二酸化炭素濃度が現在と同じような低さだった。
現在の地球は、南極やグリーンランドの極地に厚い氷床が存在するため、地質学的には「氷河時代」に区分され、氷河時代の中でも氷期と氷期の間の比較的温暖な「間氷期」にある。
地球史をこうした長い時間軸で眺めると、現在の大気中の二酸化炭素濃度は、寒冷期にあたる非常に低い水準と言えよう。
したがって、いま世界中で問題にされている地球温暖化も、こうした「長尺の目」で見ると、氷期に向かう途上での一時的な温暖化とも解釈できるのである。
もともと地球環境は不安定なもので、絶えず変動するのが本来の姿である。近未来の地球環境を判断する際には、こうした視座も必要である。>(以上「DIAMOND」より引用)
「「異常気象は温暖化のせい」ってホント? 現在の地球は氷河時代」と題して鎌田浩毅 (京大名誉教授)氏が解説している。国連のグテーレス事務総長が「(このまま大気中のCO2濃度が上昇すれば)地球が沸騰する」と発言したのは、2023年7月のことだつた。彼は世界の平均気温が観測史上最高を記録し気候変動の危機感を表明したのだが、地球が沸騰していたのは45億年前に地球が誕生した時だけだ。
EVが内燃機関よりエネルギー効率で劣るのは既に証明されている。エネルギー効率に劣る、と云うことはCO2排出量が多いと云うことでもあるのだが、そうした科学的な真実すら現代の政治家諸氏は知ろうともしない。
次々と観測されているが…
気温上昇による乾燥化は、植物の状態を極めて燃えやすい状態に変化させている。また、異常気象による長期的な干ばつも、森林火災のリスクを著しく高めている。
国連の世界気象機関(WMO)の推計によると、2021年の森林火災による二酸化炭素排出量は約17億トンに達し、これは世界の年間総排出量の約4.5%に相当する。
さらに、森林の消失は土壌浸食を促進し、水源涵養機能を低下させる。これにより、洪水や地すべりのリスクが増大する。また、焼失した森林の炭素固定能力の喪失は、気候変動対策における大きな課題となっている。 森林火災対策の成否は、地球の未来を左右する重要な要素のひとつとなる。科学的知見に基づいた対策の実施と、国際社会の協調的な取り組みが、いままさに求められている。
大型台風や長雨の頻度が高まり、今後も異常気象が続くことを懸念する人も多い。
海外でも、ある国では洪水被害が起きるいっぽう、別の国では干ばつによる農作物被害が起きていることが報じられている。冷夏、暖冬による影響も、複数の地域で見られる。
こうしたことからウェブやテレビ、新聞などでは「異常気象」や「気候変動」という言葉がよく使われている。
地球全体で考えれば
気象バランスは保たれたまま
異常気象とは「過去に経験した現象から大きく外れた現象」(気象庁ホームページ)を言う。この「経験から外れた現象」、すなわち異常気象は日本だけでなく、地球規模で確認できている現象である。
これまで経験したことがないという意味で「異常」、あるいは「変動」という言葉が使われているのだろう。だが、私たち地球科学者はこういう言葉遣いに違和感を覚えている。
自然界では元来、ありとあらゆることが、変動することによって均衡を保っていることを知っているからだ。自然界、ひいては地球の歴史においては、「不可逆性」(二度と同じ状態に戻らないこと)という摂理が保たれてきた。
私が火山を手掛かり足掛かりとして地球科学を研究して四半世紀が過ぎたが、この経験をもとに言えば、メディアなどで報じられている異常気象は、必ずしも異常ではない。
その異常はあくまで人間が持つスケールが生む感覚であって、地球のスケールからすれば「正常」だからだ。地球科学の「目」からすると、人間に都合が悪いから異常と見なし、勝手にそうしたレッテル貼りをしているように映る。
地球のどこかで高温による干ばつが起これば、ほかの地域では洪水が起こるという現象は、地球がバランスを取ろうとしていることを示している。異常高温となる地域があれば、別の地域で異常低温が生じることも同様である。
