世界のパラダイムは大きく変化している。
<石破首相の辞任が外交に与える影響
石破総理が辞任を表明した。日本の外交活動の充実という観点から言えば、首相の早期交代はもちろん望ましいことではない。
8月中旬のTICAD(アフリカ開発会議)の際、石破首相が29人の各国首脳らとの個別会談を行ったばかりだ。8月末には、インドのモディ首相が、中国で開催された上海協力機構(SCO)首脳会議の前に、わざわざ来日して石破首相と会談していた。SCO首脳会談において、モディ首相が、中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領と親密な関係をアピールする直前だった。モディ首相は、アメリカをけん制しつつ、日本との関係が悪化しないように配慮してくれていた。これらの各国首脳たちは、石破首相辞任のニュースを聞いたとき、肩透かしにあった気になっただろう。
日本は、内向き志向になっていると言われる。石破首相の辞任で、国内政局における人間関係などに、さらに注意が集中する。国内政治における立ち位置のイメージ作りが、外交に影響を与えていく傾向は強まりそうだ。
中国やロシアなどを嫌う支持層に訴えるのであれば、とにかく中国やロシアを嫌悪する姿勢を強調する。防衛費の増額などの政策案件も、国内政治におけるイメージ戦術にそって決められていくことになりそうだ。
しかし、国内イメージ先行で外交政策を決めていくのは、国力を低下させている今の日本には、難しい。困難なかじ取りが求められるだろう。
こうした事情をふまえて、本稿では、あらためて現代世界の国際情勢の大きな見取り図を示してみたい。不確実性が強い時代であるからこそ、長期的な傾向をとらえた構造的な事情を把握しておくことが大切だ。キーワードとなるのは、「多極化」だ。
欧州の凋落、米国の苦闘、勢いを増す新興国
欧州諸国や日本は、ゼロ成長に近い低経済成長が常態化している。これらの諸国のGDPの世界経済におけるシェアは、低落を続けている。新型コロナ対応の後のロシア・ウクライナ戦争に対応する負担は、各国の財政事情を悪化させている。
アメリカは、3%近い経済成長率を見せており、まだましな方である。たとえばアメリカ一国の経済規模は、他のG7の6カ国の経済規模の総計を大きく上回る。「西側」陣営の中では、アメリカは突出した力を持つ覇権国である。
しかし、目を見張る経済成長を続ける新興国群の勢いには、アメリカも押されがちだ。購買力平価GDPで見れば、BRICS諸国のGDPの総計は、G7諸国を、すでに上回っている。
トランプ大統領は、巨額の財政赤字と貿易赤字の累積に危機感を抱き、なりふり構わぬ政策をとってきている。関税政策が、同盟国にかえって厳しい、と評されることもある。だが、友好国こそ進んでアメリカの財政赤字・貿易赤字の解消に協力すべきだ、という考え方がトランプ大統領にある。アメリカは「西側」陣営の盟主だが、もはや国際社会全体の盟主とは言えない。
アメリカのライバルは、中国だ。その経済力・軍事力が、アメリカを脅かしている。ただし、中国は一帯一路政策などを通じて国際的な影響力も強めているとはいえ、軍事同盟網を構築して拡大させたりすることまでは狙っていない。たとえば中国は、ロシアに対しては、ロシアの影響圏の存在をほぼ認めたうえで、大国間関係を通じた共存の姿勢をとっている。インドとの間では、領土問題などを抱えているが、「二つの文明圏」として付き合っていくことが基本線である。SCOやBRICSを通じて発信し続けている「多極化した世界」に向けた中国の政策的姿勢は、嘘とは言えない。
欧州には、冷戦時代の二極分化した世界の「復活」を意識したうえで、あらためて敵対勢力を封じ込めて、崩壊させるところまで持っていこうとする考え方がある。カヤ・カラスEU外務・安全保障政策上級代表は、タカ派の発言を繰り返している。NATOやEUへの加盟にこだわるウクライナの現政権は、そのような考え方の筆頭だと言える。
ただしトランプ大統領は、事実上、この二極分化の世界観にしたがった政策の遂行を、断念している。むしろ一つの有力な圏域の中の覇権国として生き残っていくことに必死だ。実態として、多極化した世界の有力な一極として、発展していこうとする姿勢だ。
