インバウンドは「産業」なのか?
<慢性的な人手不足のなか、インバウンド(訪日外国人客)対応のため、多くの人的資源が割かれている。インバウンド政策は本当に日本を豊かにするのか。経済の専門家は、政府が目指す観光立国は「成り立たない」と指摘する。
「インバウンド政策に市民の怒り「自国民は置き去り」「効果感じられず」 経済専門家が「観光立国は無理」とする決定的理由」と題して米倉昭仁(AERA編集部)氏が観光立国論に警鐘を鳴らしている。
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■地元民が市バスに乗れず
都内在住の女性は、毎年、実家の墓参りで京都を訪れる。これまではターミナル駅から目的地までの移動に京都市バスを使っていたが、3年ほど前からタクシーに切り替えた。バス停で待っても、バスは観光客で満杯で乗れないからだ。
「タクシーの運転手は、『バスは地元の人の足なのに、観光客だらけで乗れなくなってしまって、タクシーを使う人が増えた。特に高齢者が困っている』と言っていました」(女性)
時期は3月初旬、桜の時期はまだだった。運転手が続けた言葉が、印象的だったという。 「お客さん、今はまだいいですよ。桜や紅葉の時期はどこもかしこも渋滞して、通常20分で行く距離が1時間2時間かかる。地獄ですわ」
■修学旅行も別の地域へ
インバウンドを受け入れる観光地の生活都市としての機能が、オーバーツーリズムによって損なわれている、という話はこの取材をはじめ、さまざまな場で聞いた。
「観光」自体、インバウンドが経済的に優位になり、国民が買い負けている現状があるようだ。記者が取材した京都市のタクシー運転手は、こう語っていた。
「学校の修学旅行も減りました。これまでの金額では京都に泊まれないから、ほかの地域に行き先を変えているようです」
■外国人観光客頼りの産業は危うい
8月、AERA編集部が行ったインバウンドに関するアンケートには、333もの回答が集まり、賛否含めてさまざまな声が寄せられた。
京都に暮らす50代の女性はインバウンドによって「日本の社会資本が消費されているにすぎないのでは」と答えた。
「京都市は、昨年のインバウンド活況などによる経済波及効果は2兆989億円という。しかし、何の効果も感じられないと思っている市民は多いのではないか」(女性)
また、インバウンドの姿が消えたコロナ禍を振り返り、こうも言う。
「外国人観光客頼りの産業がいかに危ういか。その教訓を直視しない政府はどうかしている。先端技術への投資を増やすなどして、別の産業を育てるべきではないか」(同)
■「観光立国」に冷ややかな声
■「観光立国」に冷ややかな声
「楽しく異文化交流ができた」「英語で道案内している」「日本独特の自然の良さや文化を肌で感じてもらえることは、たいへんありがたい。国を挙げて環境を整備してほしい」といった声もあったが、アンケートではインバウンドの増加を懸念する声のほうが多かった。
インバウンドに「増えてほしい」は19.7%(「大いに増えてほしい」12.3%「増えてほしい」7.5%)にとどまり、「減ってほしい」は49.8%(「大いに減ってほしい」25.5%「もう少し減ってほしい」24.3%)、「どちらともいえない」が30.3%だった。
政府が掲げる「観光立国」を冷ややかに見る声も目立った。 「自国民は置き去りの愚策」(大阪府・60代男性) 「法律整備が追いついていない」(青森県・50代男性)
■「『観光客価格』を設けるべき」
インバウンドが多く訪れる自治体では、インバウンドに対応するため、駐車場やトイレの管理のほか、人員の配置や、時に監視カメラを導入するなど、経費が生じる。世界各地には、エジプトのピラミッドのように、「外国人観光客向けの価格」を設定する例もある。
「城を補修したり、オーバーツーリズム対策もあるので、市民と外国人、2種類の料金設定があってもいいのではないか」
昨年6月、兵庫県姫路市の清元秀泰市長は世界遺産・姫路城の入城料について、こう発言し、大人1000円の入城料を、外国人に限り、約4倍の金額にする案を示した。
結局、「外国人差別」といった批判が一部から上がり、導入は見送られたが、「市民と市民以外」に区分けして施設料を徴収することは、国内でも特段、珍しいことではない。