たとえば雨についても、地球全体としての降水量はほぼ一定で、海が誕生してから40億年の間に地球が保っている水の総量はほとんど変わっていない。
地球の立場に立てば、いっとき大雨が降る地方が現れたり、干ばつになる地方が現れたりすることは異常ではなく、よく起きている変化に過ぎない。すなわち、ある災害が個々の地域に被害を及ぼすことがあっても、それが地球全体への害悪になるとは簡単には言えないのだ。
それほどに地球は巨大なのだ。そうであるが故に、人間にとって異常と感じる現象も、地球にとっては小さいと評価される。
しかしいっぽうで、そうした地球規模にとっては小さな現象が、そこで営々と生活を築き上げてきた人々に多大な影響を与え、人命に関わる事態を生じさせていることも事実であり重要な問題なのだ。
「長尺の目」で考えると
温暖化は悪いとは言えない
地球のように巨大なものを考えるときは「長尺の目」といって、大きなスケールで物事を見る必要がある。
世界的な異常気象の背景には、地球の温暖化があると盛んに言われている。しかし、46億年という地球の誕生から現在までを考えれば、けっして現在の気象が異常とは言えない。
地球の歴史は46億年前にはじまり、それからさまざまな現象が起きた。生命誕生のあとも地球環境の激変によって大量の生物が絶滅した。
「長尺の目」で見ることは、今後の地球がどうなるかを知るためにも威力を発揮する。
たとえば、何万年、何千万年というスケールで捉えることによって、長期的な予測が可能になる。物事は常にミクロだけでなく、マクロに見ることが重要である。
人類の祖先はアフリカで誕生し、木の上から地面に下りて暮らしを営むようになった。それ以降サバンナの大地を歩く、いわゆる二足歩行がはじまった。人類はその後、数百万年は狩猟採集による生活を続ける。
人類が大きな転換点を迎えたのが、約1万年前である。それ以前の地球は寒冷気候できわめて暮らしにくかったのだが、1万年ほど前に地球全体が温暖化したのである(図6-31万年前以降の気候変化と文明の盛衰)。
《図表》

地球は温暖化と寒冷化を
繰り返しているだけ
地球が温暖化しているのは、「温室効果」の機能をもつ二酸化炭素が増えたからではないか、という議論がある。
大気中の二酸化炭素濃度は、地球内部での炭素の循環や、大気と海洋の間での炭素のやり取りなど、複雑な相互作用によって決まっている。
産業革命以来、人間の活動によって大量の二酸化炭素が放出されたが、地球システム全体で見れば、炭素の循環による影響のほうがはるかに大きい。炭素は長い時間をかけて状態を変えながら地球を循環しており、二酸化炭素もそのひとつである。
地球の歴史は気候変動の歴史でもある。約40億年前に地球表面が冷え固まって大地が誕生してから、地球上は温暖化と寒冷化を繰り返してきた。その中で平均気温を決める大気中の二酸化炭素濃度は、途中で上昇・低下はあったものの、大局的には低下傾向にある。
100万年という時間軸の中では、大気中や海水中の二酸化炭素が炭酸カルシウムとして固定される速度と、火山活動により二酸化炭素が大気中に放出される速度とが、ほぼ等しくなっている。これを、炭素が形態を変えながら地球全体を循環する「炭素循環システム」としてみれば、平衡状態にあると言える。
ただし、細かく見ると平衡状態よりも二酸化炭素濃度が高い時期があり、そのときは温室効果によって「温暖期」になる。反対に二酸化炭素濃度が低い時期は「寒冷期」となる。
また、炭素循環には時間のスケールが短いものもある。数年から数十年の単位では大気・海洋・生物の間で交わされる小さな規模の循環が起きており、光合成や呼吸の結果として炭素を体内に蓄積する森林やプランクトンの増減などが循環に影響する。
しかし、短期的な二酸化炭素濃度の揺らぎは、長期的には平衡状態へ戻っていく。
たとえば、マントルの対流が活発化して地上に大量のマグマが噴出すると、二酸化炭素の供給量が増えて長期的な温暖化に向かう。その結果、大気中の二酸化炭素が海水にとける量が増え、次第に大気中の二酸化炭素濃度が低下する。
二酸化炭素が本当に
温暖化の原因なのか?