「「日米同盟があれば安心」の時代は終わった…中国・ロシア・インド、多極化する世界で日本が生き残るには」と題して篠田 英朗(東京外国語大学教授/国際関係論、平和構築)氏が論評を寄せている。
石破総理が辞任を表明した。日本の外交活動の充実という観点から言えば、首相の早期交代はもちろん望ましいことではない。
8月中旬のTICAD(アフリカ開発会議)の際、石破首相が29人の各国首脳らとの個別会談を行ったばかりだ。8月末には、インドのモディ首相が、中国で開催された上海協力機構(SCO)首脳会議の前に、わざわざ来日して石破首相と会談していた。SCO首脳会談において、モディ首相が、中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領と親密な関係をアピールする直前だった。モディ首相は、アメリカをけん制しつつ、日本との関係が悪化しないように配慮してくれていた。これらの各国首脳たちは、石破首相辞任のニュースを聞いたとき、肩透かしにあった気になっただろう。
日本は、内向き志向になっていると言われる。石破首相の辞任で、国内政局における人間関係などに、さらに注意が集中する。国内政治における立ち位置のイメージ作りが、外交に影響を与えていく傾向は強まりそうだ。
中国やロシアなどを嫌う支持層に訴えるのであれば、とにかく中国やロシアを嫌悪する姿勢を強調する。防衛費の増額などの政策案件も、国内政治におけるイメージ戦術にそって決められていくことになりそうだ。
しかし、国内イメージ先行で外交政策を決めていくのは、国力を低下させている今の日本には、難しい。困難なかじ取りが求められるだろう。
こうした事情をふまえて、本稿では、あらためて現代世界の国際情勢の大きな見取り図を示してみたい。不確実性が強い時代であるからこそ、長期的な傾向をとらえた構造的な事情を把握しておくことが大切だ。キーワードとなるのは、「多極化」だ。
一極から、二極ではなく、多極へ
上海協力機構(SCO)天津首脳会議(8月31日~9月1日)で、中国の習近平国家主席が、ロシアのプーチン大統領やインドのモディ首相ら、多数のユーラシア大陸諸国の首脳と親密な関係を築いていることをアピールする光景が大きく報道された。9月3日には、北京で抗日戦勝80周年記念式典が開催され、インドネシアなどSCO加盟国以外の諸国の首脳らも参列した。
この情景を見て、ロシアを国際的に孤立させ、中国の影響力を減退させ、インドを「西側」陣営に引き寄せたいと願ってきた方々の間で、大きな動揺が広がった。
その動揺の様子には、相当に感情的なものが見られる。仕切り直しをするためには、まずは状況の冷静な把握が必要だ。
米国の「一極支配」の時代は終わった。欧州の凋落が顕著だ。日本の国力の低下も著しい。欧米諸国(+日本)の「グローバル西側」諸国の覇権的な力を前提にした国際秩序の維持は、困難になっている。
そこで中国の拡張主義的野心をどう評価するか、「グローバル西側」に属さない諸国の連携をどう捉えていくかが、判断の分かれ目になる。
日本のメディアや学者層では、いまだに「民主主義陣営vs.権威主義陣営」の二極分化の図式に国際情勢をあてはめて理解しようとする見方が、一般的である。冷静時代の世界観の復活だと言える。
しかし、非「グローバル西側」諸国が集うSCOや、BRICSは、あくまでも「多極化した世界(multipolar world)」あるいは「多元主義(multilateralism)」の概念を、繰り返し強調してきている。
つまり「グローバル西側」陣営は、「二極対立」した世界を前提にして、その「二極対立」を勝ち抜こうとしている。これに対して、非「グローバル西側」諸国は、「多極化」を模索して、その「多極化した世界」における生き残り戦略を模索している。
二つの陣営が真正面から対立しているのか。「西側」の勢力が、もはや多極の中の一つにすぎないものになろうとしているのか。