AERAが行ったアンケートでは、53.5%が外国人観光客に対する二重価格を「全面的に導入すべき」とした。「条件を設けて導入すべき」は34.5%、「どちらともいえない」は8.1%、「導入すべきではない」は3.9%だった。
■「観光立国」は成り立たず
経済のプロはどう見ているのか。作家で社会的金融教育家の田内学さんはこう指摘する。 「経済の視点から見て、観光立国は成り立ちません」
なぜなのか。そのボトルネックは「人手不足」だという。
背景から見ていこう。日本は衣食住に欠くことのできない資源の多くを輸入に頼っている。エネルギー自給率は15.3%(2023年度)。食料自給率(カロリーベース)も38%(同)にすぎない。
「外国からエネルギーや食料を購入するためには外貨が必要です。では、どうやって外貨を稼ぐのか」(田内さん)
■観光産業には「労働力」が必要
■観光産業には「労働力」が必要
現在、日本は資源エネルギーの輸入にかかる約24兆円の大半を、自動車の輸出(約20兆円)で賄っている。一方、家電メーカーは衰退し、稼ぎ頭だった家電や電子機器の輸出は世界でシェア争いに敗れ、低迷している。
さらに少子化が進み、どの業界も慢性的な人手不足だ。できるだけ少ない人数で、効率よく外貨を獲得する必要があるが、観光産業は労働集約型で、人間の労働力を多く必要とする。 「観光産業が大きくなれば、さらに人的リソースが必要になり、人手不足がさらに深刻化します。すでに観光産業に人材を吸収されて、観光地では介護などの分野でサービスが受けられないことが起きています。別の方法で外貨を稼がないと生活基盤が支えられなくなる」(同)
■日本経済は成長するどころかしぼむ
日本は資源エネルギーだけでなく、デジタルサービスも海外から購入し、貿易サービス収支は慢性的な赤字になっている。
「人手が足りない中で、外貨を効率よく稼ぐには先端技術に力を入れる必要がある。もちろん観光産業での外貨獲得も必要だが、それで“立国”するのは無理がある。日本経済は成長するどころか、しぼんでしまうでしょう」(同)
状況は厳しい。いま、世界を席巻するのは、グーグルやアマゾンのようなプラットフォーム企業で、少ない人数で多額の外貨を得るビジネスモデルの典型だ。
「寡占状態のプラットフォームビジネスにこれから打って出て、収益を上げるのは困難でしょう。だからといって『観光立国』という戦略は根本的に間違っている」(同)
■人手不足の実感が政治家に希薄
なぜ、日本は観光立国に突き進もうとしているのか。
「数十年も前の人が余っていた時代に慣れてしまい、『人手不足』の時代にいるという実感が政治家にはないのでしょう。かつての前提条件で思考する人は、専門家も含めて少なくないと感じています」(同)
田内さんはこう総括する。
「観光立国で、確かに一部の産業に『光』はあるとはいえます。それ以上に『影』が濃いのです」
国民は「観光立国」が落とす深い影を、肌身で実感している>(以上「AERA」より引用)
「インバウンド政策に市民の怒り「自国民は置き去り」「効果感じられず」 経済専門家が「観光立国は無理」とする決定的理由」と題して米倉昭仁(AERA編集部)氏が観光立国論に警鐘を鳴らしている。
もとより、私は観光立国に否定的だ。そもそも日本の観光地はインバウンドを当て込んだ作りになっていない。当然ながらインバウンドを受け入れるだけのホテルなどの「収容設備」もバスや鉄道などの「移動手段」も年間4千万人ものインバウンド移動を想定して整備していない。もちろん観光地の収容人数も大量のインバウンドを想定した「観覧席」や「順回路」や「撮影スポット」などは用意していない。
だから日常生活を送っている日本国民は蝗の群れのようなインバウンドに当惑する。東京ディズニーランドなら観客が大量に来場することを想定して建設されている。それでも入場者が多いとウンザリする。しかし日本各地の観光地はディズニーランドではない。そこには観光関係業者ではない普通の住民が暮らしている。つまりディズニーランドなら全員がスタッフだが、日本各地の観光地は観光業関係者以外の住民の方が圧倒的に多い。