逆に、地球全体の火山活動が不活発になって二酸化炭素の放出が減ると、気候は寒冷化して「氷河時代」が到来する。すると、二酸化炭素による岩石の風化作用が停滞して大気中の二酸化炭素濃度が上がり、長期的には温暖化へと向かっていく。
氷河時代は過去の地球で何回も起きており、二酸化炭素濃度の低下との相関が見られる。
炭素循環のモデルを構築した米地球科学者のロバート・A・バーナー博士(Robert A Berner,1935-2015)の推定によれば、氷河時代だった古生代の石炭紀(約3億年前)は、二酸化炭素濃度が現在と同じような低さだった。
現在の地球は、南極やグリーンランドの極地に厚い氷床が存在するため、地質学的には「氷河時代」に区分され、氷河時代の中でも氷期と氷期の間の比較的温暖な「間氷期」にある。
地球史をこうした長い時間軸で眺めると、現在の大気中の二酸化炭素濃度は、寒冷期にあたる非常に低い水準と言えよう。
したがって、いま世界中で問題にされている地球温暖化も、こうした「長尺の目」で見ると、氷期に向かう途上での一時的な温暖化とも解釈できるのである。
もともと地球環境は不安定なもので、絶えず変動するのが本来の姿である。近未来の地球環境を判断する際には、こうした視座も必要である。>(以上「DIAMOND」より引用)
人間は時としてあり得ない誇大な表現をする。国連の事務総長ともあろうものが非科学的な発言をして許されるものではないだろう。後の世の人類が21世紀前半の人間が「気候変動」に関して、いかに愚かしく大騒ぎしていたかを知って「中世的な非科学的な常識を有する人類史は21世紀まで続いていたのか」と慨嘆するだろう。
そして自称・科学者がEVこそCO2を排出しない、地球環境に優しい自動車だと無知蒙昧の政治家諸氏をヨイショする。それは「原発はCO2を排出しないから地球環境に優しい」と半減期10万年という、CO2よりも始末に悪い放射性廃棄物を大量に排出する「事実」を見ない、愚かな論理と何ら変わらない。
真に地球環境に優しい発電装置は火力発電だ。発電の際に排出されるCO2は地球に存在していた物質だ。それが時空と地球上に発生した生物活動によって地下で固定された炭素Cを利用したに過ぎない。原発のようにウランの核分裂によるプルトニュームという別の物質を生成する核分裂反応により発生する熱量を発電に利用するのとは根本的に異なる。
なぜ日本の企業が技術開発して殆どCO2や硫黄酸化物を大気中に排出しない火力発電装置をもっと積極的に人類は利用しないのだろうか。酸化エネルギーを利用して生きている人類にとってはCO2は危険な気体だが、光合成する植物などにとっては生きて行く上で必要不可欠な気体だ。地球の大気中のCO2が何処まで希薄になっても光合成が能なのか分からないが、その可能な閾値を下回ると光合成生物は死滅する。光合成生物が死滅すると人類をはじめとする酸化エネルギーを生命維持に利用している生物も死滅するだろう。
太陽エネルギーを利用する自然の物質循環サイクルの中で、光合成生物と酸化エネルギーを利用する生物は生かされている。その循環の輪を断ち切るような「CO2排出ゼロ」運動が地球環境に優しい、としている世界的な活動は間違っている。
確かに省エネに努めて人類による地下資源の消費をなるべく少なくさせるのは必要だ。石油や石炭は無尽蔵ではない。限られた資源は有効利用すべきだが、ゴミをエネルギーを使って収集して一ヶ所で焼却処分するのはエネルギー効率からして良くないのは誰が考えても解ることだ。しかし、その施設を「エコパーク」などと称して、ゴミ焼却処分場を設置してゴミ収集車を走らせることが「良い」ことと捉えている常識は疑うべきだ。かつて、各家庭に小さな焼却炉があって各家庭でゴミを燃やしていた方が環境に優しい。学校や工場にも焼却場があって、燃やせるごみを燃やして、燃やせないゴミをゴミ収集業者に渡していたが、当時の方が地球環境に優しかった。
ダイオキシン騒動は誰が仕掛けたのか。そして結果として、現在のゴミ分別・収集社会になったが、その何処が地球環境に優しいと云うのだろうか。レジ袋からビニール製のゴミ袋に移行したが、本当の地球に優しい運動だったのか。
CO2地球温暖化騒動も次第に沈静化しつつあるが、それもEVが国家戦略に基づく「怪しげな」活動だった、と正体が多くの人たちに共有され出したからではないか。オールドメディアが必死になって煽り、現在も煽っている地球温暖化というプロパガンダは誰が何のために仕掛けたのか、冷静に時系列を検証すべきではないか。人類はもっと賢くならなければならない。