まずは世界観の闘争が起こっていることを、理解したい。そうでないと、対応策も間違っていくだろう。
筆者自身は、現代世界は「多極化」に向かっている、と考えている。「二極分化」の世界観そのものが時代遅れ、あるいは劣勢になりつつある、と考えている。そのことを本にしてみたし(『地政学理論で読む多極化する世界:トランプとBRICSの挑戦』)、背景要因になる地政学理論の分析もしてみた(『戦争の地政学』)。
反論もあるだろう。だがそれにしても、国際秩序に関する世界観の闘争から目を逸らしたまま、感情論だけを連ねていくことは、生産的ではないと思う。まずはしっかりと現実に目を向ける姿勢が必要だ。
上海協力機構(SCO)天津首脳会議(8月31日~9月1日)で、中国の習近平国家主席が、ロシアのプーチン大統領やインドのモディ首相ら、多数のユーラシア大陸諸国の首脳と親密な関係を築いていることをアピールする光景が大きく報道された。9月3日には、北京で抗日戦勝80周年記念式典が開催され、インドネシアなどSCO加盟国以外の諸国の首脳らも参列した。
この情景を見て、ロシアを国際的に孤立させ、中国の影響力を減退させ、インドを「西側」陣営に引き寄せたいと願ってきた方々の間で、大きな動揺が広がった。
その動揺の様子には、相当に感情的なものが見られる。仕切り直しをするためには、まずは状況の冷静な把握が必要だ。
米国の「一極支配」の時代は終わった。欧州の凋落が顕著だ。日本の国力の低下も著しい。欧米諸国(+日本)の「グローバル西側」諸国の覇権的な力を前提にした国際秩序の維持は、困難になっている。
そこで中国の拡張主義的野心をどう評価するか、「グローバル西側」に属さない諸国の連携をどう捉えていくかが、判断の分かれ目になる。
日本のメディアや学者層では、いまだに「民主主義陣営vs.権威主義陣営」の二極分化の図式に国際情勢をあてはめて理解しようとする見方が、一般的である。冷静時代の世界観の復活だと言える。
しかし、非「グローバル西側」諸国が集うSCOや、BRICSは、あくまでも「多極化した世界(multipolar world)」あるいは「多元主義(multilateralism)」の概念を、繰り返し強調してきている。
つまり「グローバル西側」陣営は、「二極対立」した世界を前提にして、その「二極対立」を勝ち抜こうとしている。これに対して、非「グローバル西側」諸国は、「多極化」を模索して、その「多極化した世界」における生き残り戦略を模索している。
二つの陣営が真正面から対立しているのか。「西側」の勢力が、もはや多極の中の一つにすぎないものになろうとしているのか。
まずは世界観の闘争が起こっていることを、理解したい。そうでないと、対応策も間違っていくだろう。
筆者自身は、現代世界は「多極化」に向かっている、と考えている。「二極分化」の世界観そのものが時代遅れ、あるいは劣勢になりつつある、と考えている。そのことを本にしてみたし(『地政学理論で読む多極化する世界:トランプとBRICSの挑戦』)、背景要因になる地政学理論の分析もしてみた(『戦争の地政学』)。
反論もあるだろう。だがそれにしても、国際秩序に関する世界観の闘争から目を逸らしたまま、感情論だけを連ねていくことは、生産的ではないと思う。まずはしっかりと現実に目を向ける姿勢が必要だ。
欧州の凋落、米国の苦闘、勢いを増す新興国
欧州諸国や日本は、ゼロ成長に近い低経済成長が常態化している。これらの諸国のGDPの世界経済におけるシェアは、低落を続けている。新型コロナ対応の後のロシア・ウクライナ戦争に対応する負担は、各国の財政事情を悪化させている。
アメリカは、3%近い経済成長率を見せており、まだましな方である。たとえばアメリカ一国の経済規模は、他のG7の6カ国の経済規模の総計を大きく上回る。「西側」陣営の中では、アメリカは突出した力を持つ覇権国である。
しかし、目を見張る経済成長を続ける新興国群の勢いには、アメリカも押されがちだ。購買力平価GDPで見れば、BRICS諸国のGDPの総計は、G7諸国を、すでに上回っている。