実際にインバウンドがもたらしている経済効果は約8兆円でGDPの2%程度でしかない。しかも観光業は労働力集約型で宿泊業では約59万人とされ、人手不足が課題とされている。そのためホテルなどの宿泊料が高騰し、観光地・京都が修学旅行の行き先から敬遠されているという。それでは観光地が国民のための観光地でなくなり、軒先を貸して母屋を取られている。
引用文中にインバウンドに関するアンケート調査が記載されいているが「インバウンドに「増えてほしい」は19.7%(「大いに増えてほしい」12.3%「増えてほしい」7.5%)にとどまり、「減ってほしい」は49.8%(「大いに減ってほしい」25.5%「もう少し減ってほしい」24.3%)、「どちらともいえない」が30.3%だった」という。
国民の55.3%はインバウンドに対して否定的であり、積極的な国民は39.5%に止まっている。さらに観光立国は日本の経済規模とインバウンド収入の比を見るまでもなく、とても経済の柱になり得るものではない。日本の経済の柱とされる製造業は国の経済規模(GDP)の約20%を占め、2022年には約107.6兆円の経済規模だった。また製造業の就業者数は2023年に1,055万人と、1,000万人を超える国民所得の主要な源泉になっている。
日本の生活環境は日本国民が営々と整備し受け継いできた貴重な文化遺産であり社会インフラだ。その国土に棲む日本人の暮らしや文化や社会インフラを外国人が「観光」するのは、別に嫌ではないが、日本人の暮らしに土足で入り込んで生活の邪魔をするのは御免だ。
多文化社会がさもヒトに優しい社会であるかのようにオールドメディアは説くが、日本は日本人による単一文化の暮らしを二千年以上も続けてきた。今後とも、そうした「日本」という伝統と文化を私たちは次世代以降に手渡していく義務がある。インバウンドにより壊され変化した文化や伝統を子々孫々に伝承させてはならない。それは日本の継続性が失なわれるだけでなく、本来の日本文化が損なわれてしまうからだ。
日本のアニメが世界で驚愕の眼差しで迎え入れられているのは、高度に発達した文明国でありながら、路辺に鎮座する道祖神たちと暮らしている精神文化に驚異しているからではないか。普通の村や集落に鎮守の森が地域住民の手によって守られ、鎮守様によって地域が守られている神聖な関係性に胸打たれるからではないか。そうした先人から受け継いだ文化や慣習を私たちは決して切り売りしてはならない。
インバウンドと同じ系譜にある外国人移民にしても、不用意に受け入れてはならない。彼らには彼らの祖国があり、祖国で育まれた文化や慣習がある。それを日本に持ち込めば日本の文化や慣習と軋轢が生じるのは当然ではないか。多文化が日本の国土で共生することはあり得ない。それは民族同士の摩擦を大きくするだけだ。他民族との「交流イベント」で他文化などに触れるのは良いかも知れないが、日本国内に取り入れるのは日本の文化や慣習を変貌させることになり日本人に強い抵抗と反発を招くだけでなく、日本の特徴ある文化や慣習が衰亡し廃れるだけだ。
国際的なイベントに再々登場する「太鼓集団」は日本古来のものではない。太鼓が神道で用いられるのは、その響きで神様を招来し、人々の精神を高揚させて儀式を神聖化するため、また、儀式の開始や終了を合図し、祭りの場に神輿を導く役割も持つためのものだ。太鼓の音は神の力を感じさせ、空間に神を顕現させる音響技術としても理解されている。だから踊り狂って乱打するものではない。しかし、国際イベントで登場する太鼓集団はそうした歴史や文化とは無縁な打楽器の一つとして扱っているかのようだ。
一つの日本的な見世物としては効果的かもしれないが、それは先祖から受け継いできた「和太鼓」の本来のあり方から大きく外れたものでしかない。決して和太鼓は大勢で乱打する打楽器ではない。そのことを日本人が忘れてはならないし、打楽器として乱舞するのが「日本文化」だと外国に披歴してはならない。それこそ先人から受け継いだ文化に対する冒涜でしかない。
日本文化の真髄は「厳かな静けさ」にこそある。だから日本人は大声で話さない。静けさを保つのは、他人の静けさを乱さないためだ。厳かな静けさは人々の協力に上に成り立つ。そうしたことを外国人観光客に理解して頂くのは困難だろう。本当の日本の理解をして頂くためには、大量のインバウンドはむしろ邪魔だ。観光立国とは日本国民による観光を旨とする観光開発でなければならない。それこそ日本人ファーストを実行すべきだ。