トランプ大統領は、巨額の財政赤字と貿易赤字の累積に危機感を抱き、なりふり構わぬ政策をとってきている。関税政策が、同盟国にかえって厳しい、と評されることもある。だが、友好国こそ進んでアメリカの財政赤字・貿易赤字の解消に協力すべきだ、という考え方がトランプ大統領にある。アメリカは「西側」陣営の盟主だが、もはや国際社会全体の盟主とは言えない。
アメリカのライバルは、中国だ。その経済力・軍事力が、アメリカを脅かしている。ただし、中国は一帯一路政策などを通じて国際的な影響力も強めているとはいえ、軍事同盟網を構築して拡大させたりすることまでは狙っていない。たとえば中国は、ロシアに対しては、ロシアの影響圏の存在をほぼ認めたうえで、大国間関係を通じた共存の姿勢をとっている。インドとの間では、領土問題などを抱えているが、「二つの文明圏」として付き合っていくことが基本線である。SCOやBRICSを通じて発信し続けている「多極化した世界」に向けた中国の政策的姿勢は、嘘とは言えない。
欧州には、冷戦時代の二極分化した世界の「復活」を意識したうえで、あらためて敵対勢力を封じ込めて、崩壊させるところまで持っていこうとする考え方がある。カヤ・カラスEU外務・安全保障政策上級代表は、タカ派の発言を繰り返している。NATOやEUへの加盟にこだわるウクライナの現政権は、そのような考え方の筆頭だと言える。
ただしトランプ大統領は、事実上、この二極分化の世界観にしたがった政策の遂行を、断念している。むしろ一つの有力な圏域の中の覇権国として生き残っていくことに必死だ。実態として、多極化した世界の有力な一極として、発展していこうとする姿勢だ。
国際情勢の全般情勢に対する感情的な反応
感情的な反応もある。たとえば、カヤ・カラスEU外務安全保障担当上級代表は、SCOの情景を念頭に置きながら、「中国とロシアは、第二次世界大戦の勝者ではない」といったことを、滔々と説明してみせた。
カラス上級代表は、「中国人は技術に優れているが社会科学で劣っており、ロシア人は技術で劣っている社会科学でやたらと優れている」という根拠不明の謎めいた観察を、何やら得意げに披露してもみせた。そのうえで、実は大して優れていないロシアと中国が、SNS上で陰謀論に騙される欧州人に働きかけているので、欧州が劣勢に見えてしまっている、といった説明を施した。
カラス上級代表は、ロシア・ウクライナ戦争の初期に、「ウクライナは勝たなければならない」「ロシアは負けなければならない」「われわれはロシアの崩壊を恐れてはならない」などのレトリックを駆使して、欧州の有力政治家に昇りつめた。しかし、現在の状況の厳しさに直面して、もはや同じ主張を繰り返すことは、やめてしまったようである。
そうであれば、本来なら、過去の自分の発言をふまえたうえで、現状に対応する政策を打ち出す努力をしなければならないはずだ。だが、それは絶対にしない。
対極的なのが、フィンランド大統領のストゥブ氏だ。カラス氏の屈辱的なワシントンDC訪問以降、国際通で知られるストゥブ氏が、ウクライナ問題担当のある種のEU特使のような存在になっている。
8月18日の欧州7指導者のホワイトハウス訪問の際にも、カラス氏は外れて、ストゥブ氏が、英・仏・独・伊の首脳とEU委員長・NATO事務総長とともに、入っていた。
そのストゥブ氏は、SCO首脳会議の様子を見て、カラス上級代表とは真逆と言ってもいい反応をした。SCO首脳会議の様子は、「グローバルサウスに協力的な政策をとらなければ、われわれは敗北する」ということを示した、と述べたのだ。
ここで「われわれ」とは、まずもって欧州のことだが、日本も、含まれてくるだろう。カラス氏が勝つのか。ストゥブ氏の観察が正しいのか。日本にとっても、切実な問題である。
感情的な反応もある。たとえば、カヤ・カラスEU外務安全保障担当上級代表は、SCOの情景を念頭に置きながら、「中国とロシアは、第二次世界大戦の勝者ではない」といったことを、滔々と説明してみせた。
カラス上級代表は、「中国人は技術に優れているが社会科学で劣っており、ロシア人は技術で劣っている社会科学でやたらと優れている」という根拠不明の謎めいた観察を、何やら得意げに披露してもみせた。そのうえで、実は大して優れていないロシアと中国が、SNS上で陰謀論に騙される欧州人に働きかけているので、欧州が劣勢に見えてしまっている、といった説明を施した。
カラス上級代表は、ロシア・ウクライナ戦争の初期に、「ウクライナは勝たなければならない」「ロシアは負けなければならない」「われわれはロシアの崩壊を恐れてはならない」などのレトリックを駆使して、欧州の有力政治家に昇りつめた。しかし、現在の状況の厳しさに直面して、もはや同じ主張を繰り返すことは、やめてしまったようである。
そうであれば、本来なら、過去の自分の発言をふまえたうえで、現状に対応する政策を打ち出す努力をしなければならないはずだ。だが、それは絶対にしない。
対極的なのが、フィンランド大統領のストゥブ氏だ。カラス氏の屈辱的なワシントンDC訪問以降、国際通で知られるストゥブ氏が、ウクライナ問題担当のある種のEU特使のような存在になっている。
8月18日の欧州7指導者のホワイトハウス訪問の際にも、カラス氏は外れて、ストゥブ氏が、英・仏・独・伊の首脳とEU委員長・NATO事務総長とともに、入っていた。
そのストゥブ氏は、SCO首脳会議の様子を見て、カラス上級代表とは真逆と言ってもいい反応をした。SCO首脳会議の様子は、「グローバルサウスに協力的な政策をとらなければ、われわれは敗北する」ということを示した、と述べたのだ。
ここで「われわれ」とは、まずもって欧州のことだが、日本も、含まれてくるだろう。カラス氏が勝つのか。ストゥブ氏の観察が正しいのか。日本にとっても、切実な問題である。
「二極分化」論の非現実性と、「多極化」時代の生き残り戦術へ
アメリカでバイデン政権が続いていた間は、「民主主義vs権威主義」という二項対立的な図式が相当に流通していた。この世界観は、フランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり=自由民主主義の勝利」の物語に、固執したものであった。
今日、「西側」が「勝たなければいけない」と主張している方々の多くは、フクヤマ氏の「歴史の終わり」の物語にそった主張をしている。もし欧米諸国が勝たなければ、自由民主主義の勝利も水泡に帰してしまう、というわけである。
世界に二つの勢力しか存在しないのであれば、欧米諸国=自由民主主義の勢力で、欧米諸国に敵対する勢力が自由民主主義の敵、という理解になる。この世界観では、インドやインドネシアのような民主主義国の首脳が、中国で習近平国家主席やプーチン大統領と仲良くすることがあってはいけない。もし仲良く振る舞ってしまったら、それらの諸国は「本当の民主主義国ではない」とみなさなければならない。
カラス上級代表は、エストニアの首相だった。第二次世界大戦後にソ連に併合され(ただし違法だったとみなしている)、冷戦終焉時に独立し、2004年にNATOとEUへの加盟を果たした国だ。冷戦終焉後の「自由民主主義の勝利」の高揚感の中で、欧米中心主義の国際秩序を自明視したうえで、自国もその勝者であり世界の中心である陣営に合流した、という歴史理解が標準的だろう。
ストゥブ首相のフィンランドは、長期にわたり中立的な政策の伝統を維持していた国だ。EUには1995年に加盟していたが、NATOに加盟したのは、ロシアのウクライナ全面侵攻の後の2023年だ。
エストニアが加盟した2004年当時のNATOは、その権威と勢力において圧倒的なものがあった。アメリカの一極支配が問題になっていたような時期で、NATOは世界中の紛争問題に積極的に関与しようとしていた。
それに対してフィンランドが加盟した2023年は、NATOが世界情勢の流動化に直面した後の時期だ。世界が多極化に向かう中で、NATOは欧米諸国の軍事同盟としての存在感を維持して、生き残ろうとしている。だがNATOが世界の警察官の役割を担えるといった理解は、もはや時代遅れになった。
トランプ大統領の第二期就任は、2025年になってからだが、これは多極化に向かって進んでいる国際情勢の流れを作り出した事件だったというよりも、その流れの結果として起こった事件であったと言ってよい。
アメリカでバイデン政権が続いていた間は、「民主主義vs権威主義」という二項対立的な図式が相当に流通していた。この世界観は、フランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり=自由民主主義の勝利」の物語に、固執したものであった。
今日、「西側」が「勝たなければいけない」と主張している方々の多くは、フクヤマ氏の「歴史の終わり」の物語にそった主張をしている。もし欧米諸国が勝たなければ、自由民主主義の勝利も水泡に帰してしまう、というわけである。
世界に二つの勢力しか存在しないのであれば、欧米諸国=自由民主主義の勢力で、欧米諸国に敵対する勢力が自由民主主義の敵、という理解になる。この世界観では、インドやインドネシアのような民主主義国の首脳が、中国で習近平国家主席やプーチン大統領と仲良くすることがあってはいけない。もし仲良く振る舞ってしまったら、それらの諸国は「本当の民主主義国ではない」とみなさなければならない。
カラス上級代表は、エストニアの首相だった。第二次世界大戦後にソ連に併合され(ただし違法だったとみなしている)、冷戦終焉時に独立し、2004年にNATOとEUへの加盟を果たした国だ。冷戦終焉後の「自由民主主義の勝利」の高揚感の中で、欧米中心主義の国際秩序を自明視したうえで、自国もその勝者であり世界の中心である陣営に合流した、という歴史理解が標準的だろう。
ストゥブ首相のフィンランドは、長期にわたり中立的な政策の伝統を維持していた国だ。EUには1995年に加盟していたが、NATOに加盟したのは、ロシアのウクライナ全面侵攻の後の2023年だ。
エストニアが加盟した2004年当時のNATOは、その権威と勢力において圧倒的なものがあった。アメリカの一極支配が問題になっていたような時期で、NATOは世界中の紛争問題に積極的に関与しようとしていた。
それに対してフィンランドが加盟した2023年は、NATOが世界情勢の流動化に直面した後の時期だ。世界が多極化に向かう中で、NATOは欧米諸国の軍事同盟としての存在感を維持して、生き残ろうとしている。だがNATOが世界の警察官の役割を担えるといった理解は、もはや時代遅れになった。
トランプ大統領の第二期就任は、2025年になってからだが、これは多極化に向かって進んでいる国際情勢の流れを作り出した事件だったというよりも、その流れの結果として起こった事件であったと言ってよい。
日本外交の指針
アメリカは依然として世界の超大国の一つであり、日本にとってアメリカと長期にわたる軍事同盟を維持していることの価値は計り知れない。今後も、日米同盟を基軸にした安全保障政策を遂行していくことは合理的だろう。
しかしそれは、一極支配の世界における覇権国との同盟関係ではない。日米が協力したくらいでは、中国を圧倒して封じ込めようとしても、上手くいかないだろう。中国との関係を安定的に保つことは、簡単ではないが、不可避である。
欧州は、ロシアとの戦いに必勝を誓って自らを追い込んだが、ロシアを駆逐することができない。勢力均衡を通じた安定を模索していくしかない。
インドは多国間外交の一環として日本との良好な関係を望んでおり、それを日本は尊重し続ける。だが、インドがアメリカの準同盟国になったり、NATOと共同歩調をとったりする可能性などはない。
世界は二極ではなく、多極に向かって進んでいる。そのことをよく念頭に置きながら、国際情勢を分析し、外交政策を進めていかなければならない。>(以上「現代ビジネス」より引用)
アメリカは依然として世界の超大国の一つであり、日本にとってアメリカと長期にわたる軍事同盟を維持していることの価値は計り知れない。今後も、日米同盟を基軸にした安全保障政策を遂行していくことは合理的だろう。
しかしそれは、一極支配の世界における覇権国との同盟関係ではない。日米が協力したくらいでは、中国を圧倒して封じ込めようとしても、上手くいかないだろう。中国との関係を安定的に保つことは、簡単ではないが、不可避である。
欧州は、ロシアとの戦いに必勝を誓って自らを追い込んだが、ロシアを駆逐することができない。勢力均衡を通じた安定を模索していくしかない。
インドは多国間外交の一環として日本との良好な関係を望んでおり、それを日本は尊重し続ける。だが、インドがアメリカの準同盟国になったり、NATOと共同歩調をとったりする可能性などはない。
世界は二極ではなく、多極に向かって進んでいる。そのことをよく念頭に置きながら、国際情勢を分析し、外交政策を進めていかなければならない。>(以上「現代ビジネス」より引用)
「「日米同盟があれば安心」の時代は終わった…中国・ロシア・インド、多極化する世界で日本が生き残るには」と題して篠田 英朗(東京外国語大学教授/国際関係論、平和構築)氏が論評を寄せている。
題の通り篠田氏は日米同盟さえあれば「安心」という時代は終わり、日本は米国頼りの外交ではなく、多角的な外交を目指すべきだと主張している。日米同盟だけで今後の国際関係を維持するのは困難だ、と篠田氏は主張している。それこそ多極化国際社会の中で日本は中國との関係を軽視することは出来ない、と篠田氏は言う。
しかし中国がそれほど日本にとって重要な国だろうか。確かに隣国にあるから、歴史上それなりの関係性を有してきた。しかし現在ほど中国と巨額な貿易取引を怒ったことがあっただろうか。人的な交流にしても、現在のように年間百万人近い大量の中国人が日本に訪れる時代があっただろうか。今や対中関係は前代未聞の濃厚な交流関係に到っている。
それにより、中国人の危険性を日本国民の多くが気付くようになった。もちろん中共政府の「反日教育」によるものだろうが、その結果だとしても日本の文化を軽んじる彼らの行為に、日本国民は決して相容れないものを感じている。
国と国との関係はまず国民と国民との関係の上に築かれる。多極化社会の中で、中国は決して日本が「組むべき相手」として選ばれないだろう。それは中国が日本を「組む相手」と見做してないからだ。確かに「友好関係を築こう」との姿勢を示すが、それは日本を利用するための「友好」であって、協調し合い協力し合う「仲間」として「組む相手」ではない。
国家関係もギブアンドテークだが、そこには一定の節度がなければならない。日本のイチゴやブドウやミカンの品種を盗み、自国産の農産品として輸出する国とは組めない。また日本が援助した鉄や造船や自動車などの製造技術を利用して、大量の工業製品を製造してダンピングしてまで日本の国際市場を奪うような国とは組めない。
世界各国から投資を募ってAIIBを設立し、それを梃子に「一帯一路」と称する経済植民地を世界中の国々に作るような国とは組めない。だが世界の超大国を目指した中国の野望は、足元の経済崩壊により潰えようとしている。これからの中国は不良債権の償却や金融機関の立て直しを迫られ、信用収縮によるデフレ経済の長いトンネルに入らざるを得ない。
国民が充分に富む前にやって来たバブル崩壊は、これから長く続く冬に耐えるだけの脂肪の蓄積のない熊に冬眠を強制するようなものだ。もちろん米国は経済音痴のトランプの乱暴な関税政策により、世界のサプライチェーンのハブから排除されようとしている。二大超国がそれぞれ別の理由から没落しようとしている。
世界が多極化するのは当然の趨勢だが、それはハブが沢山出来ることではない。経済と物流は不可分の関係にある。しかも経済は必ず経済合理性に従って一定の秩序を構成する。サプライチェーンの秩序を構成するには技術力と経済力のある国が必ず主導的役割を果たし、主導的な国の経済合理性に従って組織が構築される。
中国と米国が没落すると、残される経済力と技術力を合わせ持つ国と地域は日本とEUだけだ。従って、日本とEUをハブとする経済秩序が構成される、と予測するのが順当だ。そうすれば、日本が組むべき相手は中國ではなくEUだ。日本が英国やEUに接近しているのは自然な流れだ。その方向へ流れは強まるだろうし、超大国が世界に君臨することは、もはやないだろう。世界のパラダイムは大きく変化している。私たちは戦後世界が大きく変貌している歴史を今まさに目撃している。